原村のペンション、冬の八ヶ岳とカズオ・イシグロ


1. 我善坊さん、さわやかNさん、
20日付ブログへのコメント有難うございます。

ご指摘の通り、3人でブログを独占する状態では、ますます他の人の
関心薄れるでしょうね。

短く補足させて頂ければ、

我善坊さんのコメントには全面的に異存ありません。
ただ、オルテガの言う「国民国家」が「民族国家」やナショナリズム
(=日本という国の在り方)とは
対極にある存在であることを補足しておきます。
(「国家とはその形態がどういうものであろうと、つねに、ある人間集団が
ある事業を共同で行うために他の人間集団に対して行う招請である」)

2. Nさんの「政治家の大衆化」ですが、その根っこには
「政治の大衆化」があるのではないか。


またオルテガに戻って
「支配と服従の役割は、いかなる社会においても決定的な条件であ」り、
「支配とは、1つの意見の、したがって1つの精神の優位を意味する
ことであり、支配権力とはつまるところ、精神力以外の何ものでもない」
というテーゼに沿えば、

いまの日本の政治は、「世論」と称するものが「支配」し、
「精神力」に代わって「支持率」が錦の御旗になっている状況ではないか。


3. それにしても、国家について考えると、
中東のとくにリビア、NZクライストチャーチ地震の報道は心痛みます。

これは私個人の思いですが、日本という国家で、
どんな政権であっても、誰が首相であろうと、
こういう事件には本当に心を痛め、国家としてできる万全の手段を
取ろうと、少なくとも全力で努力しようとしている、と信じます。


信じること、それが「服従」ということではないか。

(「服従とは、命令者を尊敬してその命令に従い、命令者と一体化し、
その旗のもとに情熱をもって集まることなのである」オルテガ


世論を誘導する立場にあるメディアは、細かいことにケチを付ける
ことに忙しいようだが、そういう努力を信じる姿勢(「国家としての
共通の未来と意思」に向かっての道程)をこそ大きく訴えるべきでは
ないか。


4.またまた、へきえきする人も居るかもしれないので
こういう悲劇とは取りあえず無縁で申し訳ありませんが
冬の八ヶ岳を観に、ペンションに1泊してきたときの写真を載せて
おきます。

ロスやロンドンにも勤務したことのあるもと鉄鋼マンとその奥さまが
経営する、安価で気持ちのよいペンションです。

この原村にあるペンションについては前にも書きましたが、
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20101102

人口7千ほどの小さな村ですが、なかなか頑張っています。
日本で2番目に日照時間が長い
八ヶ岳山麓にありながら、傾斜の少ない土地がら
等の魅力から、ペンション村ができ、近くには、クラフト製品をつくったり
絵を描いたり、個性的な暮らしを送ろうとするプロの芸術家も住みついて
いるようで、環境へのこだわりもあり、
この村を多様性と個性のある存在に育てています。

ゆったりしたロビーがあり、冬のさなかですから、お客も我々夫婦だけ、
雪道を少し歩いたり、ロビーでゆっくり本を読んだりして過ごしました。

読み終えたのは、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(土屋政雄訳)


これは何とも不思議な、印象に残る小説です。

本の裏表紙にはこうあります

・・・優秀な介護人キャシーは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。
生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。
キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす・・・彼女の回想は
へールシャムの残酷な真実を明かしていく・・・・

土屋氏が訳した『日の名残り』等は原語で読んだので訳書は今回初めてですが、
名訳と思いました。キャシーの語りを「です・ます」調で訳したのも
成功でしょう。

間もなく、映画が日本でも公開されるそうですが、小説の仕掛けを
上の裏表紙の宣伝文句以上に話すかどうか悩むところですね。


「訳者あとがき」によると

・・・イシグロ自身が、本書の小さな一部にすぎないから、なんなら本の帯に
「これは・・・についての物語です」と書いてくれてもかまわない、
とも言っている。・・・

ソルボンヌ大学の英文学の教授がイシグロにインタビューし、OKの
お墨付きをもらったものの、学生相手に本書の紹介をするときはやはり謎を
明かせなかった、という話もある・・・・


この気持ち、とてもよく分かります。


推理小説の謎や犯人を明かしたり感想を書いたりする以上に、この
物語について語るのは難しい。

「心に残ります」としか言えないような、
そういう小説があるのだ、としみじみ思いました。