続くこと・終えること

ksen2010-05-15

1.5月に入って10日から21日まで東京に居る予定で、
連続してこれだけ長い東京滞在は、おそらく13年ぶりです。

電車に乗ったり、渋谷や新宿に行く機会も増えますが、何とも人が多いし、
みんな忙しそうですね。ちょっとまだ、疲れるというか、
この空気に入っていけない感じです。


それはともかく、この間の私自身の課題としては、

(1) 自宅での「居場所」を確保・整備すること


(2) 日々の暮らしの「リズム」を考えること


(3) 新しい(といっても殆どは旧来の復活ですが)
人的ネットワークを構築すること


(4) その他もろもろ(例えば、7月中旬から3週間ほどロンドンの
娘の家に滞在する予定で、その準備・調査など)

といったところでしょうか。


2.このうち、「生活のリズム」で言えば、いまのところ、
朝食のあと小1時間の散歩を続けています。


「北沢川緑道」というのが近くにあって、なかなか気持の良い散歩道。

散歩道はまだ先まで続いていますが、私は、小田急の走る「梅が丘
という街まで行って、図書館でしばらく休んだり、
駅構内「オーガニックカフェ・GIO」でコーヒーを飲みながら本を読んで、
また戻ってきます。


こういう場所に居る限り、人は少なく、居ても老人や子どもを連れたお母さん、
学生らしい若者などで、まったく疲れません。


「緑道」は、農業用水路を、一部を埋め立て、一部を小川にして草花を植え、
桜並木も出来ました。

小川の水は下水を再生させているという説明もあります。


3.この散歩、いつまで続けるかどうか分かりませんが、歩きながら、
「続ける」ということについて考えました。

長らく愛読していた「http://kawausotei.cocolog-nifty.com/
かわうそ亭さん」の5月7日付けブログに以下のような「休止のお知らせ」が
りました。
“少し思うところあって、ウェブのアクティヴィティを休止することに
しました。
読書雑録「かわうそ亭」は、HP時代から数えると、10年以上、
ブログに移行してから、もう6年がたっていました。おかげさまで楽しい
出会いが多かったなと感謝しています”

これに10人の読者が「残念・有難う」といったコメントを寄せています。
許しも得ずに勝手に幾つかを引用します。


(Aさん)
「思うところあって」…分かります。
ブログってそう、虚しいところがありますよね。
不特定多数を相手に発信する…
たまにコメントが入ったりしてそのときは「ああ、読んでくれてるんだなあ」
と思いもするけれど、よほどのことがないかぎり、そこから何かが発展していく
ということはまず、ない…

所詮、自己満足や遊びの範疇でしかないものなのかもしれませんね。


(Bさん)
私の一番のお気に入りのブログでした。ここに匹敵するブログは、
私には見つかっておらず、さみしいといったらありません。
このブログの記事を通して、私は自分の世界を広げることができました。
俳句や短歌に関心を持つようになったり、ここで紹介された本を図書館で
探して読んだり、一部の記事は、時間をおいて読み返したりしています。


(Cさん)
歳をとると、毎日が同じように続くことが最高の慰めになります。
このブログがなくなるのはその一つが失くなる事で、さびしい限りです。
「逝く春や 昨日と同じ今日が佳し」

4.ということで、惜しまれつつ休載する・・・。

かわうそ」さん、私的ことを一切書かないのでどんな人か
全く分かりません。


因みに、他人に見せる文章(ブログも含めて)は、
「こういうことは書かない」という
規律〔ディスプリン〕が一番大事ですね。
(私自身、なかなか守れませんが)。

つまり、「(これを)書く」ということは「(これは)書かない」
ということの裏返しな訳です。


例えば「ここの〜はうまい」とか「ここは取っておきのレストランだとか」
は決して書かない(もちろん書く人がいてもいいけど、自分は書かない)。


もちろん他人の悪口は(それが、仮に有名人であっても)
書かない。


つまり、自分の(つまらない)感想は載せない、
まして「ああ至福の音楽を聴いた!」
なんて安易に感激しない・・・とか。


そういう意味で「かわうそ」さんは、「私」について一切語らず、
安易な印象論や感想・感激を表に出さず、基本的には読んだ本
(それも、小説・評論・詩・短歌・俳句が中心)についての冷静な
批評に徹していたように思います。


「これ(だけ)を書く」という意思の姿勢・・・を学んだように
思います。


私は、(たぶん、このサイト、Cさんに教えてもらったと思いますが)
いちどもコメントを書いたこともなく、怠惰な・しかし熱心な読者でした。


匿名なので分かりませんが、おそらく普通の市井の人だろうと思います。


そういう「普通の人」による「良質な発信」が、ブログの最大の魅力
(まさに梅田望夫のいう「良貨が悪貨を駆逐することを期待する総表現者社会」
の実現だと思うだけに、今回の休載はたしかに残念です。


5.しかし、同時に、「期限を区切ること」「やめること」の大切さ
も教えてくれたように思います。

よく「持続することが大事だ」といいますが、他方で、続ければいいって
もんじゃない。
いつかは終わる。どうやって終えるか?
どこで区切りをつけるか?

自分なりに何か目標を設定して、それなりにそれが成就できたらやめるか。

それとも、全く関係なしに、ある日、突然「思うところがあって」
(「思うところ」は他人に伝えられるような内容ではあるまい)やめるか。

自らの人生の終わり方についても、考えさせられました。