『逝きし世の面影』と『坊っちゃん』

引き続き、『逝きし世の面影』に関心をもっていただき、
まことに感謝いたします。
ということで、同じ話題で恐縮です。

1. 柳居子さんの、「世間様への意識」「静謐(せいひつ)という雰囲気」という
2点で日本も日本人も変わってしまったという嘆き、同感いたします。

前者についても触れたいことがたくさんありますが、紙数がパンクするので省略。
後者に多少関連して、「逝きし世」の自然について著者・渡辺京二氏が言うところを
以下に紹介いたします。


・・・・欧米人が賛美したいわゆる日本的景観は(略)日本人の自然との交互作用、
つまりはその暮らしのありかたが形成したものだ。ましてや景観の一部としての屋根舟
や帆掛け舟、船頭の鉢巻、清らかな川原、そして茅葺屋根やその上に咲くいちはつ
に至ってはいうまでもない。つまり日本的な自然美というものは、地形的な景観としても
ひとつの文明の産物であるのみならず、自然が四季の景物として意識の中で馴致された
という意味でも、文明が構築したコスモスだったのである(P.474)

まことに、四季を愛でるというのは、日本人に生来の「万物との照応を自覚することに
よって生まれた生の充溢」(同)なのでしょう。

週末、英国から一時帰国した友人夫妻を案内して蓼科高原や原村の秋を堪能しつつ、
そんなことを考えました。
下は、御射鹿池(みさかいけ)の10月25日の写真、2週間前はまだ紅葉して
おらず、その折りの写真は前々回のブログに載せました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20101013

2. 中島さんのコメントも興味深く拝読。
「自然と具象に生きる江戸庶民」が生きていた「総体としての文明の
(それも美しい面の)面影は残念ながら、私は経験した記憶が無い」

という感想を読みながら、実は漱石の『坊っちゃん』(明治39年1906年)を
思い出しましたので、そのことを書いておきます。


3.『逝きし世の面影』から漱石への連想は、すでに我善坊さんがコメントで
触れておられますが、漱石が、出自からして江戸の倫理観・価値観を大事にして
いたことはつとに江藤淳等が指摘しています。
  
坊っちゃん』にもそれは濃厚に出ており、
「日本のユーモア小説として永遠に読み継がれるだろう」と岩波「漱石全集」の
帯にありますが、そのユーモアは彼が好きだった落語の語り口を
倣ったものでしょう。
そして中心となる主題は語り手である「坊っちゃん」の「江戸っ子」である自覚に
尽きます。現代の流行語からすれば、田舎に対する「差別的表現」も
ここから生まれる。

小説の時代は明治の末というのに、「おれは江戸っ子だから(陶器のことを瀬戸物というのかと思っていた)」

「こんな者を相手に喧嘩をしたって江戸っ子の名折れだから・・・」
以下は山嵐との会話
「おれは江戸っ子だ」「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」

・・・・等々

しかも大事なのは、彼が、江戸っ子は、単純で、策略やお世辞が嫌いで、無鉄砲で
軽佻浮薄なおっちょこちょい(「江戸っ子のぺらぺら」と自ら言うところがある
ように)であること、そういう存在は、「近代社会」
においては敗者たらざるを得ないことを深く自覚しているということです。


4. 最後に、本書の基調低音というべきものは、「清(きよ)」の存在と
坊っちゃん」の清への想いです。著者がいちばん書きたかったのは
ここだろうと思います。
そもそも『坊っちゃん』の本名は出てきませんし、

「おれが東京へ着いて下宿にも行かず、かばんを提げたまま、清や帰ったよ
と飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ早く帰って来て下さったと涙をぽたぽた
と落とした・・・」
という通り、清の呼び方を本書の題名にしたことからも、漱石の意図は明らかです。

そして、それがまさに『逝きし世の面影』の第7章「自由と身分」に紹介
される、西欧人を驚かせた親和感あふれる(上下の)人間関係です


・・・「自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と
雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも、彼らの立場は従属的でなく
責任を持たされているのはたいへん興味深い・・・」(P.279)


清と坊っちゃんの関係は、まさに上の記述の代表例といえましょう。

しかも、こういう人間関係は(私事に触れるのは紙数もあって避けますが、私自身の経験から
断言できることは)昭和の時代にも存在したのです。


5. 清は、「10年来召し使っている下女」であり「婆さんである」。
しかし、この2人は肉親以上の「絆」で結ばれている。


彼女は失敗や迷惑ばかりかける「坊っちゃん」が大事で、可愛くて仕方がない。


四国の中学校の教師になって赴任しても、坊っちゃんは清のことばかり思い出している。


そのくせ、清からの借金を返す気はないし、碌な便りもしない。


・・・・こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの
真心(まこと)は清に通じるに違いない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要は
ない・・・・・

坊っちゃん』の最後が清のことで終わるのは、だから当然であるが、
その段落の始まりが

「清のことを話すのを忘れていた」とあるのは、大事なことはさりげなく言うという
いかにも江戸っ子らしい「照れ」であります。



坊っちゃん』を私は何度読んだか分からないのですが、いつも最後になると
自分自身の、たまたま同じ「清」という名の、虚弱な私を育ててくれた
女性のことを思い出して、不覚にも涙がとまらなくなるのです。


・・・・死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ
埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待って居りますと云った。
だから清の墓は小日向の養源寺にある。・・・