EU残留を問う英国国民投票と現役政治家を襲った悲劇

1. 我善坊さん有難うございます。コメントを拝読しながら、学校秀才とは何か?そ
もそも教育、とくにリベラル・アーツ教育について考えました。「仰げば尊し我が師の恩」と歌った、私のような古い世代には、教育が人格陶冶の場ではないかという思いが抜けません。

2. 十字峡さんのコメント(「漱石の坊ちゃんのお手伝いさんは清(キヨ)でした」、ご
指摘の通りです。最後の3行は何度読んでも胸が熱くなります。
――「死ぬ前日おれを呼んで坊ちゃん後生だから清が死んだら、坊ちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある」
漱石はここを書きたいためにこの小説を書いたのではないでしょうか。


話は変わりますが、前回、香港に住む中国人がはじめて、海のない山国の田舎の寿司屋にやって来たという話を書きました。
コメントに十字峡さんの名前を拝見し、中国人の観光客とも関連して、京都検定1級の同氏の5月20日ブログを面白く読んだことを思いだしました。
京都の延暦寺で中国語やドイツ語の絵馬を見つけたという内容です。
http://d.hatena.ne.jp/mfujino706/20160520

絵馬も国際的になったものです。日本の神様仏様もこれからはドイツ語まで勉強する必要がありますね。

3. ところで以上は前置きです。
今回は、1週間後に迫った、EU残留か離脱かを問う英国の国民投票について触れようと思っていましたが、イングランド北部ヨークシャーの田舎で17日に白昼、現職の下院議員が射殺されるという悲劇が起きてしまいました。
アメリカと違って銃規制の厳しい英国では信じられない出来事で、現職政治家の殺害は1990年以来だそうです。この時はアイルランド独立を主張するIRSの犯行でした。


犯人は即逮捕されたが、動機はまだ分っていない。
残留派も離脱派も哀悼のため、キャンぺーンの一時中止を決めました。
被害者は、41歳の労働党の新人議員で、2人の幼い子どもの母親で、将来をもっとも有望視された「rising star(希望の星)」と英国のどのメディアも伝えます。


労働者階級の家庭に育ち、地元の公立学校に通い、家族で始めて大学、しかも名門ケンブリッジ奨学金で入学。


その後、オックスファムの政策担当などNPOで働きました。英語では「チャリティ・ワーカー」という言葉を使います。「チャリティ」は非営利の社会貢献組織のこと。
オックスファムもその1つで日本にも支部があります。
http://oxfam.jp/aboutus/
このサイトから「歴史」を紹介すると、
―――1942年、ナチス軍による攻撃で窮地に陥っていたギリシア市民に、オックスフォード市民5人が、食糧や古着を送ったことが、オックスファムの始まりです。「オックスフォード飢饉救済委員会(Oxford Committee for Famine Relief)」という名で、その後、オックスファム(Oxfam)と名称を改めました。 1948年にオックスフォードで市民レベルでの活動を開始するとともに、ヨーロッパの戦後復興、難民支援、自然災害に対する緊急支援などを行ない、その支援活動の歴史を刻んできました。―――


コックス議員はチャリティ・ワーカーを経て2015年に下院に初当選した新人、ばりばりの庶民派、人権派です。野党労働党の大方の議員と同じく(現党首も、元首相のブラウンやブレアもロンドン市長サディ・カーンも)EU残留を支持していました。


英国紙ガーディアンはこれは、人道主義、理想主義、民主主義に対する攻撃である」と社説に掲げ、ケンブリッジの大学生活が自分を変えた、と生前語っていたという逸話を紹介しています。

――「それまで私は、政治にも労働党にも何の関心も持っていませんでした。
それが、ケンブリッジに入学して、この国では、どういう生まれか?どういう喋りかたをするか?誰を知っているか?などがとても大事なんだということを知ったのです。
私はと云えば、そんな上流階級の喋り方なんか知らなかったし、然るべき人間なんて誰も知らなかった。友人たちが海外旅行を楽しむ夏休みには、父親の働く、郷里の歯磨き製造工場でアルバイトをしていました・・・」―――

英国は、惜しい女性を亡くしたものです。


4.この悲劇が、23日の国民投票にどのような影響を与えるかは分かりません。
残留派・離脱派それぞれのキャンペーンが熱を帯びていること、ここにきて「離脱派」が支持を増やしていること、それを不安視して市場が荒れていること、お互いのキャンペーンが中傷合戦にもなっていること等、日本でも詳しく報道されています。
経済面からすれば、EUに残った方が英国にとってプラスなのは常識ではないか、と私など思いますが、それぞれに理屈と感情があって、世論は二分されています。

他国のことですから第三者の無責任な意見の表明は避けたいと思いますが、アメリカのヒラリー対トランプの場合と同じように、個人攻撃や中傷合戦に陥ることは、見ていてがっかりします。
日本の選挙運動もそれだけは避けて欲しいと思いますが・・・・


たまたま、数日前に職場の元同僚4人で蕎麦屋で憩いましたが、
「英国のEU離脱を問う国民選挙、米国大統領選が主な話題になりましたが、なんといっても話題の中心はUK選挙でした」とあとで幹事がメールで報告してくれました。
一番爺さんの私と某さんの2人が「そうは言ってもいざとなればイギリス人の良識が働くだろう(つまり最後は残留に落ち着くだろう)との感触。一方、比較的若い2人は「何が起きるか分からないのが最近の風潮。余談は許さない」との見方。
「どんな結果となるか見ものです」とありました。


もとの職場は海外での仕事が専門で、殆ど誰もが英米勤務があり、引退してもこういう出来事に知識と関心を持ち続ける人が多く、話題も盛り上がります。

最後に、私がこの問題の英国での流れを見ていて感じるのは、
とくに保守党がまさに真っ二つに割れている、現職の議員のみならず、閣僚でさえ、残留・離脱の両方の支持者がいるという現状です。
これは結果がどちらになっても、その後の保守党に亀裂を生むのではないか、
と同時に、ある意味でこれが健全な民主主義ではないかとも思います。
アメリカもそうですが、「党議拘束」なんてものはない。
それに比べて、この国は、党が決めたことへの反対を許さない。これはどこから来たのでしょうか?
まさに福沢諭吉の言うように、
「自由の気風はただ多事争論の間にありて存するものと知るべし」
ではないでしょうか? 自由民主の党名が泣くのではないでしょうか?