6月の蓼科はれんげつつじや金ぐさり

1. 先週は数日、田舎で過ごしました。築40年の古い家でいろいろ手直しが必要になって、工事に立ち会うという用事もありました。畑の野菜の育ちぐあいも見てきました。


6月の蓼科は田植えが終わって田には水が貼り、新緑の林には、のんびりとかっこうの鳴き声が聞こえ、散歩するとれんげつつじや金ぐさりが咲いています。
1か月前の5月連休は写真のように

まだ八ヶ岳に雪が残り、花桃が美しかったのですが、すっかり自然が変わりました。夏の最盛期にはまだ早いので人も車も少なく、ほっとします。


鄙には稀な、しかしごく庶民的な、主人ひとりだけの寿司屋のカウンターに座って、この日は他に誰も相客がいなくて、岡谷の「高天からくち」本醸造というこれまた庶民の酒を飲みながら、40代の「大将」とお喋りをしました。


「うちみたいな田舎の小さな寿司屋にも、今年の冬は初めて中国人のお客が来ました」と報告してくれました。


「それはいいニュースだ。こんな田舎にも外国から来てくれるなんて楽しみだね」と応じたところ、昔気質の師匠から「若いもんが客とちゃらちゃら喋るんじゃない。黙ってしっかり握れ」と厳しく修業されたという大将が、そのときばかりは、写真を撮ってあげたり、調理場まで案内してあげたり大サービスだったそうです。


「香港から来たと言ってましたが、家族連れで、お互いに英語で喋っていました。
“私たちは中国人じゃない”って言ってましたよ」という話で、
「そんな会話よくできたね。注文もよくわかったね」と訊いたところ、彼はアイ・パッドを持っていて、これで検索すると英語が出てくるので何とかなるそうです。「自分たちは中国人ではない」と英語で語る香港人がいつまでそういう風に暮らせるか、ちょっと気にもなりました。


この「大将」ですが、わりとウマが合います。余計なお世辞は言わない。こちらが年金生活者であることを充分知って、贅沢なネタは出さない・・・・けっこう気を使ってくれます。それでいて修業時代の話など、なかなか含蓄のある話をしてくれます。


ここ蓼科はまあ観光地ですから、夏には、名も顔もそこそこ知られた芸能人が入ってくることがある。ところが大将は、そういう有名人にも、騒いだり、特別待遇をしたり、「サインをお願いします」なんてことを一切言わない。貰ってないから当然ですが、サインなんか飾ってない。
「そういう普通の扱いを気に入ってくれる人も中にはいますが、だいたいは、ちやほやされる方が居心地いいんでしょうか。その後あまり来て頂けません」と言って、それを気にする風もありません。


2. たしかに、私たち庶民ばかりが安酒を飲んでいる小さな店に、有名人が現れたら、対応が難しいかもしれません。
いま話題の某都知事がお見えになったらどうでしょうか?
この人、あまりに話題になり過ぎて、こんな拙いブログに取り上げるのも馬鹿々々しいですが、・・・・それでも少し気になるのは、この人がいちおう、同じ大学の同じ学部を卒業しているということです。


もちろん私のような凡才と違って、おそらく大秀才で、だから卒業後大学に残って助手になり、助教授になったのでしょう。


助手に残るには成績最優秀のほかに、指導教授が見込んで、推薦し・引っ張る筈です。引っ張られた方は「お師匠さん」と呼んで、一生その先生について行きます。


例えば、丸山眞男南原繁の師弟関係はよく知られています。丸山さんは敬愛をこめて師匠のことを度々回想しています。本当は西洋政治思想に興味があったが、南原さんに「君は日本政治思想をやれ」と言われて(南原さんの専門はドイツの政治哲学)そこで一生が決まったということを含めて、大きな影響を受けました(丸山が師匠と違ってキリスト教の信者にはならなかったというのは興味深い問題ですが、話が逸れます)。


つまり私が気になるのは、某都知事の「お師匠さん」は誰だったのか?

この人のどういうところを見込んで、助手にしたのか?その後どういう論文指導をしたのか?師匠と弟子の関係は、寿司屋の「大将」の話を聞いても、人格・品性・マナーの指導が含まれるように思うが、そこはどうだったのか?つまりどんな修業時代だったのか?
というようなことです。


こういう人を助手に選んだ「お師匠さん」の品性や良識が、某都知事の品性や良識以上に問われているのではないか?もちろんもう存命ではないでしょうが、生きていたら、さぞ自らの選択や大学での指導に悔いを感じたのではないか、という気がします。

3. 最後に、これまた私事ですが、先々週の日曜日に、亡き母の13回忌の法要を執り行いました。小平霊園で浄土真宗の僧侶に読経してもらい、そのあとの「直会」にも参加して頂きました。
総勢25人の子供、孫、ひ孫の世代が集まり、中には単身赴任の遠い地方から駆け付けたり、海外から出てくれたりした孫もいて、「それって、いま話題の“公私混同”じゃない?ひょっとして、ファースト・クラス?」などと冗談を言われながら(もちろんそんな身分では毛頭ありません)、賑やかでした。
一人一人が、母の思い出や近況報告をし、大学生や高校生のひ孫の世代も立ち上がってきちんと喋ってくれました。


お坊さんが、何度も「いろいろな法要に出たが、13回忌でこれだけ大勢集まり、しかもこれだけ楽しく賑やかな会は珍しい。故人の人徳でしょう」と言ってくれました。
「中には、お通夜の席で身内同士の醜い争いになることもあります。そういうご家族はその後の法要に一緒になることはまずありません」・・・・とも。
まあ我が家は、争うほどの資産も土地も何もないので当たり前ですが。そう言えば、昔母が作ってくれた小さな・小さな墓には、父母の他、他家に嫁に行った上の姉や戦後未亡人になった貧乏時代の母を支えてくれたお手伝いの清さんも分骨して一緒に眠っており、窮屈ながら賑やかでしょう。
そこでまた、週刊誌の見出しを電車の吊り広告で見ただけですが、某都知事は、親族や身内の誹謗中傷が激しいようだということも思い出しました。
学業成績優秀で、偉い「お師匠さん」にも恵まれた人なのでしょうが、身内との付き合いはあまり幸せそうじゃないな、とちょっと気の毒に思いました。

4.以上、今回は私事ばかり書き連ねました。