紅葉はちょっと早いけど京都の秋・上村松園展も


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8日付姉小路さん、
「ゴスペル」の旧名が「お転婆キキ」は知っていましたが、これが古い映画の
題名とは知りませんでした。さすがの物知りに感心しました。
フェアバンクス・ピッグフォード、何れも、亡くなった母親
から聞いた名前です。


ということで今回は「ゴスペル」から始まり、京都の秋の話題です。
(写真は友人のを一部無断借用しました)


1.11月某日、友人夫妻3組が上洛して、あちこち動きましたが、
「ゴスペル」にも案内しました。

ここでゆっくりお昼をおえて、そのあと銀閣寺を訪れようと鹿ケ谷通りを歩いていたら
お店の馴染みのお嬢さんが走ってきて、「川本先生!」と呼ぶのでびっくりしたら
お店に忘れたマフラーを走って届けてくれました。

年を取ると(若い時からかも・・)、本当に、こういうことが増えます。


2.「ゴスペル」の店内はゆっくりしていて、(原則は閲覧用に)
きれいな本も何冊か置いてあります。
数年前、ドイツに永住している友人の妹さんが婦人の友社からドイツ菓子の
本を出したというので、妻が厚かましく奥様(お転婆キキ?)に頼んで
1冊置いてもらったところ、買いたいという人が現れました。
じゃあもう1冊と1年前にまた置いたところ、「また買う人がありました」
とお代を預かりました。

きれいな写真入りで高価な本ですが、さすがに京都の北白川に近い
住宅地。妻のアイディアが成功しています。


3.銀閣寺ほか、紅葉はまだちょっと早い時期でしたが、それでも
多少色づいており、南禅寺哲学の道もだいぶ人出が出ていました。
夜は高台寺のライトアップにも行きました。

3.翌日は朝「イノダ」で朝食のあと仲間と別れてひとりになり、
頂いた切符があったので、京都近代美術館に「上村松園」展を見てきました。

上村松園は言わずと知れた、美人画で知られる日本画家。まだ女性の画家など
誰も考えもしなかった時代に未踏の道を切り開いてきました。

女性で初の文化勲章受章者(1948年)
「序の舞」は重要文化財です。

ただ、私がいちばん驚いたのは、
第2次世界大戦のさなかに描いたのも戦後になって描いた絵も、
題材も画風も登場人物も昔と
まったく変わらないということです。

写真は、
・「晩秋」(1943年)
・「牡丹雪」(1944年)
・「待月」(1944年)
そして、
・戦後の「若葉」(1949年}


戦争中、とくに末期の1944年と言えば、



防空演習に参加しなければ非国民と言われ、
空襲警戒が鳴ると灯火管制におかれ、食べるものもろくになく
いつも餓えていて、女性の殆どが「もんぺ」をはき、
「燃える1億火の玉だ」
だの「我らは皆、力の限り、勝利の日まで!」と歌っていたこの時期、

これは何だ?
まあ、京都に生まれ育ち、戦争は日常生活にあまり影響を
及ぼさなかったということはあるのでしょう。
(例えば、空襲にあったり、身内が戦死したり
という体験はなかったのではないか?)


それにしても、これもまた、一種の「反戦」の構えなのか。
戦争中だからこそ「逝きし世の面影」を追うことに徹しようとしたのか?


4.いろいろ考えているうちに、よく分からなくなり、

美術館を出て、そのまま高倉竹屋町まで歩いて、KSENの仲間・藤野さん
お勧めの「○竹ラーメン」でお昼を頂きました。

ここは「日本で最初の魚だし」の中華そばという触れ込みです。


ということで、私の京都の秋はたぶん終わりです。