京都花街の映画「はんなり」

我善坊さん、さわやかNさん、まことに有難うございます。
「なぜいまリンカーンか」という硬い話に付き合って頂き光栄です。
何れも大事なご指摘でフォローしたいのですが、今回は別の話題があり
取りあえずお礼だけで失礼します。

十字峡さん、 16日付ブログ
へのコメント有難うございます。
さすが生粋の京都人。上村さんのお宅のすぐ近くにお住まいなのですね。


ということで、今回は、もう1人の京都人・柳居子さんの関わった
京都の花街を題材にしたドキュメンタリー映画「はんなり」を観た報告です。


1. 東京は渋谷にアップリンクという小さな映画館があります。
東京に居る時間が多くなって、渋谷は自宅から格好の散歩コースなので
あちこち歩いているうちに発見しました、50席ぐらいの、しかも座席も
移動式でサロンで映画を鑑賞している気分。

ここで、先日は「ANPO」(日本暮らしの長いアメリカ人の女性が
60年安保紛争を映画化したドキュメンタリー)を観ましたが、

いまは「はんなり」をやっています。
http://www.hannari.info/

2. 上七軒、宮川町、先斗町、島原、祇園など京都の花街とそこで生きる
女性たちをたくさんのインタビューを入れて、曾原さんというアメリカにすむ
日本人の女性がプロデュース・監督しました。


3. この映画製作にあたって大いに協力したのが京の友人・柳居子さんで、彼の名前も
最後の「お世話になった人への感謝」の画面に出ています
アメリカで作って、ナレーションも英語で日本語の字幕付きですから
彼の名前もローマ字です)
柳居子さんは、前にこのブログでも紹介したことがありますが、かのモルガンお雪
さんが祖父の妹さんという血筋で、いまも祇園にご親戚が「かとう」というお茶屋
経営、お雪さんは明治時代、ここから舞妓に出ていました。


ということで、映画には「かとう」での宴席やそこで芸妓さんが「黒髪」
を踊る場面が出てきます
(何も分からないけど、この「黒髪」いい踊りですね)


たまたま観たのは上演初日で、監督のご挨拶があり、「なぜ観ようと思ったか?」
と観客が1人1人訊かれたので、私は「柳居子さんとのご縁」と答えたところ
「柳居子さんの協力がなかったら、この映画は出来なかったと思います」
というコメントでした。

この映画については、同氏はご自分のブログに載せています。
以下のサイトです。


http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/200711170000/
http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/200812050000/



まずは柳居子さんからのメールを引用いたします。

・映画製作にあたっての同氏の役割は
スタッフ キャストの割り振り 撮影場所の選定 知事や市長のコメント取り 
メディア対応 日経の最終面文化欄までゲットしました。

また
・監督の曾原三友紀さんは、
「ラスト サムライ」にも出演していた
全米俳優協会所属の女優さんでもあります。
芸妓・舞妓の役どころが多いのですが、芸・舞妓に対する欧米の認識が、
芸者ガール 売春婦と受け取られるケースが多く、其れを是正したいと言うのが
制作の最大のコンセプトです。


また以下のようなコメントもありました。
・ 花街と言うのは歴史的な経緯を見ると、確かに不可触領域のある世界です。
しかし近年は、暗いイメージはほぼ払拭され 最高のおもてなし文化
その様な捉え方が定着してきています。


5.以下は私の感想です。


(1)映画そのものはたいへん面白く、よく出来ていると思いました。
英語の解説もナレーションも事実を丁寧に説明するというやり方で
よかったです。知らない世界でもあり興味深かったです。
島原は映像で初めて知った場所ですし、いまでも太夫さんが
いるのですね。
上七軒の北野踊りは花柳でこれは歌舞伎風、他方で
祇園は井上流でこれは能を取り入れているなんていうのは勉強になり
ました。


舞妓さん・芸妓さんの熱心な修業ぶりも印象に残りました。
踊りもお茶も三味線も、礼儀作法も、お客さんと会話のできる教養一般も、
身につけなければいけない、こういう「一級品」の日本女性はいま
花街にしかいないのかもしれませんね。



(2)ただ、花街という世界そのものについては、
見ていてアメリカ人の方がいっそう喜ぶかな という印象も持ちました。
何というか、私のような教養のない日本人だと、「所詮全く違う世界で
我々一見さんには縁のない場所が(同じ日本に)ある」というのは、
たとえば、「お金持ちの日本人が運転手つきのベンツに乗って星のついたフランス
料理で超高級ワインを飲んでソムリエとワイン談義を交わしている、
そういう世界もたぶんあるだろうな」
と思うところに似ているといったらおかしいかもしれませんが。


これに対して、西洋人であれば、もともと自分とは違う「異文化」ですから、
客観的にみられる、という距離感の違いでしょうか。
例えば、日本人がテレビか何かで、イタリアのオペラがどんな風に上演される
かを 歌手の努力や舞台の苦労を通して観る・・・といった時の安心感
(よその世界のはなしを異邦人として感心して見ている)
に似ているといったらよいでしょうか。


(4)ただ、映画の中であるお茶屋のおかみさんが話していましたが、
「舞妓・芸妓が一人前になるのは修業を重ねたり、衣装を用意したり、
たいへんにお金がかかる。いまはそれを個人のスポンサーやパトロン
期待できる時代ではない。」
となると、どうするか?

こういう文化を市民が支えていくということが可能なのでしょうか?
それとも、そうなると、いわゆる「お馴染みさん」の文化によって
維持されてきた良さは薄れてくるのでしょうか?
難しいものですね。


ネット時代を反映して、下のように、後援会も
出来ているようですし、
http://skykyoto.com/2007-12-21-45
芸妓さんによってはサイトを開いたり、ブログをやったりする
人も出てきているようです。
http://e-koito.com/
(ただし、上の2つのサイト、ちょっと私には分かりにくかった)

「閉ざされた文化の良さ」を残しつつ、「開かれた文化空間」
を目指すという難しい課題に挑戦しているのだろうと思います。