京都の続き:「玉の輿の日」などと英国からの便り


1.柳居子さんから丁寧にお礼を頂いたので、いま少し京都の話を続けます。
12月6日朝「イノダ」の円卓で柳居子さんとお喋りをしていたところ、氏の友人の常連も参加して、話題は拡がりました。
その1人は幼少時、祇園宮川町の花街にある小学校に通ったそうですが、その頃の思い出や現代の変貌ぶりについて語ってくれました。
この話は11月19日付の柳居子さんのブログに詳しく書いてありますが、
http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201511190000/
一部紹介すると、「私のお父さん」という題で作文を書かせた先生がいたそうで、
出てきた作文には、お茶屋さんの子供なのでしょう、
「お父さんは、週に1度だけ家に来ます」
「お父さんは3人います」
「昨日は珍しく、お父さんが朝まで家にいました」・・・等々があった由。
こんな時代や場所があったのだと、不謹慎とも思わず、思い出話を面白く聞いたのは当方がそれだけ老人になったせいでしょうか。
 この先生、学校やPTAから顰蹙をかったそうです。小さい頃からユーモアを身につける訓練だと、余裕をもって接してもよかったのではないかと私など思いますが、当事者ではないからそれだけ無責任なことが言えるのかもしれません。


2.何れにせよ、東京での友人との付き合いではこんな常識を超える話は聞けないなと思いつつ、京都滞在を楽しみました。
半年ぶりですが、ホテル代が高騰しているのにいちばん驚きました。内外からの観光客がそれだけ急増しているということでしょう。
従弟にホテルマンが居て、法事で会ったのですが、この業界はバブル以上の好景気だそうです。

ただ、京都の街はますますきれいになっている印象を受けました。
目障りな看板の撤去(撤去費用は自己負担)、四条通りの歩道を拡げて(以前もかなり広いと思いますが、さらに)その分、車道は片側一車線に削ってしまったこと。四条通りは、車を運転してナビを入れても出てこないそうです。かなり徹底しています。
5年がかりの事業だそうですが、これで電柱の地下化が実現すれば(すでに祇園の花見小路では実現済み)、世界でも1,2を争う町並みになるのではないかな、と感じました。


ちなみに柳居子さんは私より5歳ほど年少ですが生まれつきはともに1月の末であるとが分かり、「1月20日が何の日か知ってる?」と訊かれて「玉の輿の日」だと教えてもらいました。
「ネットに出てますよ」と言うので、帰京して早速検索するとちゃんとありました。
その理由として、「1905(明治38)年のこの日、祇園の芸妓お雪が、アメリカ政府や産業に強大な影響力を持っていた金融業モルガン商会創始者(J.P.モルガン)の甥、ジョージ・モルガンと結婚したことから玉の輿の日といわれています。 落籍料は当時のお金で4万円だったといわれています。 お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれています」とありました。
彼女が柳居子さんの大叔母に当ることは、このブログでも以前紹介しました。


3.京都そして観光客と言えば、以前のブログで英国からやってきた6人の好奇心あふれるパワーフルな女性軍団を紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20151129
先月の下旬、無事に帰国したそうで、案内役を務めた、英国人のオックスフォード大卒の上流階級と結婚した日本人女性ミセスDからメールが届きました。
以下一部引用です。
「(私たちと東京の国際文化会館アフタヌーンティーを一緒にした)翌日、広島のゲストハウス(1人4000円)に1泊して、近くのお好み屋さんで広島風お好み焼きを食べ、その足で近所のスーパーに行きお好みソースを買い(昆布を買った人も)、ソースを持ち歩いたまま有馬温泉、京都と旅を続けました。
朝7時から午前1時まで1日平均8キロを歩きました。
宮島の厳島神社能舞台では、表千家と裏が隔年で交互に神前に献茶をする式に見合わせ、茶道に関して質問攻めに合いました。


有馬温泉は、ローカル電車を乗り継ぎ、着いたのは静かな旅館でひと安心。
到着早々、お風呂の入り方が載ったチラシを頂き、抵抗があるのではないかと心配していた露天風呂も皆一緒に入浴。
朝風呂まで入っていきました!
夕食は、まだ頭が動いている生えびのお造りを目にして、震えた箸でそっと、しその葉をかぶせる場面もありました。


京都では、舞妓さんと2時間半におよび会話、踊り、お座敷遊びに盛り上がりました。
舞妓さんは17歳でしたが、友人たちの質問攻めにも、全く素晴らしく答え、堂々としていて、こんなしっかりした17歳が日本の女性にもいるのだと感心しました。

参拝の神社やお寺は、それぞれに事前に指定先を与えて、案内役を務めるようにお願いしたので、皆ウィキペディアやらであらかじめ調べて、案内をしてくれました。


金閣寺などの他、宝厳院の夜間参拝、苔寺での写経。
食事も居酒屋から京懐石、しゃぶしゃぶにすき焼きなどすべておいしそうに食べていました。ただ、どうも茶碗蒸しは苦手のようでした。

また、今まで全く買い物をしていなかったのですが、京都では、古い着物や、羽織、帯締め、骨董のお皿など清水周辺でかなり買い物をし、スーツケースを一杯にして東京に宅急便で送っていました
(日本の宅急便は本当に素晴らしい、と感動の声を何度も聞きました)

皆、東京に戻って銀座で中国人に交じって5000円のスーツケースをもうひとつ購入。
東京では結局、希望していた歌舞伎町歩きもカラオケも時間がありませんでしたが、百貨店やビックカメラなどでクリスマスプレゼント用にたくさん買い物をしたようです。

帰りは、幸運にも2人がファーストクラスで来ていたので、機内でシャンパンでパーティになり、12時間があっという間に過ぎ、帰宅後は皆、1週間は寝ていたようです・・・・・・」


4.以上、長くなりましたが、引用です。
ファーストクラスで来た人が居たとはさすが英国の上流階級だと、庶民との違いに大いに驚きましたが、
それは別にして、好奇心旺盛な英国人女性(40歳後半〜50歳代でしょう)のパワーに圧倒されます。6人皆で露天風呂に2回も入ったとは・・・
京都の舞妓さんの話も日本人として嬉しいです。
ミセスDの事前の準備と企画力(それぞれに、お寺などの案内役を指示する・・・など)にも感心しました。

最後に、以前のブログには、中国人の「爆買い」と比べて英国人女性は日本での買い物には興味が無さそうだと書いたのですが、

どうしてどうして、あまり変わらないようだ、と認識を改めました。