「権力の偏重」と丸山諭吉

1. 柳居子さん、有難うございます。
「下心有りで、国会議員を招待する宴席、定刻を過ぎても先生がやってこない・・・・」のエピソードを
たいへん面白く読みました。

「下心有りで〜」の出だしが、いかにも京都人らしいなと感じた次第です。
こういう話、よく聞きますね。

そう言えば、だいぶ前に、朝の「イノダ」での会話で、柳居子さんに「私は、何が嫌いといって、
いばる人間、傲慢な人間がいちばん嫌いです」と話したことを思い出しました。


2.実は、この手の話の根底にあるのは、ずいぶん大上段に来たなと思われるかもしれませんが、まさに
福澤諭吉が、『文明論之概略』の第9章「日本文明の由来」で、痛烈に批判している日本社会の「病理」で、
いまもあまり変わっていないのではないか。

つまり、「先生が会場を間違えた等と口が裂けても言えない・・・」という「(心理)構造」そのものに
「病理」があるのではないか。

もちろん「口が裂けても言えない」、その通りでしょう。
しかし、
「なぜ、言えないのか?言えばいいではないか。言って“そうか、済まなかった。私の勘違いだ”と発展する
ようなコミュニケ―ションは本当にこれからも成り立たないのか?」
(ひょっとして、私だったら、言ったかもしれない。
そういう、人間関係の機微をわきまえない人間だから、だからお前は出世しなかったのだ、と言われれば
それまでですが・・・)


3そもそも福沢は何を批判しているか?
この章の丸山さんの解説は相当、力が入っていますので、以下もっぱら、これを紹介します。


(1)「福澤(以下F)に対して批判的な人でも、Fの特色なり独特の見識なりが最もよくあらわれているとして
認めているのが、この第9章「日本文明の由来」です」


(2)「ここでFは、「権力の偏重」という彼独特の用語によって、あらゆる社会的、文化的領域に潜んでいる
人間関係の「構造的」特質を横断的に」えぐり出している。それは「おどろくべく斬新な社会学的な分析」である。


(3)Fによれば、「男女関係、親子兄弟関係等、あらゆる「人間(じんかん)交際」にもみな権力の偏重が現れている」
→ それは、およそ「力」として人間交際に現れるかぎり、あらゆる領域の活動にあてはまり、それ以外の権力に
よって制限されないと腐敗と濫用の源になるというのが、Fの根本の考え方です。


(4)「日本ではおよそあらゆる人間交際―つまり社会関係のなかに、権力の偏重がいわば構造化されているのだ、
というのがFの主張であり、また彼の最も独創的な思想です。」


(5)「そして、「権力の偏重」が日本文明の構造的特質なのは、この事実上の大小に、価値が入ってくるからだ、
つまり小より大の方が偉いのだという価値づけを同時に伴っている。それが問題なのです。」

つまり「権力の偏重が実体概念ではなく、関係概念なのだということ」


「特定のある人間が権力の偏重を「体現」しているのではなく、上と下との関係においてある。ですから、
上にたいしてはペコペコし、下にたいしては威張っているという「関係」が、ずっと下まで鎖(くさり)のように
つながっている。
ある傲慢な人間がいるのではなくて、同じ人間が下に対すると傲慢になり、上に対すると卑屈になる」――
そういう関係概念としてFの
「権力の偏重」をとらえるべきだと丸山は言います。

4.上の(5)の部分を、例によってFは、皮肉たっぷりに以下のように書きます。

「政府の吏人が政府中にありて上級の者に対するときは、その抑圧を受くること、平民が吏人に対するよりもなお、
はなはだしきものあり。たとえば、地方の下役らが、村の名主どもを呼びだして事を談ずるときは、その傲慢、
厭うべきがごとくなれども、この下役が長官に接する有り様を見れば、また憫笑(びんしょう)に堪えたり。
名主が下役に遇うて、無理に叱らるる模様は気の毒なれども、村に帰りて、小前(こまえ)の者を無理に叱る有り様を
見れば、また悪(にく)むべし」


こういうことが,日本社会の病理なのだと指摘したのは、
そして、「権力の偏重」という言葉でもって
日本社会の病理的な構造を法則として一般化したのは、Fがはじめて行ったことと
言っていいだろう、と丸山さんは言います。
平たく言えば、中根千枝もと東大教授が後に指摘する「タテ社会」ということになるのでしょう。


5.以上、今回は、もっぱら、福澤諭吉丸山真男(「丸山諭吉」と揶揄する人もいますが)の紹介に終わってしまいました。
最後に、私としては、前にブログに以下のように書いたことを思い出しました。

昔のゼミ生、今は勤め人になっている若者たちが京都のアパートに遊びに来てくれて、
会社の厳しさ(仕事の厳しさではなく、いわば「企業文化・作法」の厳しさ)を語ってくれ、
私はブログに以下のように書きました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20100330/1289795530

こういう企業文化の最大の問題は、「継承」ということです。
即ち、怒られ・殴られ、自分の意見は言えず、上司より遅くまで残り、
有給休暇も取らず・・・働いて・・・生き残れば、ある程度の立場になり
部下もできる・・・そうすると「自分もそうされたんだ」ということで
新入社員に同じように接する・・・・企業文化はいつまでも変わらない・・・・


これが、まさに「関係概念」の意味するところですね。
個人の問題ではなくて、「関係」「役割」が個人と権力を規定してしまう社会だということです。

6.「最後に」と言いながら、もう1つ続けてしまいますが、たまたま本日の東京新聞に、
井形慶子さんと言う人が「無礼な訪問者」というコラムを書いていました。
締め切り直前の超多忙なときに、アポも無しに、税務調査員が突然、編集部に現われて、
高圧的にいろいろ資料提供を要求する。
「困りはてて、税理士と話してと携帯を差し出したとたん」、急に弱腰になった様子をみて、
「素人なら権力をちらつかせ、専門家なら筋を通すということか」と彼女は憤慨します。
そして、こう付け加える。
「英国人は公務員に対し、私があなたの給料を払っている。だから私のために働いてと言う」。


冒頭の柳居子さんが聞いたという、「国会議員」に対しても、話の進み具合によっては、私だったら、
同じようなことを言ってしまったかもしれません。
・・・・と、格好つけたけど、いざとなったら、やっぱり、ダメでしょうね。
「長いものには巻かれる」タイプですから。