やはり英国サッチャー元首相について一言と「叱咤激励」

1. 更新が遅れて、8日振りです。
このところ何となく、慌ただしく過ごしています。
京都を往復して今年度の「ソーシャルビジネス町家塾」のゼミが始まり、他方で学生である世田谷市民大学もスタートし、また、私事ながら1歳の孫を連れて一次帰国している末娘が狭い家に泊まっていること等が主因です。


京都では「松長」の会食で遅くまで愉快な時間を過ごしましたが、若女将がいろいろ写真を撮ってフェイスブックに貼り付けてくれました。有難うございました。


2. ということでいろいろ記録しておきたいこともありますが、今回は、やはり、4月8日、87歳で亡くなったサッチャーもと英国首相についてです。

英国の「エコノミスト」は「自由の闘士」という題で特集を組んでいますし、米国「タイム」は「なぜ“鉄の女”の政治は11年も続いたのか」と題した追悼記事を載せています。

「英国で初、かつ(現時点で)唯一の」だけでなく「主要な先進国で初の」女性首相。
1979年から90年までの長期間首相を務め、3度の選挙に勝利し、しかも最後は保守党内部に造反されて任期途中で涙の退任。
「まったく同じ程度に、圧倒的な支持・称賛と、厳しい批判や攻撃・憎しみを浴びた」。
サッチャーさんに対しては、おそらく「好きか嫌いか」のどちらかで、「その中間・どちらでもない」という英国民は少ないでしょう)


「世界を変えた政治家の1人。階級政党であった保守党の体質だけでなく、労働組合との対決や民営化の推進を通して英国社会の体質を変え、独裁への強い批判と対決を通して、共産主義ソ連の終焉に大きく貢献した」
ウィンストン・チャーチルは世界大戦に勝利した偉大な政治家だが、彼は決して“〜イズム”を作りだすことはなかった」

以上のような批評の言葉が並びます。


3. それなら「サッチャリズムの本質とは?」
(1) 現状に反旗を翻すこと(例えば、国家の介入に、労働組合に、ウーマン・リブに、英国の旧態依然たる「階級」と「貴族社会」に)
(2) 個人の自由を最大限尊重すること
(3) 保守主義の原理原則(例えば、勤勉・正直・倹約、「働かざる者食うべからず」・・・)
ということになるでしょう。

以上の考えかたは、労働者階級の家に生まれ、
食料雑貨店を経営しながら市の議員になったり市長にもなった(英国の地方政治家は基本的にボランティアが普通)父親に大きく影響された。
そして猛烈に勉強し・努力した彼女自身の生き方から生まれたものでしょう。

しかし、彼女の妥協を許さない強い姿勢が強調されるが、
同時に、原理原則に凝り固まった人間ではなく、現実主義・日和見主義者でもあった、と言われます。

貴族社会や階級に安住する人たちには厳しかったが、自らは、首相退任後、1代限りの準貴族「デーム」の称号をもらい下院議員から貴族院議員になる、「ミセス・サッチャー」が「レディ・サッチャー」になります。


サッチャーさんが初めて保守党議員に当選して議会席に座ったとき、野党保守党の男性議員は246名、女性議員は彼女を入れてたった7名。
その中で野党の党首選に挑戦し勝利し、総選挙で勝利して首相になる・・・たいへんな努力と力量と決意の持ち主だったのでしょう。


自らに厳しいと同時に、他人にも厳しかった。
それが、3度目の総選挙での勝利のあと、保守党の幹部から造反される理由の1つにもなるのですが、女性でありながら女性にも厳しかった。

「最初の女性首相が他の女性のためにはほとんど何もしなかったという事実、そして、60年にわたって選挙の際に女性票で優位を得てきた保守党が、女性党首のもとでそれを失ったという事実」と、『イギリス現代史1900-2000』の著書は指摘します。

彼女の、自分にも他者にも厳しかった生き方について、「タイム」誌は、
「彼女は柔軟な思考の持ち主ではなかったし(hard-headed)、おそらくは、優しい心の持ち主でもなかっただろう(perhaps hard-hearted)」と書きます。

4. しかし、総じて、「エコノミスト」は、雑誌の性格からしても、サッチャリズムに対して好意的です。追悼記事は
「いまは、国民は政府や組合の介入に立ち向かうべしというサッチャーの揺るぎない信念をもう一度取り戻すときだろう。いま世界が必要としているのは、さらなるサッチャリズムではないだろうか」


最後に、私事になりますが、私がロンドンに赴任したのは、1988年で、サッチャーさんの後半、長期間のリーダーとしてやや独善的になり「人頭税」の導入提案などで世論の強い批判を浴びているときでした。
そこから彼女が党の十分な支持を得られず、不本意な辞任、後任に、能力よりも人柄で選ばれたようなメジャー就任・・・という流れをロンドンに居て見てきました。
そういう流れを新聞等で見てきたので、個人的には彼女にさほど良い印象は持っていません。

ただ、いちばん記憶にあるのは、私が着任するちょっと前、
日産自動車が英国に欧州初の生産工場を立ち上げたときの話です。
日産が欧州のどこに自動車生産の拠点を置くかは大いに注目され、各国が誘致工作をし、英国もサッチャーさんが率先して運動してきました。


無事に工場が完成して、その祝典が大々的に開かれ、サッチャーさんも招待されて、当日、最重要のゲストとして出席し、祝辞を述べた。

その中で、彼女は、お祝いの言葉と同時に、出席している工場の英国人従業員に対して
「あなたたちは日産の日本の工場に決して負けるな。よく働き、生産性の向上に努めよ」と叱咤激励したそうです。

私は、この話を当時、出席したいろいろな日本人(日産の人からも、招待された銀行の支店長からも・・・)から聞きました。
よほど皆さんの印象に残ったスピーチだったと思われます。


サッチャーさんというと、私はいつも、このエピソードのように
「叱咤激励」という日本語と重ね合わせて、イメージしています。