蓼科と東京:「半沢直樹」観ていません


1. このところ憲法改正昭和天皇マッカーサーなど硬い話題ばかり取り上げています。少しは柔らかくしたいと反省しています

ただ、マッカーサー本間雅晴という軍人の生涯を振り返って、今の時代にはお目にかからない「ストイックな生き方」を感じるのですが、如何でしょうか?「ノブレス・オブレッジ」や「武士は食わねど高楊枝」という言葉も思い起こします。

もちろん時代が違うので、だから日本にも軍人を復活したいと言っているわけでは毛頭ありません。


2. 朝夕めっきり涼しくなって老夫婦も山の奥から大都会に戻ってきました。蓼科高原は台風が過ぎ去ったあとの八ヶ岳が美しかったです。

東京に戻って、今週は、メールアドレスを変更したので、その連絡と久しぶりに返事を頂いた方とのコンタクト等で時間を過ごしています。

@の後のドメイン名を従来のocn.ne.jpから「1missing.com」というのに代えました。
友人から1人だけ「1missingとはミステリアスですね。少々気になります」という返事を頂き、さすが目のつけどころがいいなと感じたので少し触れておきます。


(1) 今回初めて知ったのですが、ドメイン名というのは誰でも多少のお金を払えば取得出来る
(2) この名前は親族の1人が取得したもので、我々夫婦もお願いしたもの。
(3) 彼が大学時代に入っていた学生劇団の名前だったそうで由来は良く分からない
というだけのことです。

ただ、個人的には、たしかに「ミステリアス」でもあり、気に入っています。

「1missing」は直訳すれば「1人が居ない、あるいは1人が行方不明」となるでしょうが、私たちの人生って「いつも誰か1人足りない」っていう気がしませんか?
その1人は、母親だったり、親身になって世話してくれたお手伝いさんだったり、若くして逝った親友だったり、ひょっとして昔の女友達だったりするでしょう。
「そう言えば、あいつが、あの人が今はここに居ない・・・」
時々、そう思う。それが「生きる」ということかな、と思いました。
もちろん、missingは「I miss you」のmissでもあります。


3.東京に戻って久しぶりに東京新聞の購読を再開。
前にも書きましたが、この新聞は、スポーツ・芸能が得意で、ニューヨーク・ヤンキースの松井選手引退の報道は、1面ほぼ全部を使った報道でした。少し行き過ぎかなという気がしますが、その他にも記事の取り上げ方がユニークで、反原発に徹するなど「主張」があります。京都で「東京新聞を読む」というネットワークがフェイス・ブック上にあると若者に聞いたこともあります。

26日の1面トップは写真の通り
「理不尽な上司、派閥、出向・・・リアル!?「半沢直樹」」
という見出しで、おまけに「7面に関連、16・17面に反響」とまだまだ紙面は続きます。

記事は以下のリード文から始まります。
「高視聴率を獲得したドラマ「半沢直樹」は、主人公の大手銀行員が上司の不正を暴いたものの、子会社の証券会社に出向を命じられて幕を閉じた。人事、上司との対立、派閥争い・・・。銀行の暗部を描いたこの作品を、現場のメガバンク行員はどう受け止めたのか?」


私たち夫婦は1度も観ていないので内容は知りませんが、昔銀行員だったこともあって、「どう思いますか?実態はどうでしょう?」と訊かれることがあります。
「何せ大昔のことで今は全く知りません」と答え、
さらに「私の居た銀行はちょっと変わった職場だったかもしれません」とも答えます。



国内営業というのは入行したてを除いて(当時は全員がまず営業店でイロハを学びました)殆ど経験なく、一度だけ国内の支店長というのを2年強やらされましたが、支店のメンバーは50人ぐらいだったでしょうか、とても楽しい経験でした。

9月の初めに、まことに久しぶりに当時の仲間が30人以上集まり、渋谷の某中華料理屋で賑やかに歓談しましたが、半分ぐらいは当時の女性行員で、今は結婚していたり、まだ現役の行員だったりして、それぞれの「一言ずつご挨拶」も「あの頃は楽しかった」という感想が多かったです。

職場結婚がきわめて多いのも特徴で、当時は優秀な女子行員が多かった。
男子より仕事の出来る人が多い、だから当時は結婚して退職するのが普通でしたが、「まことに痛手、残念。男の方が辞めればいいのに」などと憎まれ口を叩くこともよくありました。


3. 数日前には、9歳年下のOB3人と一緒に愉快に酒を飲みましたがこの
会、暫く前から続いています。同じ時期にニューヨークで働いた仲間です。
私のような高齢の年金生活者を入れてくれて、昔のように全員「さん」付けで
(ドラマでは、上司を「部長」だの「支店長」だのと呼ぶのでしょうか?そう言えば、「言っとくが俺の名前は部長だよ」というサラリーマン川柳がありましたっけ)
昔の役職なんか全く関係なく、もっぱら現在の話(公私にわたって)が中心です。
同世代の友人との集まりは、どうしても病気や終活などの話題が多くなりますが、みんなまだまだ若く、活動中で、明るい元気を貰います。

そのうちの1人は同じ支店の支店長もやり、「いい雰囲気の店でしたね」と何度も発言していました。
もう、時効なので、ここに書いてもいいと思いますが、
この支店はいまも残っていて、40年以上前の開店当時、正面のガラスに藤城清治さんの影絵がステンドグラス風に張り付けてあり、とても素敵でした。
銀行が大手都市銀行と合併になり、その銀行の方針は「銀行の支店はもっと地味に、かつ全ての支店が同じイメージで」ということだったようで、この影絵を撤去すべきという意見が本部から出たそうです。
そこで彼が「この影絵には長い歴史があり愛着を持っている顧客も多い。藤城さんにも失礼ではないだろうか」と話したところ、「分かった。このままにしよう」と決まったそうです。
いい話だなあと思いました。
これも時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、昔はそれだけのんびりしていたのかもしれません。
しかし私が入行した頃の銀行は、土曜日も出勤し(「半ドン」という言葉がありました)年始の休みは3日間だけ、大晦日も遅くまで働き、紅白歌合戦の時間に帰れたことはありませんでした。
それでも、他に楽しみや時間の過ごし方が少なかったせいもあるでしょうか、仲間同士助け合ったりして、賑やかに仕事をしていました。大晦日には取引先から差し入れのお酒を飲みながら働きました。
おおらかな取引先も居て、30歳前の若者だった私が訪問して、前日お酒を飲み過ぎて二日酔いなのを見て取って「少し別室で休んで行け。課長に電話して適当な理由を言っておくから急いで帰ることはない」と言われた経験も1度ならずありました。


いまのメガバンク(に限りませんが)に働く人たちも、何とか余裕を持って、時には楽しく働いているといいなと思います。
何を甘いことを言ってるんだ、時代は厳しいんだぞ、と大いに叱られそうですが・・・・