映画『イングリッド・バーグマン』と『ミリキタニの猫』

1. 約2か月ぶりに都会に戻ってきました。
早速、渋谷に出没していますが、田舎との違いをいちばん感じるのは人と自然とのバランスです。ハチ公前のスクランブル交差点の群衆(とくに若い人)には圧倒されます。
バスで15分ですのでよく通いますが、早速映画を2本見ました。何れも信州ではまず見られない映画なので、こういうのが都会に暮らす良さだろうと思います。

2. 今回はその話ですが、まずは『イングリッド・バーグマン、愛に生きた女優』です。
プログラムのうたい文句を紹介すると、


―――7度のアカデミー賞ノミネート、3度の受賞歴をもつ彼女は、ハリウッド黄金期のなかでも才能と美貌において傑出した存在だった。
同時に幼い子供がありながら夫以外の男性と恋に落ち妊娠した事件は、保守的な時代だった1950年代にあって大スキャンダルとなり、非難を浴びた。それでもイングリッドは、毅然と愛に生き、演じることを愛し、生涯現役を貫いた。
(自分の生き方を自分で選び・責任をとる、自由な精神を感じます)


そして
―――この映画は、2015年の生誕100年を記念して、娘で女優のイザベラ・ロッセリーニが制作を依頼したことから実現。イザベㇻを含む4人の実子の協力のもと、膨大なホームムービーや日記などをとり入れて完成した・・・・・・


3. 面白いと思ったのは以下のようなところです。
(1) スェーデンのストックホルム生まれの1人娘。母はドイツ人。父は写真館を経営。
(2つの国の血が入ったハイブリッド。)

(2) 3歳で母が病死、13歳で父とも死別し、母親代わりの叔母も同年、死去・・・・
と孤独な少女時代を送った。


(3) 子供の時からプロの父親に写真を撮られることに慣れていた。自らも撮影が好きで、ホームムービーを撮りまくり、それが残っているため、私生活の貴重な映像が、この映画でふんだんに披露される。


(4) また孤独な少女時代が、彼女の空想癖を育て、映画や演劇の世界への関心を高め,熱心に日記や友人への手紙を書く情熱にもつながった。両親の写真を初めてとして、これらの「思い出」を大事に保存する習性ともなった。
 ――彼女にとって過去はいつまでも記憶し、思いだすものだった。

こんな風に、内向的な女性だったのかもしれませんが、見かけは長身で大柄で、神経質な・華奢な感じは全くありません。
大柄と言えば、面白いエピソードも披露されて、『カサブランカ』の最後の良く知られた場面、ハンフリー・ボガードがバーグマンと飛行場で別れる場面、ボガードの方が3センチほど背が低かったので、彼はずっと木の箱に乗って、バーグマンとのラブシーンを演じたそうです。


(5) 子供たちの話の中で、「母親が沢山の手紙を友人に書き、今も残っているので、何かハリウッドの裏話でも書いてあるのではないか、それをもとに母の回想記でも書けるのではないかと思った。
ところが友人への手紙の中身は自分を含めた4人の子供のことばかり・・・・これでは第三者が興味を惹く内容にはならない、諦めた・・・・」が面白い。


―――とまあこんな風に、私的な面が多く語られる映画で、
彼女はもちろん、自我の強い、女優であることを最優先し、「愛に生きた」女性だったのでしょうが、同時に、エキセントリックなところのない,自由で健康な人間だったのだろうと感じました。
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」など、いろいろ名言も残しました。
それにしても、1982年、67歳での死は少し若すぎました。


4. この映画は東急文化村でやっていて、何といってもバーグマンですから、この日も超満員でした。

他方で、すぐ近くにある小劇場「ユーロスペース」で観た「ミリキタニの猫」は、友人に教えてもらった地味な作品ですが、これも面白かったです。
2006年公開の「10周年記念アンコール!! あの映画が帰ってくる」と謳い文句にあり、知る人ぞ知る映画なのでしょう。私は全く知りませんでした。
数奇な人生を送り、ニューヨークでホームレス暮らしをしながらも絵を書き続けた日系アメリカ人を取り上げた映画です。


(1) ジョージ・ミリキタニ(日本名:三力谷努)は1920年カリフォルニア生まれ、幼児のときに両親とともに故郷の広島に「帰国」。独学で絵を学び、海軍兵学校に行けという父親の意に反して、18歳でアメリカに「帰国」。

(2) しかし日米戦争勃発により運命は暗転。財産もすべて没収されて3年半、苛酷な収容所生活を送る。
戦後、半強制的にはく奪された米国市民権が回復されて、絵を描く夢を捨てずにNYに住む。しかし生活は苦しく、ついにはホームレス暮らしをしながら路上で絵を描く生活にまで落ちぶれる。絵の題材は収容所・広島と赤く燃える原爆ドームそして猫・・・。

(3) 実に81歳になった2001年、路上で彼の絵を買ったリンダと言う女性との交流が始まる。彼女は彼の半生を聞き、撮影をし、それが映画「ミリキタニの猫」として完成する。

(4) 当初は、強制収容所に送り込み、故郷の広島に原爆を落とした(母親の一家は全滅した)「汚い・クズのアメリカ政府」に怒り、「社会保障も年金も要らない、絵を描き・自由に生きる」と言っていたジョージが、リンダなど隣人の好意に、徐々に変わっていく・・・・そのあたりが面白いです。


映画が出来て多少の有名人にもなり、友人もでき、年金も貰い、低所得の高齢者用のアパートにも入居できて、故郷にも帰り、86歳になって行方が分らなかった姉にも会い、とハッピー・エンドで終わります。
2012年、ニューヨークで死去、92歳。


この映画に登場する彼についてはもっと書きたいことがありますが、紙数がなくなりました。「自由に生きた」というのがバーグマンにも共通するかと思います。

(5) 苛酷だった収容所暮らしについても日系人のボランテァイが企画する「収容所への巡礼ツアー」に何度も参加する。帰りのバスの中で、窓から跡地を眺めながら、
「もう怒ってない。ただ思い出が通り過ぎるだけ」とつぶやく場面が心に残りました。

―――「この世とは思い出ならずや」や「もし人に生きる意味があるとすれば、それは思いだすことだ」(ヴァージニア・ウルフ)という言葉を思い出しました。


ジョージ・ミリキタニはイングリッド・バーグマンより5歳年下で25年長く生きました。
長生きがよいとは必ずしも限らないけど、彼の場合はよかったケースでしょう。

6 いい映画を教えてくれた友人に感謝です。