1. たいへん遅くなりましたが、arz2beeさん「今年観た映画」についてコメント
有難うございます。「終戦のエンペラー」と「42世界を変えた男」をご覧になった由。おっしゃるように「偶然」でしょうが、それでも好みも似ているかなと僭越ながら楽しく拝見しました。
映画でも小説でも、「ああ君もあの映画好き?」なんて友人と会話を交わすのは楽しいものですね。
興に乗って、「私の好きな映画ベスト・テン」など披露しあったりして飽きません。
2.「42」がジャッキー・ロビンソンの背番号で永久欠番だが4月15日には毎年全選手が42を付けてプレーするという話を前回しました。
たまたま、11月15日の東京新聞の「発言」欄に14歳という女子中学生の投書が載っていたので紹介致します。
――父はメジャーリーグのテレビ観戦が大好きなので、休日になるとよく見ています。ある日、イチローが打席に立った時、背番号が31番ではなく42番を付けていたのを見て、不思議に思いました。
社会の歴史の授業の時、アメリカで黒人差別があったことを学びました・・・・・
彼(ジャッキー)が差別に屈することなく勇気を持ったことが、白人たちの偏見をなくしていったのだと思います。
現代でもいろいろな差別がありますが、私はなくしていくべきだと考えます。差別に対して無関心でいることなく、勇気を持って物事を判断できるような人間になっていきたいです――
「ジャッキー・ロビンソン・デー」を企画実施するという戦略(という言葉に抵抗をもつ人も居られるでしょうが)が、はるか日本の中学生にも何か「考える」きっかけを与える・・・・・「物語の力」とはこういうものではないかと、読みながら思いました。
私も昔、大学生に、大リーグにおける人種差別とジャッキーの存在、そこからマーティン・ルーサー・キングらの公民権運動へとつながっていったアメリカの歴史について語ったことを思い出しました。
太平洋戦争前の日本移民排斥の動きや戦争中の日系アメリカ人に対する強制収容所、そしてその措置が憲法違反だと訴え、何度も敗訴を経ながら最後の勝利まで闘った
フレッド・コレマツという人物についても語りました。
彼の名誉が回復されたのは戦後も1980年になってから。
当時の「カーター大統領が第2次世界大戦中の日系人の強制収容に関する調査を行うよう命じ、委員会は日系人への強制収容を、「人種差別や戦時下のヒステリー、及び政治指導者の失敗」により起こったものだと結論付けた。
(アメリカという国−だけではないが−は不公正なこと・不正義なことを実に数多くしている。しかし40年近くも経ってからとはいえ、こういう風に歴史を再度検証しなおし、自らの過ちを認め謝罪するという態度は、評価していいでしょう。
いつの日か、ヒロシマ・ナガサキについても・・・・・と願いますが)
彼は2005年亡くなったが、「2010年カリフォルニア州政府は、コレマツの誕生日である1月30日を「フレッド・コレマツの日」と制定し、州民に憲法で保証された市民の自由の重要性を再認識する機会とした」]
(他人にはどうでもいいことですが、彼は1929年1月30日生まれ。私はちょうど10年後に生まれました)
「世界を変えた男」という題名はやや大げさですが、「ジャッキーが居たから、いまの野茂、イチローも居る」とは言えるかもしれません。
それは、世界に、もちろん山ほど問題はあるけれど、少しは良くなっていくという希望を抱かせてくれるのではないでしょうか。
3.ところで今年も終わり近くなり、働いていない私のような年寄りでもせわしない日々が続きます。実はまだ年賀状も書き始めておらず、焦っています。本日はあまり予定が詰まっていないので、この雑文を書き終えたら、そろそろ始めないといけないと思っているところです。
と言いつつ、すぐに手近の本を拡げたりして横道を食ってしまうのが悪い癖です。
たまたま、1昨日、「第九」を聴きに行きました。
その前の日は切符を頂いたので、上野の都美術館の「ターナー展」に行ってきました。
歳末の雰囲気が東京の街にあって、恒例の救世軍の社会鍋にほんの少し寄付を入れ、上野公演では「大道演芸」の若者が通行人を集めて、ここでも帽子にちょこっと入れました。
4. 「第九」はサントリーホールで、読売日本交響楽団、デニス・ラッセル・デイヴィスというアメリカ人の指揮者です。
当日貰ったプログラムを今頃開いて、「<第九交響曲>のグローバリゼ―ション」という短いエッセイをちょっと面白く読んだので一部を記録しておきます。
(1) 第九が初演されたのは1824年5月7日のウィーン
(とっくに知っていると言われそうだが、ベートーヴェンって19世紀前半の人だったと再認識。例えば6年後の1830年にはフランスでブルボン復古王朝が崩壊する7月革命―ドラクロアの絵で有名―が起きたことご承知の通り。)
(2) 日本人にとって「第九」の演奏は年末の恒例行事で「季語」にまでなっている
(これもとっくに知っていると言われそうだが、へえ、「季語」なんだ)
(3) 指揮者を除く全員が日本人による演奏は「世界初演」から100年後の1924年11月末と12月初旬の3回、上野の東京音楽学校奏楽堂(因みに、この建物、今も残っています)で東京音楽学校(今の芸大)の教官と学生たちによって行われた。
「前年9月の関東大震災からの精神的復興を象徴する一大イベントであり、年末に<第九>が演奏された嚆矢(こうし)でもあります」
(「季語」になるまでに至ったにはやはり(物語)があるんだ・・・)
(4) 最後の引用はちょっと長いですが、以下の通りです
・・・・欧米の<第九交響曲>関係の文献で、日本など非欧米世界の<第九>受容が取り上げられるようになったのは、この20年ほどのことです。
ところがその種の本でも、日本の<第九>を、そのまま「Daiku」と直して「The Big Nine(大9??)」などと不思議な――とはいえの理由はよくわかる――訳を当てたりしているところを見ると、まだまだ認識不足は否めません・・・・
なるほど「第九」ではなく「大九」ですか。
筆者ご指摘のように「誤解」でしょうが、しかし、意図的にこう訳したと考えると、この方が面白いような気がします。
何れにせよ、そのうち「Daiku」も「Sushi」や「Manga」と同じく、英語の辞書に載るようになるかもしれません。