1. 先週は、家人と神代植物公園に出かけて、秋の薔薇を見てきました。
曇り日でしたが、公園はいまは薔薇とダリア、そして南米原産のパンパス・グラスに晩秋の趣きを感じました。
2. 晩秋と言えば、そろそろプロ野球シーズンも終わりです。
あまりテレビ放映は見ませんし、熱心な野球ファンでもありませんが、それでも今年は面白かったですね。
ファイターズの日本一は10年ぶり。
広島カープの25年ぶりリーグ優勝は、「特定の親会社を持たない市民球団を源流とする、他球団と比較して特異な歴史を有し」(ウィキペディア)地方都市の名前がついたチームの活躍だけに、心惹かれるものがあります。
他方でファイターズも「北海道」を打ち出しています。
言うまでもなく、本家のアメリカでは、地名とチーム名とは一体であり、ヤンキースはニュヨーク・ヤンキース以外ではなく、前田健太選手がデビューしたドジャースは、今はロスアンゼルスを付けて呼ばなければ誰もが承知しないでしょう。
伝統ある、あのジャッキー・ロビンソン(彼の背番号42は全チームの永久欠番です)を初めての黒人メジャー・リーガーとして入団させたブルックリン・ドジャースが1957 年に本拠地を離れることになったときに、ブルックリン子がどんなに嘆き悲しんだことか!
この決断をした大株主のウォルター・オマリーについて、当時、いささか物騒なジョークが語られたそうです。
「ヒトラーとスターリンとオマリーと三人とらえて牢屋に入れてある。ところが銃殺するのに弾丸は二発しかない。どうしようか?」「もちろん、オマリーに使え。二発ともだ」
3. もう一つ、プロ・スポーツにおける「戦力均衡化」の意味を再認識したことがあります。巨人や阪神の熱狂的なファンなら毎年、永遠にひいきのチームに優勝してもらいたいと願うかもしれません。
しかし、どっちが勝つか分らない、この「ハラハラドキドキ感」を味わいたくて観戦する野球ファンも多いのではないでしょうか。
今年のMLBワールド・シリーズは、クリーブランド・インディアンズ対シカゴ・カブスですが、シリーズを制覇すれば前者は68年ぶり、後者は実に108年ぶりだそうですから、広島カープの比ではありません。
プロ・スポーツはビジネスでもある訳ですから、たくさんの観客を集めなければなりません。どこもそれなりの力があり、どちらが勝ってもおかしくない試合が多いほど成功したビジネスと言えるのではないでしょうか。
そのための仕掛けが、球団の新規参入や売買の制限、選手移動の制限やドラフト制度などです。アメリカ大リーグ(MLB)にはTV放映権の収益配分制度まであります。
本来、ビジネスの本家アメリカでもっとも重要なのは自由な市場と競争です。
そういう国であっても、ことプロ・スポーツに関するかぎりは、「戦力の均衡」を図るために制度的に、市場参入を始めとして競走が制限される、面白い考えだと思います。
3.もちろん観客が野球場に集まる動機はこれだけではありません。
例えば、2004年10月1日、イチロー選手が年間最多安打257本という84年も昔のシスラー選手の大記録を破ったとき、4万5千人以上入るシアトル・マリナーズの本拠地の野球場は売り切れ超満員でした。
しかもこの試合の相手はテキサス・レンジャーズでそれぞれ地区のブービーと最下位が決まっている、俗にいう消化試合。普通だったら、観客はごく少数だったはずです。つまり彼らは(日本からも多くが)イチロー選手の快挙達成の瞬間だけを期待して押しかけたのです。
このように動機はさまざまですが、しかし「ハラハラドキドキ」を期待している野球ファンも多いでしょう。そのためには、「戦力の平準化、どのチームが勝ってもおかしくない」という状況が望ましい。
そうは言っても球団による資金力の格差はいかんともし難い。どうやったら、貧乏球団でも力のある監督や選手を集めて強いチームになれるか、広島カープを貧乏球団と呼ぶのは失礼かもしれませんが、25年ぶりの優勝はそういった経営戦略を考える意味でも面白いケース・スタディになるのではないでしょうか。
4. MLBでこの課題に応えた実例として、映画化もされた『マネー・ボール』作戦があります。『マネー・ボール』〈2003年、マイケル・ルイス著〉は1990年代後半のオークランド・アスレチックスを取り上げたノン・フィクションです。
リーグでも有数の貧乏球団のジェネラル・マネージャーになったビリー・ビーンが、野球の諸要素を見直して、経営方針、プレーのやり方、選手の評価基準などで、古い野球観に挑戦します。科学的なアプローチを採用し、ITの進歩のお陰で収集が可能になったデータを駆使し、いままで過少評価されていた選手の特性を見出し、比較的低報酬で他球団から引取り、安いコストで強いチームをつくりあげます。
そのために彼が採用した「哲学」は、一部はいまでは常識になっているかもしれませんが、当時は革命的な発想でした。例えば、
(1)打者であれば何よりも出塁率を重視して選手を補強する。ヒットと四球での出塁は同等に評価すべし。
(2)エラーの少ない選手ほど優秀だという守備に関するデータや評価は意味がない
(3)攻撃力については、四球や長打をもっと評価すべき、打率と盗塁数はたいして重要ではない、・・・。
(4) 投手力については、投手が単独でかかわっているデータ(与四球・奪三振・非本塁打)と野手の守備がからむデータ(被安打・失点)とを区別し、いままで投手の責任とみられていた後者は、ただの運なのではないかと考える。
(5) こんな発想に立って例えば、打率が低くて他球団で低い評価を受けていた某選手について、彼の出塁率が平均以上といったデータに注目し、安く獲得します。
ビーンGMはこういうユニークな戦略を採用して、2000年にはついに地区優勝を果たします。
もちろん彼の哲学と戦略はひとりで生みだしたものではありません。本書でも先人の研究が紹介され、彼がそれらの著作を熱心に読みふけったことが紹介されます。アメリカは野球の本場だけあって、その経営や戦略やデータ分析について経済学者や数理統計学者が研究を発表しています。
そして、これらの戦略の根っこにある考えは「功利主義」の哲学だろうと思います。
19世紀前半の英国の思想家ジェレミー・ベンサムが確立したといわれる古典的功利主義は「最大多数の最大幸福」という言葉でよく知られるように、望ましい行為や制度はその結果として生まれてくる「効用」の大きさで図られる、
正義とは幸福の総和を最大にすることであるという思想です。
アスレチックスが90年代に採用した戦略は、安いコストで結果を出すにはどうしたらよいかという投資収益の最大化・効率化を徹底的に考えた結果であり、それがチームのため、MLB のため、そしてプロ野球ファンにとっての「効用・幸福」をいちばん大きくするという信念だったと思います。