連休は蓼科の田舎で畑仕事

1. 連休は老夫婦2人で田舎に過ごしています。
八ヶ岳にはまだ雪が残りますが、里に下りると桜や花桃が満開、家の周りも徐々に木の芽が芽生えています。

老骨に鞭打って畑仕事に精を出しました。
3軒の仲間で地元のオーナーの畑を借りて、耕し、畝をつくり、植え付けをする作業です。1日2時間程度の労働で3日間、幸いに良い天気でした。


3軒のうち我が家はいちばん弱気で、借りた土地の半分強しか使わず、それでも大いにくたびれ3日目は長女夫婦も東京から来て手伝ってくれたので、何とかじゃがいもや枝豆などの植えつけを終えました。
もっとも所詮素人仕事、畝も、畝と畝との間のあぜ道も、でこぼこしています。
この時期はとうぜんにプロの農家も農作業を始めていますが、さすがに彼らの作る畝はきれいに一直線になっていて、見事なものです。
もう亡くなりましたが、昔借りていた農家Aさんのおばさんは実にこういう作業に厳しくて、きちんと畝づくりをしないと怒られたものでした。


今年から代わりに,新しいオーナーHさんにお願いして借りることにしました。
彼は、30年以上前に奥さんに先立たれて一人暮らし、たしか96歳と高齢ですが、まだ元気で自分で畑もつくり、米づくりはさすがに数年前に止めましたが、車も運転します。
驚くべきエネルギーです。
今年の畑はしばらく使っていなかったので、まず畑起こしから始まり、これはオーナーの仕事で、自ら耕運機で耕してくれました。そのあと我々が重い袋を抱えて、肥料を撒きました。
畝づくりと植え付けは我々だけでやりました。


近くにオスの雉が歩いていて、メスを探しているのでしょうか ずっとひとりで、
時々「ケーンケーン」と鳴いていました。私たちには、素人作業をからかっているように聞こえました。
雉という鳥は桃太郎のお供にもなり、古くから日本の山野で見かける馴染のある鳥だったのでしょう。
万葉集にも古今集にも詠まれていますし、
(春の野のしげき草葉の妻恋にとびたつ雉子のほろほろとなく)
「雉も鳴かずば撃たれまい」ともいいますが、「けんもほろろ」と言う言葉は、広辞苑は「無愛想に人の相談などを拒絶するさま」という定義とともに、「けん」も「ほろろ」も雉の鳴き声と説明しています。


2. 我々のやっていることは、素人の道楽ですが、農家が本業として農作業をやるのはたいへんな苦労だなあと、ほんの少しやってみても再認識します。

(1) すべて手作業でやっていた時代は想像するだに苦労だったでしょうが、機械化されたとはいえまだまだ手作業の部分も多い。

(2) 農地は丁寧に維持しないとすぐに荒れてしまう。そのため手抜きをせずにきちんと仕事するという習慣が根付き、それが村落共同体の文化になっている。

(3) それだけ手間をかけて丹精こめて作った割には経済的に割のいい仕事ではない。

(4) したがって当然に継承されず、次世代の子どもたちは都会に行ってしまう。

(5) その結果、残った農家は高齢化がいっそう進み、彼らが死去すると休耕地が増えることになる・・・・
という状況でしょう。


Aさんの一人息子は都会で働いて家族を養っており、土地はいまはほとんど使われていません。かって見事に整地されていた場所の多くに雑草が生えています。

Hさんはまだ元気で働いていますが、何せ90代の後半でいまや自分の食べるぐらいの作物しか作れません。3千坪あるという土地のかなりは休耕地で、だから我々が道楽で借りたいという申し出も「自由に使ってくれ」ということになります。


そして2人のお嬢さんは都会の商家に嫁いでいるそうで、戻ってきて農家を継ぐ気持ちはないでしょう。

これだけ広い、よく手入れされた農地が将来どうなってしまうのかな、と気になります。
そうは言っても、Hさんは常々、「農業は厳しい仕事」と繰り返し、こう言っています。
「サラリーマンより気楽な仕事と思って始める人も多いが、難しい。
農業の再生に情熱と夢をもって来る人もいるが、情熱だけではうまく行かない。
私のように、代々(彼は4代目)やっていて、こういう厳しい暮らしが当たり前と思って続けている人と都会の人とは違う。まあ、10人に1人もうまく行かないのではないか」


3. ということで山で過ごしていると、都会の喧騒とはまったく違う日々です。
テレビも新聞もほとんど見ないので、浮き世の出来事にもうとくなります。

幸いにPCは手元にあるので、その気になれば情報は入手できますし、友人のメールも届きます。

(1)フランス大統領の決戦投票についての英国「エコノミスト誌」の直前の記事もメールで友人が流してくれます。
その友人は「こういう若い(マクロンは39歳)人が彗星のように出てきて、既存の政治家を蹴散らしたという事実には、喝采を送りたい」と言い、

(2)それに応じた別の友人は、
マクロンの圧勝を期待したいところです。 労働者をたきつけるルペンに対し、 現地に乗り込み「マクロン帰れ!」の罵声にもめげず、自説を正々堂々とのべる彼に感動しました。
EU問題について、鉄鋼同盟以来の仏独両国のこれまでの努力を無にしようとするルペン、移民問題について、歴史的にフランスの過去の植民地政策をすっぽり忘れて大衆に焚き付けるルペン。対してマクロンは過去の植民地政策を注視しようと言っています」とコメントしています。

メールでつながる、こういう友人の存在は有難いです。

(3) 以下、友人が邦訳してくれたエコノミスト誌の記事の一部です。
「勝っても負けても、マクロンは革命を起こした。
彼の見事な台頭には、フランスのみならず世界に対して大きな象徴的な意味がある。
彼がルペンを破るなら、フランスは、世界に、年配者よりも若者がいい、恐怖よりも楽観がいいということだけではなく、親EUリベラリズムポピュリズム国粋主義を打ち破ることができると実証することになるだろう」
と述べて、マクロンを支えるボランティアの若者たちの「起業直後の会社の事務所のような」運動本部の熱気と熱情を伝えています。


(4)もちろん、マクロン、ルペンのどちらが勝っても「分断」は残るでしょうから、勝者は大きな課題に取り組むことになります。


しかしエコノミストという、英国のお堅い・質の高い・伝統的な雑誌(いまは日本経済新聞社の資本下にあります)が「リベラリズムが勝ってほしい」と主張している姿勢が心に残りました。
この国で、リベラリズムを高く掲げる中道左派の39歳の若者が登場し、それを支持する若者がボランティアでその周りに結集するという事態が想像できるでしょうか?