「ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな」

 

f:id:ksen:20210614120025j:plain

1. 先週は茅野市の山奥に妻と二人、あまり人に会わずに6日ほど過ごしました。

新緑の季節で、雨に当たる緑も風情があります。

車で里山を走ると、田植えは終わり、田に稲が育ち、水が張られています。

すでに作物が育っている畑も、写真のように耕しが終わってこれから植え付けを始めるところもあります。土の耕し方が見事できれいな姿です。

やはりプロの畑作りは違うと二人で感心します。妻はもう10年以上昔,この地で農家のおばさんの手伝いを暫く続けました。おばさんは夫に先立たれて一人になっても農業を続け、主にパセリを作って農協に出していました。

妻はかなり熱心に手伝ったので、「あんたは農家の嫁になりゃよかったなあ」と言われていました。

そのおばさんが、いちばんやかましかったのは畑の土をきれいに耕し、畝をきちんと作ることだったそうです。あんな畑はとても素人にはできないと妻はいつも感心していました。今回、同じような畑のたたずまいを眺めて、もう5年以上前に他界した穏やかだった一人の農婦のことを思い出しました。

f:id:ksen:20210614120010j:plain

  1. 畑の手前にはあやめが咲いていました。

――ほととぎす鳴くや五月(さつき)のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな――

という古歌を思いだします。

 旧暦の五月ですから、まさにいまの時節です。

「あやめも知らぬ」のあやめは「物事の道理・筋道」のこと。言わずと知れた、古今和歌集の「恋歌一」の冒頭に載る「よみ人知らず」の作です。

 そういえば、あやめと菖蒲の違いがいまだに判らないなと思いながら写真を撮ろうと車を停めて外にでると、かっこう(郭公)が鳴いていました。

 かっこうとほととぎすの違いも、鳴き声の他は私には分かりません。

後でウィキペディアを見ると、同志社女子大学教授のこんな説明がありました。

f:id:ksen:20210614115239j:plain

――「かっこう」と「ほととぎす」は同じ鳥ですか、それとも違う鳥ですか?

「かっこう」は文字通り「カッコー」と鳴きますね。「ほととぎす」は「キュキュ、キュキュキュキュ」と鳴きます。鳴き声からすると全く別の鳥ということになりそうです。
 ところが、 両鳥とも生物学的にはカッコウカッコウ科の鳥に分類されており、案外近いことがわかります。「かっこう」も「ほととぎす」も初夏に南アジアから飛来する渡り鳥で、「託卵(卵の世話を他の個体に托する習性)」まで共通しています。混同が生じるのも当然なのです。

ただし古典の世界では、混同は生じていません。少なくとも平安時代には「ほととぎす」という読みしかなかったのです。――

この先生の説明が正しいとすると、「ほととぎす鳴くや五月の~」も、ひょっとして「かっこう」の鳴き声だったかもしれません。

f:id:ksen:20210614102336j:plain

  1. 古い田舎家に戻ると、庭には春ゼミが賑やかに鳴き、リスがえさを求めてやってきます。

(1) 家の中で、妻は早速裁縫を始めます。古いシンガー・ミシンの登場です。

 戦前から彼女の母親が使っていたものをいまも大事に愛用しています。もっとも軽くて便利な新式のミシンがいくらもあるのに、いまだにこの重いミシンが頑丈で壊れず、きれいに縫えて使いやすくて手放せないと言います。

 場所をとるので田舎家に置いてあり、もっぱら当地で使っています。

(2) このミシンで子供たちが生まれたときに産着を何枚も縫い、孫のためにも同じことをやり、いまはまた間もなく身近に新しい命の誕生があるので、せっせと制作中です。

 主婦の裁縫も、自分ではできない私から見れば農婦の畑づくりなみに、立派な手仕事で感心します。

(3)古いものをいつまでも使い続けるという文化もいいものだと思います。英国あたりではまだ当たり前と思いますが、現代日本は家でも車でも家具でも、消費社会・使い捨て社会になりました(京都になると少しは違うかもしれませんが)。

(4)それと最後に、自分が生まれる前から母が使っていたものがいまも残っていて、娘も使っていることに感慨を覚えます。 

 

 

f:id:ksen:20210620074541j:plain

f:id:ksen:20060429120359j:plain

(5)―――生きること母を追ふこと薺粥(なずながゆ)――

という、最近見かけた俳句を思い出します。

「なずな粥」は知りませんでしたが、「なずな」は春の七草のひとつで、この葉と柚子とを乗せたお粥があるそうです。

 句意は―子供のとき、お正月には、「春」の到来を祝うようにいつも母がなずな粥を作ってくれた。いま自分も子供たちのために、母の味を思い出しながら作っている―。

生きるとは、こんな風に自分を産み・育ててくれた人の背中を追いかけてゆく道かもしれない・・・・・

素人の作品ですが、そんな作者の思いが伝わってくる句で、記憶に残っています。