戦争の記憶と歴史――コロンビア大学特別講義について

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1.山口さん、オペラの思い出有り難うございます。じかにゆっくり思い出話を伺いたいものです。「今は庭仕事と植物観察など」の由。お年寄りには年相応の愉しみがありますね。
私も田舎の自然が好きで、先週は昨年の11月初め以来5カ月ぶりに、信州蓼科に行ってきました。たった1泊でしたが、この地も例年より花が咲くのが早いようです。
途中、中央高速の釈迦堂(山梨県勝沼)というレスト・エリアには花桃の里がありますが、例年より1週間早いそうで満開でした。


2.帰京したら、国会は「記憶」と「記録」の違いで偉い人たちの議論がかみ合わず、紛糾しています。

片や愛媛県の文書には当時の首相補佐官に会った「記録」があると言い、その当人は「記億にある限りでは、会ったことはない」と言っているそうです。

いやはや、嘆かわしいものです・・・
東京新聞の「本音のコラム」で元外務省主任分析官の佐藤優氏は、
「官僚にとって重要な能力の一つが記憶力だ。特に各官庁の幹部となる官僚については、過去にあった出来事についてよく記憶しているというのが、外務官僚であった経験に基づく筆者の認識だ・・・・」
と書いています。

ということで、今回は、「ニューズウィーク」日本版の4回連載特集記事「コロンビア大学特別講義、戦争の記憶」の報告をしたいと思います。


3.この記事は、同誌がコロンビア大学のキャロル・グラック教授に依頼して、特別講義を開催した、その講義録です。
同教授の専門は日本現代史、現代国際関係。1975年から同大で教え、96年にはアジア学会の会長を務めた。

講義は4回(2017年11月〜18年2月)行われ、同誌は各回の講義内容を記事にしています。
(1)テーマは「第1回―戦争の歴史と記憶」「2回―記憶のつくられ方」「3回―事例研究―慰安婦が記憶になるとき」,そして最終回が「記憶が現在に問いかけること」。


(2)毎回、10数人の学生が参加。メンバーは若干変わり、性別も国籍も学部生か院生かも多様である。国籍はアメリカ、日本、韓国、中国、インドネシアなど。

(3)授業は「対話」形式で、教授の質問から始まり、学生の意見をうまく引き出しながら自身の意見を言うがそれを押し付けない。

(4)学生も活発に意見を言う。互いの意見や立場は当然に異なるが、冷静に話し合う。


4.「第1回「歴史」とは何か?「記憶」とは何か?」の内容は?


(1)まず教授が、「
真珠湾攻撃」について何を思い浮かべるか?
・その印象はどこから得たか?
・それは「歴史」か「記憶」か?という3つの問いを投げかける。

⇒あるアメリカ人学生は、「奇襲攻撃」と答え、別のアメリカ人は「だまし打ち」と答える
⇒そこで教授は、2つの答は「歴史」と「記憶」の違いであること、分析手法としてこの2つを分けて考えることが大切であると語る。

(2)両者の違いは?――「歴史」は歴史家によって書かれ、「正確であろう」とする。しかしある立場に立って書かれているので、その試みがいつも成功するとは限らない。
しかし、少なくとも感情的な部分については語らない。
対して、「記憶」は、マス・メディアや大衆文化や政治家の言説(や元首相補佐官の発言)などによって世に出回る。
(関連して、1人の日本人女性が、いま広島の被爆者に会って、オーラル・ヒストリーを集めているという報告があった。
被爆者の証言は、「記憶」から生まれるが、それはどのようにして「人類共通の記憶⇒歴史」になっていくのか?という問題が提起された)。


(3) 次なる先生の質問は、
・「第2次世界大戦について思い浮かべるのは何か?」
・「『記憶の物語』の限界とは何か?」
・「世界共通の「記憶」はあり得るのか?」という3つです。

(3)話合いの中からまとまってきたのは以下のようなことです。
・「戦争の記憶」というのは国民的なもので、戦争には、夫々の「国民の物語」がある。
・WW2について、日本やドイツでは敗北の物語になることが多い。
・日本はとくに空襲やヒロシマナガサキ・オキナワの悲劇の文脈で語られる。(日本で幾つぐらいの大都市が空襲されたか?」という質問があり、「70以上」という答に、皆驚いていました。)
日本もドイツも、国民が、自分たちの指導者のせいで被害者になったというストーリ
ーで語られることが多い。
(関連して、あるアメリカ人学生が、靖国神社の名前を出しました。先生が遊就館の話をして、軍部や個々の英雄の視点から別のストーリーが語られる、これはどこの国でもある、と補足しました)。
インドネシア朝鮮半島の人にとっては、植民地からの解放として語られる。
・対してアメリカでは、「悪に対する正義の戦争をした」という揺るぎない物語が主流である。

5. 今回の講義をまとめると、
(1)「戦争の記憶=物語」は、国民的にならざるを得ないとしても、ホロコースト(おそらくヒロシマナガサキも)のように、「人類共通の記憶⇒歴史」になっているものもある。
(2)どうしたら、他の「記憶」でもそれが可能だろうか?
(3)そのためには、国境の内側にだけ目を向けていては駄目ではないか。
⇒私たちは、自国とほかの国々で何が起きたのかを知り、国内と国外の両方で異なる視点があることを理解し、尊重すべきは尊重し、悪いことは悪いと認めるべきだろう。
⇒そして私たちは、未来に対して責任がある。


6. 最後に、グラック教授がニューズウィークの日本人記者に語った言葉です。
(1)日本人はこれまで長年、原爆と終戦を記念し続けてきた。「太平洋戦争」という言葉が定着しているように、この戦争の本当の始まりは1937年の中国においてであるということには殆ど注意を払ってこなかった。

(2) パール・ハーバーから広島までというのは、日米同盟によって何十年も支えられてきた物語である。だがこの物語には、中国との戦争が欠けている。それが、一部の著名な日本人でさえ、日本によるアジア侵略や南京虐殺を否定できる理由かもしれない。


以上、今回は、コロンビア大学での歴史の専門家と多様な学生たちとが話合い、考え合った「ゼミ」の報告です。WW2について「国によって多様な記憶」があると知るだけでも、若者にとって貴重な勉強だったでしょう。
「記憶」は得てして当事者の立場にたってつくられることも再認識した筈です。
しかしゼミで皆が確認したように、どんなに難しくてもそれを「人類共通の記憶」にしていく努力が大事です。そのためにはまずは多様な・違った意見に耳を傾けること。
愛媛県と元首相補佐官(優秀な幹部官僚)との間でも、{記録(=歴史)}をもとに、「記憶」を共有してほしいものです。