ハチ公像、そして大岡信の『日本の詩歌、その骨組みと素肌』

1. 今年最後のブログです。前回には渋谷の忠犬ハチ公像の写真を載せました。年末に
なっても、外国からの観光客が行列をつくってハチと一緒に写真を撮っています。

コメントを頂いたHiranoさんによると、自分にはこういう外国の友人が何人も居る、愛犬にHachiと名付けた人も2人いる、とのこと。
2009年に『Hachi』というアメリカ映画が出来て、彼の友人が「私は10回見ました、いつも泣き通しでした、始まったとたんに泣きました」などと言っていた由。この映画が人気に火をつけたのですね。


2.また前回のブログは、平安時代の貴族がちゃんと仕事をしていた事実を克明に調べた『公卿会議』という「中世の朝廷で政治的決定がなされる姿を説明した好著」(磯田道史)も紹介しました。著者の美川教授は、
平安時代の貴族は、政務をおろそかにして、毎日詩歌管弦に時を過ごし、遊んでばかりいたように思われがちである」という先輩の学者の言を引用して、
「一般的な貴族のイメージは(略)いまだにほとんど変わらない。テレビを見れば、武士ばかりが勇ましく、貴族はただ「なよなよ」とし、いわば「生産性のない」人々として描かれることがいたって多い。実に残念なことである」
と書いておられて、こういう問題意識は面白いし、大事だなと思って読みました。

3ただし彼らが、詩歌管弦や恋の逢瀬に多くの時間を割いたことも事実ですし、もち
ろん美川さんもそのことを否定しておられる訳ではありません。
そしてそのことにも大きな意味があったことを伝える書物に、大岡信の『日本の詩歌―その骨組みと素肌』(岩波文庫、2017)があります。

(1)本書は、同氏がパリの高等教育機関コレージュ・ド・フランスで1994年と95年に行った5回の講義録を本にしたものです。
講義は、フランス人の受講生に対して、日本の詩歌の中から、和歌を3回、菅原道真漢詩と中世の歌謡についてそれぞれ1回を取り上げて行いました。
約390年におよぶ平安時代の、とくに前半2世紀は比較的平和な時代であり、「文学的に最も豊かな時代」であったと高く評価します.


(2)まず第1回の菅原道真ですが、彼を「日本古代最高の漢詩人」として、政治や社会問題を取り上げた彼の詩は、近代以前の日本の詩史には他にないと言います。そして、その後、詩の主流は和歌の繊細と洗練にうつり、漢詩と和歌との間に横たわる大きな深淵を指摘します。


(3)次に和歌です。とくに最初の勅撰和歌集である古今集を中心に取り上げます。
古今集は、905年にできて、約1100首を収録。紀貫之他が醍醐天皇の命で編纂。
「10世紀初頭の日本に生じた、中国(唐)崇拝から自国尊重への、漢詩文から仮名文字文学への一大転換を象徴するもの」であり「以後20世紀初頭にいたるまで、一千年間、詩歌をはじめとする日本のあらゆる芸術表現、美意識の根本を形づくった」。

(4)和歌の特性としては、短い、四季と恋の歌が中心、「和」する、自己主張が少ないこと(「日本語の重大な欠陥」でもある)などをあげます。

・核心にあるのは「人間の心」、(略)鳥や獣、虫や魚とともに詩を歌う心である。
・「心を相手に合わせて互いになごやかに和らぐ」ことが、和歌という語の根源的な意味。

・すなわち歴代の「勅撰集」を貫く基本的な編集理念は、人間の「和」を求める心が超自然の力さえ和らげ、調和させる、そのための最も尊ぶべき手段が「和歌」である。
「それは、歌が他の人によって、さらには人間以外によってさえ応答され、両者の間に唱和する関係が生まれることでした」。
・これこそ、500年間以上にわたり、21人の天皇のもとで「勅撰和歌集」が編纂され続けた最も根本的な理由であった。

――そんな大岡の文章を読みながら、ハチの銅像を愛でる外国人のことも思いました。彼らも、ハチと「なごやかに和らぐ」、歌の心をすこし感じただろうか。


(5)したがって、大岡は和歌は原理的にみて女性なしには存在しえない詩であった、女性作者の存在が大きかったとして、笠女郎、和泉式部式子内親王など具体的に紹介します。「ある種の天才的女性詩人にあっては、恋の歌は彼女の全人生を要約し、象徴しているものとさえなった。恋の歌がそのまま哲学的瞑想の詩となった」と評価します。


例えば和泉式部であれば、「眉目秀麗で誠実だった」敦道親王冷泉天皇の皇子)の死を悼む、
<黒髪の、乱れも知らず打伏せば、先ず掻き遣りし、人ぞ恋しき>
について「肉体のなまなましい記憶につながるだけに、死者への哀しみは痛切です」と言います。
<君恋ふる、心は千々に砕くれど、一つも失せぬものぞありける>
――大岡は言います。「亡くなったあなたを恋する心は、千々に砕け散ってしまった。けれど、砕けた破片一枚ずつの中に、私の恋い慕う心がこもっているから、結局あなたへの恋心は、一つも失われてしまうことはない、というのです」。


(6)最後の講義では和歌から離れてより庶民的な、「梁塵秘抄」「閑吟集」などの中世の歌謡を紹介していることも重要です。そして例えば、
<何せうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ>
(大意―何だというのか、まじめくさって。人生なんて所詮夢ではないか。ただ狂うがいい)のような「虚無的な明るさ」をもった歌謡を紹介し、
ほとんどの作者が不明であり、中に遊女が多かったこと、「女たちが歌謡史において果たした役割の大きさは、どれほど強調してもしすぎることはないでしょう」と言います。


4.実は本書は、毎月やっている世田谷読書会で今年最後のテキストに取り上げて、当日熱心に話合いました。「よい本を読んだ」という感想が多かったと思います。
 「この講義が果たしてフランス人にどこまで理解できただろうか」という疑問も提起され、学校から古文の授業が消えていく現状をふまえて「現代の日本の若者だって理解できないのではないか」あるいは「和歌や古文がこれからの日本人にも継承されていくだろうか」といった懸念も寄せられました。
しかし他方で、「漢字をもとに仮名という日本独自の文字を発明したことの意義をあらためて感じる」「古典は自分自身のアイデンティテイにつながる」「マンガやテレビを通じてでもよいから、百人一首などの知識が伝わり、美しい日本語が継承されていくのではないか」といった意見もでました。
また塾で小学生に、大岡信編集・解説による『声で読む日本の詩歌』をテキストに、万葉から現代にいたるたくさんの詩歌を読ませているという素晴らしい試みも紹介され、心が少し明るくなりました。

最後に、妹さんと同じ小中高に通い、一緒に古文や漢文の授業を懐かしく思い起こしたこと、母上が『折々のうた』のいちばんの愛読者で、亡くなる少し前に、どうしても行きたいというので大岡信の講演会に連れていったという思い出を紹介された方があり、「日本に生まれて、日本語で生きてこられたことの喜びを感じる」という彼女の感慨を聞きながら、しめくくりとなりました。