『テムズとともに、英国の二年間』(徳仁親王)の英訳を読む

1.先週前半の東京は穏やかな日和が続きました。

f:id:ksen:20191120105701j:plain いつからか、年老いた野良猫が一匹、我が家の小さな庭に現れて日向ぼっこをするようになりました。最初は慎重に顔を出し、追い出されないとわかるとのんびり手足を伸ばして寝ています。

 隣人に訊くとそこにも現れる、誰かが餌をやっているらしく、家人が置いても口にしない。誰か無責任な飼い主が捨てたのだろうか、「ひとり」をどう感じているのだろうかなど、いろいろ考えます。

 可愛がっていた我が家の猫はだいぶ前に18歳で死んでしまい、その後老夫婦は、ぬいぐるみで満足しています。

f:id:ksen:20191121111703j:plain2.ところで10月27日のブログで、新天皇に関する英国エコノミスト誌の記事を紹介しました。

「亀の甲羅(のように堅固な)システムの奴隷になっている」と新天皇に同情する記事を読み、オックスフォード時代の回想録があると知って読んでみたいと思いました。

 ところが、1993年に学習院大学から出版された本書は中古しかなく、アマゾンで買うと1万円もします。東大の駒場の図書館にも置いていません。

 他方で英訳本は5分の1の値段で買えます。そこでこちらを手に入れて、このほど読み終えたところなので,今回は英訳の方を紹介したいと思います。

3. 1960年生まれの新天皇は、

(1)まだ皇太子になる前の徳仁親王時代に、1983年から85年まで2年4カ月英国に滞在し、オックスフォード大マートン・カレッジに留学、テムズ川の水運の歴史についての論文を書き上げました。帰国して、1988年には学習院大学修士も取得しています。

『テムズとともに、英国の二年間』は、帰国して8年後に出版された親王自身が書いた回想録です。

(2) 2006年に『The Thames and I, A Memoir of Two Years at Oxford 』と題して英訳が出ました。訳者はもと駐日大使のサー・ヒュー・コータッチ。本文のほか、チャールズ皇太子の推薦文、親王本人の序文や訳者の前置きも載っています。

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 チャールズ皇太子は「鋭い観察眼、繊細なユーモアのセンス、旺盛な好奇心、そして文章力があり、楽しく・興味深く読める」と述べます。「ユーモアのセンスがある」とは英国人の最高の褒め言葉でしょう。

 本人の序文は「留学から20年も経っているが、あたかも昨日のことのようにいまも懐かしく思いだす」と英訳に感謝の言葉を述べます。

 他方で訳者サー・ヒューの前置きには、「実は雅子皇太子妃(現皇后)が本書の英訳を手掛けたいと長年願っていたのだが、公務多忙もあり叶わず~」私がその任に当たることになったとあります(原著と英訳に13年の間がある理由かもしれません)。

4.さて本書についてですが、私はとても面白く読みました。ほぼ3年後、私自身もロンドン勤務となり2年半過ごしたこと、その際には大使を退官して日英協会の会長をしていたサー・ヒューに会う機会があったことなど、個人的事情もあると思いますが、チャールズ皇太子のコメントは的確だなと感じました。

 たしかに、「鋭い観察眼」が随所に見られます。生まれて初めての英国滞在で、何に気づいたか、何が記憶に残ったか、日本との違いは?・・・それらについての記述を読むことで、その人がどのような「観察眼」の持主かがわかるように思います。

(1)例えば、英国到着早々、バッキンガム宮殿のエリザベス女王にお茶に招かれる。

「私は英国でどのようにお茶が振る舞われるかに興味をもっていたが、会話は一向に堅苦しくなく、しかも女王自らお茶を入れてくれた・・・」と書きます。

(2)大学入学前に英語の個人授業を受けるため、日本滞在の経験もあり、そこで語学学校の経営にも関わり、女王付きの勤務もあるホール大佐のロンドン郊外にある屋敷に3か月滞在する。

 ある日、大佐の長男が、村の祭りに連れて行ってくれる。彼は、自分の家では「プリンス・ヒロ」と呼んでいるのだが村の祭りで知人に会うと、「日本から来た友人のヒロだ」と紹介する。親王はその違いに気づき、他人には自分を特別視しない気遣いに感謝する。

(因みに、オックスフォード大学では彼は正式には「ミスター・ナルヒト」だが、友人の学生や職員たちからは「ヒロ」と呼ばれ、本人も嬉しく思う)。

f:id:ksen:20191124083149j:plain(3)彼は大学に入るまで、何をテーマに論文を書くか決めていなかった。子供のときから御所に住んで外の世界との接触が制限されていたこともあって、「道」や「交通」に関心を持ち、学習院大学でもその研究を続けた。

 英国に来て、テームズ川の美しさにひかれて、水運の歴史を取り上げることになるのだが、初めてテームズを眺めたときの印象についてこう書き記す。

―「日本の河川とどんに違って見えるかに気付いた。どこを見ても日本のような堤防がなく、水が地続きの緑の間を静かに流れているのである。

f:id:ksen:20031219014222j:plain(4)大学を表敬訪問すると、マートン・カレッジの校長が早速校内を案内してくれる。

 カレッジは80人の院生と230人の学部生がいて、「ヒロ」は院生の一員になるのだが、校長は歩きながら、学生に会うと一人ひとりに名前を呼んで言葉を交わす。カレッジの長が皆の名前を記憶していることに感心する。

(因みに、オックスフォードもケンブリッジも、1つの総合大学が存在するのでなく多くの・小さな「カレッジ」の集合体である。後の章で、彼は英国の大学のシステムがいかに優れているかについて、その特徴を詳細に説明する。

 具体的には第一にこの「カレッジ・システム」、第二に「チューター(教員による個別指導)制度」そして第三に、全寮制をはじめ多様な学生の交友が可能になる様々な仕組みについて語る。

 そして、校長が学生の名前を憶えているのもカレッジという小さな規模のメリットではないかと考える)。

(5)また、オックスフォードの寮に住み、街にもしばしば出かけるようになって気づいたことに、

「よいことだなと思った一つに、ドアを通るときに前の人がドアを開けて後ろの人が通るのを待っていることである。歩いていて、ドアが自分の目の前で閉まってしまう経験はほとんどしたことがない」

(これはまことに些細なマナーかもしれませんが、たしかに日本と違いますね。

 日本では自動ドアが普通なのに対して、英国では(今に至るも)きわめて少ない,だからマナーとして定着しているという事情もあるかもしれません。

 実は、私も単に習慣になっているだけですが日本でも、自動でないドアを通る場合は、必ず通り過ぎたあと振り返って、後から来る人のためにドアを開けたまま待つようにしていますが、あまりそういう光景は見かけません。

 それと面白いのは、お礼を言わずに黙って通り過ぎる人が多いです。

 それにしても徳仁親王がこういう日常の些細な振る舞いに気づく人だということを、読んでいて感じます)。

5.というような具合に、彼が英国で、英国人の家庭で、大学で、街中でさまざまな経験をする、気づく、失敗もする、その逸話のひとつ一つを面白く読みました。

 物事をよく観察する人物だなと感じました。

 それにしても、まさに「百聞は一見に如かず(Seeing is believing)」ですね。