2020年最初のブログは、豆台風の襲来と年賀状の話

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1. 今年最初のブログはもっぱら私事で申し訳ありません。

昨年12月後半の我が家は、娘が休暇を取って幼い孫を連れて英国から一時帰国。

狭い家はてんやわんやでした。下がまだ2歳で時差調整ができず、夜寝ないので老夫婦も(もちろん娘も)グロッキー状態でした。

晦日に無事に帰国したのでほっとして、元旦からは二人で暫くぼんやりと過ごしました。

それでも滞在中は、楽しいこともありました。娘はどうしてもお寿司を食べたいと、30日にすぐ近くの下北沢のごく庶民的な店に子連れで行きました。幼子は母親の気持ちを察したのか、何とかおとなしくしていました。

 

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上の男の子は7歳ですが、歌と楽器の学習を始めていて、ヴァイオリンとピアノを弾いてくれました。

娘の亭主がプロの音楽家でおまけに彼の父・祖父と三代続きます。そんな環境なので、孫も4歳から楽器を父親に習い始めました。その点は恵まれた環境と言えるかもしれませんが、三代続くプレッシャーもある筈で、母親は「趣味でいい、プロにはなってほしくない」と願っているのではないでしょうか。音楽で食べていくのはたいへんなことです。彼らがどれだけ努力し・苦労しているかを知っているからでしょう。

 ということで身内の話になってしまいました。

しかし、まだ真っ白な未来に向かって育っていく幼子の姿を眺めるのは、身内でなく誰であっても、私には気持良いことです。

2.幼い子供たちが迎えるのはどんな未来だろうか?頂いた年賀状を拝見しながら

考えました。 

 頂くのも、出すのも、昔に比べれば随分減りました。「喪中欠礼」も増えたし、お互いに自然にやめていくケースもあり、「年なのでこれが最後になります」という挨拶も頂きます。私もそろそろ切り上げるかなと思いつつ、数は減りながらも続いています。年の初めに皆さまのコメントを拝見するのが楽しいからだろうと思います。

f:id:ksen:20191226150527j:plain3.型通りの挨拶状に、印刷または手書きでコメントを添える方もおられます。

(1)今年頂いた中で、以下の引用を載せた方がいました。

――「源氏物語・初音から」として、

「けふは、子の日なりけり。げに、千歳の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり」

(2)一年間の活動報告をしてくださる方もいて、近況がよくわかり、助かります。報告

の中には、葉書の裏面一杯を埋めた詳細なもの、少し自慢っぽいもの、いかに元気に・忙しく・豊かに活動しているかや思想信条を披露される方もおられます。

こういう文章を拝読すると、どこまで自らを語るか、その程度が難しいなと感じることがあります。

例えば、昨年、某首相の親衛隊で知られる超右翼の作家が書いた作品を読んで感動した、というコメントを書いてくれた友人がいます。

私はこの作家のものを読んだことがなく、読みたいとも思いません。よほど思い入れが強いのだな、いろんな人がいるのだなと思うしかありません。

他方で、年賀の挨拶に添えて、「改憲より、地位協定の、見直しを」という言葉を印刷してくれた友人もいました。

私が、某作家の著作を評価するコメントに違和感を覚えると同じ程度に、こういう改憲反対派のコメントを新年早々の賀状で読まされて憤慨する人もいるかもしれません。人はさまざまです。

f:id:ksen:20200102184732j:plain3.昔の職場の友人からの年賀状に添えたコメントは、企業文化を長く共有し、ともに

一定期間日本を離れて生きてきた人の文章だけに、共感することが多いです。

(1)住んだことのある他の国への関心が持続しているのでしょう。米大統領選挙や英国のBrexitの行方への懸念を書いてくれます。

(2)もっと広く、「世界中の騒動が止みません。正月気分もそこそこです」と書いてくれた後輩もいます。彼とは、ロンドンで一緒に働きました。

 なんとなく世界の今とこれからに不安を覚えている人が多いなと、読みながら感じました。日本では、おとそを飲んで「今年はオリンピックだ」と喜んでいる一方で、世界は、戦いに怯え、怒りのこぶしを上げている・・・・。

4.その日本についても悲観的なコメントが散見されました。

「今さえ良ければよい政治は参りますね」とか「経済が心配ですね」とか自筆で添えた方がいます。また、長々と日本経済の問題を指摘して「貧困層の貧しさの問題は、平均的な日本人の貧困化が進んでいる結果である」と結論付けた方もいました。

読んで、皆さんいろいろ勉強し・考えているなと感じます。もちろん老人が考えても何もできない、しかしまずは勉強することが大切ではないでしょうか。

5.やはり職場の先輩や友人からですが、昔を思い出したというコメントも頂きました。

(1)「子供たちがまだ小さかった頃、ご一緒に遊んで頂いたニューヨーク時代を、今頃になって懐かしく思い出しています」というコメントもあり、こちらもしばし懐旧にかられました。

(2)また、某先輩から「来信の整理中に大兄の古いお手紙を発見。しばし感慨に耽りました。ご厚誼感謝」というコメントもありました。

まだ電子メールもない、お互いに若き時期のことでしょう。書いた私自身は、何を書いたかも経緯もまったく覚えていません。体調を崩されたようで暫くお会いしていない先輩との交遊を、懐かしく思い出しました。

(3)気になったのは、某君からの以下のコメントです。

「~~遅くならぬうちに、長く快き友情に心からのお礼をお伝えしておきます。有難うございました。」

「遅くならぬうちに」という言葉遣いに少し驚きました。彼とは子供たちが小さい時から、家族ぐるみで一緒に海外暮らしの喜びも悲しみもともにしてきました。

どういう心境で書いたのか、お互いの年齢を考えれば分かるような気もします。しかし、それにしても、と思う気持もあります。まずは、メールを入れて、近いうちに会おうよと声をかけるつもりでいます。

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6.最後に、(自慢話はいけませんが)、やはりもと職場の先輩友人から自筆で賀状に書かれたコメントを紹介いたします。

1つは、「貴兄のシニア・ライフは高度の教養人のものですね」

もう1つは、「毎週末のブログには元気づけられています。末長くお願いします」

―――もちろん、ともに社交辞令ではあるでしょう。

こんな言葉を、面と向かって言われたらお互いに鼻白んでしまうでしょう。

しかしその代わりに、たとえお世辞でも年賀状の片隅にちょこっと自筆で書いていただくのは有難く、まだ賀状を続けていてよかったなと感じた次第です。