今年も頂いたとクリスマス・カードと年賀状

1.今年もよろしくお願いいたします。
2012年最初のブログにこう書きました。
「今年は何に挑戦しようか?」と思う若い世代と異なり、老人の私が
年の初めに思うのは、「何を諦めるか?」になるようです。賀状や
ブログをまだ見苦しくないうちにいつやめるか?難しいです。

2.と言いながら、今年もまだ続けています。ブログはともかく、この年になって賀状や海外からのカードがまだ届くのは有難いことです。
今回はその幾つかをご報告します。

まず、これは仲間大勢へのメールですが、年末に、「乾杯の歌」の楽しいユーチューブが届きました。
http://www.youtube.com/embed/XAXAs03xsI8?rel=0
3分強の短いヴィデオなのでお正月になっても何度も観て(聴いて)います。

3.ブログでは、
(1)シドニーで一緒だったTさんは、体調不良で暫く休んでいたブログ「緑陰漫筆」を復活しました。専ら読書の記録ですが、嬉しいニュースです。
http://blog.goo.ne.jp/rokuai57/e/6e402d45cf30e4607ab6ea3a9f17d848?st=0

(2)年下のまた従妹からのニュースで、関西生まれ、最近になって福島に移り、震災後も住み続けていますが、「関西人の“福島見聞録”」と題するブログを始めたと書いてくれました。
福島での日常を、穏やかに記録しているようです。
http://fukushimatsuu.blog68.fc2.com/

4.昨年3月にNYにセンチメンタル・ジャニーをして、家族で住んだ素敵な住宅地ブロンクス・ヴィレッジの「ちいさなうち」を再訪し、大家さんに会い、奥さんの墓参をしたことをブログに書きました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20120410/1334017343
彼からのクリスマス・カードで、寄る年波を感じることがあり、古い家に一人住むのは諦めて、家は人に貸して、ピッツバーグに住む長男の家に近い老人ホームに住むことにした、という便りが届きました。88歳です。
思い立って一人ではるばるNYまで出かけ、今も変わらない家に入り、再会し、墓参も出来たのは本当に良いタイミングだったと痛感しました。


5.頂いた賀状に
「今年の標語は、“明るく、痩せ我慢”にしました」というのがありました。
我善坊さんが福沢の『痩せ我慢の説』を再読したというコメントを思い出しました。

また
「広島は柳多きと子規詠みぬ、川面に映る被爆の柳」(入選歌)
と自らの作歌を補足してくれたのもありました。
どこで入選したかは知りませんが、昭和20年8月6日、広島で爆心地から1キロほどで少女時代に原爆に被災してその後幸いにも元気に生き続けている高齢の女性のうたですが、平和を守ることの大切さを人一倍感じていることでしょう。


6.最後に、昔の職場の年下の友人からの便りです。
(1)彼は、自己紹介によると
「40年近い銀行勤務を終えた、団塊の世代の一員。アメリカと欧州に駐在経験はあるが、アメリカへの郷愁やみがたく、今回再び夢を実現。今や、あらゆる年齢層にわたり、市民レベルの交流に奮闘中」
とのこと。


(2)「夢の実現」とは、国際交流基金日米センターの「JOI(日米草の根交流コーディネーター派遣)プログラム」に合格して、2年間、アメリカ・テキサス州のヒューストンに派遣されています。
このプログラムは、HPによると、2002年度にスタート、
「米国の草の根レベルで日本への関心と理解を深めることを目的に、地域に根ざした交流を進めるためのコーディネーターを2年間派遣する事業です」


「コーディネーターは、日本との交流の機会が比較的少ない米国の南部・中西部地域の大学や日米協会などに派遣され、小学校から大学、図書館などを訪れ、日本人の生活ぶりや、伝統芸能、日本語など、日本の幅広い文化を紹介する活動を行います」


(3)彼からのカードには
「ますますアメリカの魅力に惹かれるばかりです」
とあり、国際交流基金のHPを教えてもらったので、早速開けてみました。
http://www.jpf.go.jp/cgp/fellow/joi/yr10/joi10_3.html
彼の活動報告も載っており、こんな文章もあります。

「ある小学校での45分ほどの授業が終わると、自分が折った紙かぶとを誇らしげに振りかざしながら教室を出て行き、中には「タカ先生、ありがとう」と言ってハグをしていく児童がいます。またある幼稚園では、声色も使って紙芝居をしてみせると、自分の孫ほどの年齢の子どもたちが、目を真ん丸にして一心に見入ってくれます。長いサラリーマン生活を終えた後で、もう一度行きたいと思っていたアメリカで、こんな素晴らしい経験ができるなどとは、夢にも思いませんでした。

(4)応募者の中から審査をして毎年選ばれるのは、5〜6人で、年齢構成は分かりませんが、メンバーの名前を見ると、やはり(と言うか)女性が多いです。
その中で、彼のように60歳になってから挑戦する男性は多くないのではないでしょうか。
おそらく、かなり厳しい審査をみごと合格したのだと思いますが、貴重な経験を積んでいることでしょうし、まさに日米の草の根の交流の貢献するのは素晴らしい活動と思います。

あと1年、健闘・活躍を祈るとともに、帰国の際は、ぜひいろいろと話を聞きたいと願っています。