- 先週の日曜日8日の朝早く、大学時代の友人2人とGo to トラベルとやらに便乗して2泊3日の旅をしてきました。
10日の夜帰宅して、早速PCに向かい、ブログに書いてくださった皆さんのコメントを読み、遅まきながらバイデン、ハリス両氏の「勝利演説」を聞きました。トランプが敗北を認めない中でのスピーチです。
飯島さんのコメントには、ニューヨークの自由の女神像に刻まれたエマ・ラザラスの詩について学び、「アメリカの原点は移民の国であり、自由と平等の国であることを再認識した」とありました。木全さんは「私も若かりし頃、自由の女神に上り、アメリカに来た喜びに浸ったことを覚えています」とこれに応えました。
ラザラスの詩には、女神が手に持っている灯り(beacon)は、「世界に向けて“ようこそ”と輝く(glows world-wide welcome)」という素敵な一節があります。「疲れた人たち、貧しい人たち、自由を求める大勢の人たちを私のところに来させなさい」という励ましの詩句もあります。
昔、船でニューヨークに到着した移民たちは、この巨大な像を眺めながら港に入り、すぐ先のエリス島の移民局で入国の許可を得ました。
次期副大統領に選出されたカマラ・ハリスの母親は、19歳だった1958年にインドから留学生としてやって来ました。彼女も船できて、まずこの像を眺めたでしょうか。その時、このままこの地に留まると思っていたかどうか。しかし女神は受け入れてくれて、彼女は博士課程を終えて生物学者になり、ジャマイカ出身の経済学者と結婚し、カマラが生まれました。
「勝利演説」の中で彼女は母親に触れて、「私がいまここにあるのは母のお陰である。そしていま私は、アメリカが可能性の国であることを深く信じていた母を始め、黒人、アジア系、白人、ヒスパニック、先住民、道を開いてきたこれらのすべての女性たちのことを考えている・・・・」。
11分のスピーチの中で、「democracy・democratic」という言葉を7回も使いました。
他の方のコメントにも触れると、藤野さんからは、それでもトランプ票が増えていることの指摘があり、また岡村さんからは、高齢者にトランプ支持が多いのに対して、バイデン支持が多かった女性と若者を評価するとあります。お二人の感想に同感です。
ともかく、今回選挙の最大の話題はカマラ・ハリスの登場でしょう。彼女が、どこまで支持と共感を拡げ、差別や格差を痛感している人たちに勇気を与え、分断を少しでも弱めることに貢献するかどうか、その力量が問われるだろうと思います。
- ということでこの話題を切り上げて、旅の話です。感染者も増え、コロナで職を失ったり、苦境にある人たちのことを考えると心苦しい気持ちもありますが、友人の呼びかけに応じて、福井方面に紅葉を愛でる旅をしてきました。
(1)まず羽田から小松空港まで。機中はほぼ満席で、全員マスク着用。
(2) レンタカーをして、朝倉一乗谷遺跡、永平寺、山中温泉、福井市内(城跡な
ど)、東尋坊・・・・。何れも私には初めてでした。目的地や旅程のアレンジは
全て旅好きの1人の友人にお任せです。
(3) 宿は、いつもは3人が狭い部屋に雑魚寝をするのですが、今回はGo toのお陰で、次
の間付きの広い部屋で、その点は有難かったです。
3.というようなことですが、名所旧跡などにさほど興味のある方ではなく、久しぶりに友人との時間を楽しむ気持ちの方が強いかもしれません。
その中で、印象に残った場所はと言えば、以下の3か所です。
(1) 福井市の城跡に近い、「名勝養浩(ようこう)館庭園」――ここは越前藩主松平家
の別邸で、養浩館の命名は16代藩主春嶽による。「庭園は池を中心に、数寄屋造りの屋
敷と池周りの園路から、さまざまな景色を楽しめる回遊式となっており、学術的にも高
い評価を受けている」とのこと。1945年の福井空襲で建物は焼けたが、絵図が残ってい
たので、復元し、1996年に完成し、公開された。
なかなか見応えがあります。
(2)白山平泉寺――ここは、今から約1300年前に白山信仰の拠点として白山の越前側から
の登り口に建てられたお寺です。一時は大きな寺院だったが、その後一向一揆に敗れ、
明治の神仏分離令によって「白山神社」として残った。いまは山奥の・人もあまり訪れ
ない神社だが、それだけに素朴で神さびて、静かで、苔がきれいなことで知られる。
訪れたのは夕方近く、雨も少し降り、古い石段の道をかなり上がったところに、朽ちた
本社があり、社務所もありません。大木に囲まれた無人の社には神秘的な雰囲気があり
ました。
帰るころには雨が上がり、神社を囲む山の上に虹が出ました。
三国港は江戸時代、北前船が寄る港でたいへん栄えました。いまも港には漁船を見ますが、往時の面影はなく、日本海に面した寂しい町です。
しかし、昔のふるい町並みの雰囲気が少し残っていて、風情があります。花街のあったという通りの近くには、小説家の高見順の生家があります。彼は福井の県知事とお妾さんとの間に生まれました。また詩人の三好達治が戦争中から戦後にかけて5年程住みました。いまはただの港町ですが、何となく気に入りました。
ゆっくり散策する時間がなくて残念でしたが、車で、遠くに海が見える丘の上にある資料館を眺めて、街中を少し回り、喫茶店に入りました。資料館は改装中で入れませんでしたが、明治時代の小学校の建物を復元したという、変わった建物です。
喫茶店は、「たぶのき」という名前の、鄙には稀な、なかなか気持ちの良い・素朴な居場所でここも気に入りましたが、今回は長くなったのでこの辺で終わりにします。
「たぶのき」はクスノキ科に属する木だそうで私は知りませんでしたが、建物のすぐそばに立っています。