福井の三国町の喫茶店「たぶのき」と思い出話

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1. 前回報告した「Go to」を利用した福井旅行を無事に終えてから、某大学病院で半年に1回の定期的な診察を受ける機会がありました。

「最近、家に閉じこもりですか?」という質問が呼吸器科の先生からあり、

「感染者が増えているときに気が引けますが、実は友人2人と旅をして帰ってきたばかりです」と恐る恐る白状したところ、

「それは気分転換になって、良かったですね」と言われました。

「何事もほどほどが大事です。持病が心配な人はともかく、外に出ることは大事です」という言葉に少し安心しました。

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  1. それにしても感染者の増大は気がかりです。新聞報道では、日本医師会の会長が「我慢の3連休に」と言って往来の自粛を要請したとか、都の医師会長が「Go toの一時中止を」要請したとか、報じられます。

他方で、19日の毎日新聞は、東大の調査で、高齢者の外出が減っていることが明らかになり、これは良くないという東大教授のコメントも載りました。

「高齢者の閉じこもりは心の健康も損ねる。身近な人と会話し、つながり合うことが元気で長生きする秘訣だ」。

どちらもまことに尤もな意見だと素人目にも思います。しかし、そう言われても、さてどうするかと困ってしまいます。

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3.ということで、福井旅行の続きです。

福井城址近くの松平春嶽候が愛した別邸養浩館の庭園と、山奥の神さびた平泉寺白山神社と、北前船で栄えた港に面した三国町の町並みが特に印象に残ったと書きました。

いまは少しさびれた漁港は、独特の雰囲気があります。

「身に入(し)むや、港は夫を待つところ」(繰子、「身に入む」は身にしみる。秋の季語)。

三国町は小説家高見順が生まれ、詩人三好達治が戦時中疎開したところです、町が栄えたころには「森田銀行」という個人所有の銀行まであり、洋風の建物がいまも残っています。

また、鄙には稀な「たぶのき」という素朴な喫茶店があります。他に客のいない平日の昼下がりに、東京からやってきた老人が3人座って、珈琲とチーズトーストを頂きましたが、落ち着いた、良い雰囲気でした。

音響の優れたオ―ディオがあり、古いジャズのレコード盤もあります。チャーリー・パーカー(サックス)、オスカー・ピーターソン(ピアノ)、ジョン・コルトレーン(サックス)、マックス・ローチ(ドラム)など—たまたまでしょうが、すべて黒人です―1950~60年代に活躍した懐かしいアーティストたちの海外レーベルがあります。

 

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  1. お願いして1枚ぐらい聞かせてもらいたいなと思いましたが、一見さんが図々しいことをすべきではないとやめました。読みかけの本を持参して訪れて、ゆっくり過ごしたいなという気になる喫茶店でした。近くにあればそれもできるのですが、東京には最近、こういう、半分趣味でやっているような、静かに音楽を聞かせる喫茶店は見つかりません。

 オスカー・ピーターソンが作曲し、ピアノを弾く「自由への讃歌(Hymn to freedom)」があれば、こんな場所で聞きたいものだと思いました。

歌詞も付けられ、合唱曲にもなり、1960年代、キング牧師を指導者とする公民権運動のシンボルの歌(anthem)としても歌われました。

https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=Hymn%20to%20freedom&aq=-1

 1960年代の後半に初めてテキサスのダラスとニューヨークで過ごした若かりし頃聞いた大好きな曲です。

 

5.「実は、若い頃、こんな喫茶店をやりたいと家内と話したものだった」という思い出話をして友人2人に笑われました。

「それじゃ、村上春樹と同じじゃないか。彼も無名のころ喫茶店を開いていた」

「よく知ってるね。そんな大家とは比較にもならないし、ほとんど冗談話だったけどね」

もちろん、真剣に考えたわけではありません。大学卒業後勤め人になったものの、毎日すし詰めの満員電車で決まった時間に通勤する日々になかなか慣れず、結婚したての妻に、サラリーマン暮らしの愚痴をこぼす代わりに、「喫茶店のおやじになって、どうせお客は来ないだろうから、暇な店でレコードを聞きながら好きな本を読んていたい」と出来もしない夢を語ったものです。

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 自分勝手な話で、珈琲を入れる技術など身につける覚悟などなく、たまたま妻がお菓子やクッキーを焼くのが好きだったので、彼女の技量と勤勉さをあてにしての無責任な発言でした。

 それでも面白いもので、その後20年以上経ってロンドンに赴任したときに、妻が何を思ったか突然、珈琲カップを大量に買ってきました。おそらく20脚以上はあったと思います。当時、ロンドンには「リジェクト・ショップ」という店があって、これは多少きずのある新品の商品を定価より安く販売するお店です。だから大した値段ではないのですが、「何れ喫茶店でもやりたいと言っていたので買ってきた」という説明でした。

 もうひとつの理由は、日本にいるときに彼女が友人2人とクッキーを焼いて、注文を頂いて販売するという仕事を始めたこともあります。週に1回3人で焼くだけの、素人の遊び半分の仕事でしたが、それでも「シュガーヒル・クッキー」と名付けて、それなりに好評でした。彼女は帰国したら友人とまた続けたいと思い、それと珈琲カップとを結びつけて購入したようです。

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 帰任のときにもちゃんと持ち帰ったのですが、もちろん所詮は夢物語で、大量の珈琲カップはその後使うこともなく、妻は少しずつ周囲の友人にでも引き取ってもらっていたようで、いつの間にか私の夢と一緒に我が家から消えました。 若い頃はいろんなことを考えるものだなあと、昔を懐かしく思い出しました。

 「たぶのき」には青年がひとり、応対は丁寧ですが、決して愛想の良い・お客の応対の上手そうな若者ではなく、珈琲を入れながら小説の構想でも練っているのかもしれないと想像しました。