- 先週は当地も雨が多く、早めに畑の収穫を娘夫婦と終えました。
この畑を一緒に借りている宮本さんが、「野点」にお点前を披露してくれました。
(1) 京都から参加してくれた従妹夫婦は, あの後、緊急事態宣言に入り、ぎりぎりのタイミングで来られてラッキーでした。
(2) 「林の中の野点は最高でした。お点前席がよかったですね。なにもかも手作りと創意工夫で。本来のお茶はきっとこんなものだったでしょう」
という彼女のメールを宮本さんに知らせたところ、
(3)「爽やかな風と八ヶ岳融雪の伏流源水をご馳走に、落葉松からの木漏れ日の中でのひと時は、お点前をしていても最高でした。
客組のすばらしさ。お茶の集いは、客組で決まるといって過言ではありません。
謙虚に洒脱に会話を運ばれる雰囲気は、文字通り一座建立の極み。亭主冥利に尽きる時間でした」という返事が来ました。
「一座建立」という言葉を検索すると、「茶会の参加者が心を合わせ、心地よい一体感が生まれる状態を表す」という説明があります。
(4)山崎正和の『社交する人間』の言葉を、またまた思い出しました。
――「この世で人が人に会うことの不思議さに感動し、1回ごとの邂逅(かいこう)を生涯の大事と考える「一期一会」の教えは、日本の「茶の湯」の中心的な思想だった。
西洋でも18世紀の前半には、社交に文字通り命を賭けて、「虚礼」を実業以上に人生の義務として重んじる人が生きていた」。――
そして山崎は、「社交を成立する条件として、人間の平等とそれを許容する平等主義が必要だ」とも指摘します。国家や企業の「タテ社会」を補完する人間関係として「横のネットワーク」の大切さと言ってもよいでしょう。そしてそれが、相互扶助にもつながるでしょう。
- 前回のブログでは、「有難う」の大切さにも触れました。
(1)藤野さんから、「京都では最近までバスを降りる小学生は、「有難う」と運転手に言って降車していました」というコメントを頂きました。
ご自身は「おおきに」と声を掛けて降りる、買い物の時も同じ言葉を口にするとあります。人生の先輩が模範を示し続けることが大事ですね。
(2) ドイツ在住の刈谷さんから、「ドイツもダンケ(有難う)は見知らぬ人同士でもよく言う。「困っている人には親切です」とありました。
――ドイツ人は議論をきちんとする。だから守るべきルールが誰にも明確になり、皆が守ろうとする。
お礼もクレームも日本よりハッキリ言う傾向がある。議論になるとハードだが、忖度する手間は省ける。逆にルールがないところではカオスになりがち。―――
緊急事態宣言で右往左往している国と比較すると面白いです。
(3)Masuiさんからのコメントも引用します。
--―手紙や葉書はよく書く方です。それが一番心がつながると思うからです。
母が亡くなる2年前ぐらいに、海外の仕事で大変忙しく毎週のように外国へ出かけ、会う機会が全くなかった時期がありました。
そんな時には、どこの国の空港でも到着したらすぐその場で当地の絵葉書を買い、「今日どこどこで、元気にしています。お母さんも元気でね」。それだけ書いて出していました。
母は、葉書を受け取ると胸に当ててアキラから葉書が来たと、一緒に住んでいた弟にいつも見せていたそうです。内容は簡単なものですが、母の心を強く動かしたのですね。――
(4)なかなか出来ないことだなと、心に沁みました。優しい人柄が伝わってきます。
同時に、少し苦い気持で自分のことを振り返りました。海外に長く暮らし、母から手紙がよく来ました。果たして、まめに返事を書いていただろうか・・・・。
- 最後に岡村さんからです。彼もMasuiさんのコメントに反応してくれました。
――「最近、子供の頃をよく回想することがあります。
川本さんが書いている、「過去を振り返って少し胸が痛くなるような「悔い」が蘇ってくる、優しくしてくれた他者に対して同じ優しさで迎えることが出来なかった、あの時もう少し相手の気持ちに寄り添うことが出来たら・・・」を読んで、一つ一つ、自分に当てはめてうんうんと頷いています。
そして、こう続けます。
――「自分はMasuiさんのように礼状を書かなかった。
渥美清が、海外にロケに行ったおり、母親に宛てた絵葉書に「俺、元気」とだけ書いて毎日送ったそうです。
難しく考えるから書けないのでしょうね。(子供のとき祇園で)遊んでくれた人たちは90歳をゆうに超えています。ありがとうの一言でも書いて送ればと今更ながら思うのです。ーー
昔を思い出して悔いるのは私だけではないのだと思いながら、読みました。