2.コメントをいろいろ頂き、感謝しております。
田中さんからは「金閣は(三島が好んだように)キンキラキンでなければならない、でなければ私の中の室町文化の記憶が崩壊します」とあります。
飯島さんからは、2015年「黛敏郎のオペラ「金閣寺」を神奈川県民ホールで見た時のインパクト、忘れられません」。
ベルリンオペラの委嘱で作曲され、台本はドイツ語。ネットで検索すると、舞台の金閣は、やはり三島好みの金ぴかがイメージされているようです。
3.久しぶりに株式会社カスタネットの植木さんからもコメンを頂きました。
(1) 植木さんとは、京都時代に親しく付き合いました。一緒に『小さな企業のソーシャルビジネス』という本も出しました。
20年前に脱サラしてオフィス用品販売会社を創業。カンボジアの小学校寄贈、町家の無料開放など社会貢献にも力を入れて、ビジネスとの両立・共存を意図するソーシャル・ビジネス(社会企業)を目指しています。
アイディア豊富な起業家で、新しい事業企画を次々に打ち出しています。それが社会貢献と結びついているので話題性もあり、新聞やテレビでたびたび報道されます。。
(2) 新事業の1つに、自治体の支援も得て、故郷の宮津市丹後由良(たんごゆら)の海が見える風光明媚なところに開設した「リゾートオフィス」があります。
リゾートオフィス 丹後由良交流拠点 | 株式会社カスタネット (castanet.co.jp)
「保養地に立地し,仕事とレジャーを兼ねたオフィス」のことで、「海を見ながらワーケーション」がうたい文句です。夏は海水浴場として知られます。
(3) この「丹後由良」という土地が、小説『金閣寺』の後半の重要な場面に出てきます。
―放火する前年の11月,犯人の「私」はひとり旅をします。
まず生まれ故郷の舞鶴を久しぶりに訪れ、そこから由良までの約3里を歩き通し、荒涼とした冬の海を見ます。
「それは正しく裏日本の海だった!」と感じ、波にむかい、荒い北風にむかい、そこで、突然私にうかんで来た想念は「金閣を焼なければならぬ」だった。
「そののちさらに私は歩いて、宮津線の丹後由良駅の前に出た。(略)私は海水浴御旅館由良館という看板のある駅間の小さな宿に泊まろうと思いついた」。
そして、「あてがわれた」海の見える部屋で、なぜ焼かねばならぬかを考え続けます。
(4) この丹後由良が植木さんの出身地。
「第八章に出てくる駅舎とその周辺はリゾートオフィスの最寄駅、私の通学した駅であり、社会人になる時の巣立ち駅です。・・・いまの時期は、明るい日本海です」とあります。もちろん駅舎は立て直されて当時とは変わっているでしょう。
4.植木さんがリゾートオフィスを開設したことは知っていました。しかし彼が建設しオープンした地と、『金閣寺』で主人公の「私」が重大な決意を固める場所とが、私の頭の中では全く結びついていませんでした。
コメントを頂いて、嬉しい驚きでした。
それとともに、京都時代の思い出が一挙に蘇ってきました。
私の蓼科の古い田舎家に、京都の仲間たちと来てくれたこともあります。
2008年、伊藤君という当時京大の学生と3人で、カンボジアの小学校完成のお祝いに出掛けたのも、楽しい,そして意義深い5泊6日の旅でした。
思い出は遠く・遥かになりましたが、植木さんはますます頑張っておられます。
私の方は、カンボジアの小学校で現地の先生や生徒たちと撮った古い写真を眺めながら、こんな文章を書いています。