今年最後の蓼科と、男性合唱を聴く

  1. 先週は蓼科に4泊しました。今年最後の滞在で、水を抜き、家を閉めて帰京しました。

(1) 紅葉は盛りです。もみじ、どうだんつつじ、落葉松、と色とりどり。

(2)八ヶ岳は、到着当日はまだ雪もなく、2日後に冠雪しました。

(3)行きつけの蕎麦屋に寄って、挨拶もしてきました。

ここは昼だけで、メニューはもりと蕎麦がきしかありません。無口な主人と明るい女将さんのコンビで、女将さんは5月に転んで大腿骨を折りました。しかし意志強固でリハビリを懸命にやって、「無罪放免になった」と喜んでいました。

(4) この日の自宅での夕食には、燗酒を少し。

「晩酌は五勺ほどにて世の嘆きはやわが身より消えむとぞする」(前川佐美雄)。

  1. 出発の前日は、アマチュア男性合唱団のコンサートに行きました。

メンバーは80歳前後。主体は慶應義塾大の名門合唱団ワグネル・ソサイエティのOB です。サントリーホールで、400席の会場は満員でした。

 

(1)コロナでお休みの間に、亡くなる人を含め、メンバーが減りました。

(2) 指揮者のY君はワグネルのかつての名テナーですが、私の中高の同級生でもあり、急きょ、同じ同級生から歌えそうな仲間に声をかけたところ、4人が手を上げました。

(3)その結果、今回晴れて、23回目、3年ぶりのコンサートが実現できました。

感無量だったことでしょう。

  1. 「助っ人4人」の1人に私の妻の兄S君がいます。

ということで、当日、妻とサントリーホールに足を運びました。

(1) コンサートは、聞き慣れた曲が多く、楽しかったです。

 4部構成で最後は「旅を想って」と題して、「青い山脈」「旅人よ」「いい日旅立ち」などなど。

歌う前には簡単な解説もしてくれます。

「遠くへ行きたい」(永六輔作詞、中村八大作曲)のときは、「1962年、ちょうど入社した年で、まだ海外旅行は夢でした。私も「知らない街を歩いてみたい」と思っていました」と語りました。

私も同年入社です。同じ思いだった新入社員時代を懐かしく思い出しました。

(2) 帰宅してから、S君に早速お礼のメールを出し、

妻は、「「堅苦しいコンサートではなくて同窓会のような和やかな雰囲気で曲目も馴染みのものが多くてとてもリラックスして楽しかった」、

私は、「満員の聴衆を前に、白と黒のタキシード姿のおじいさん、恰好いいなと

思いながら眺めていました」

と、感想を述べました。

 

(3) 皆さん、かつては、高度成長のもとで体をすり減らして働いた社会人だったことで

しょう。退職後のいま、趣味を生かして日々を楽しんでいる、幸せな人たちです。

  1. S君からは、

(1)「素人の爺さんたちの道楽ですから、そう出来は良くないですが、入場料を頂かないことに免じて大目にみてください」という返事が来ました。

 

(2) それでも猛練習を重ねたようです。そして、この日は「リハーサル、本番、打ち上げ会と朝から晩まで大変で、くたびれました」。

おまけに、「次は来年4月のモーツアルト「レクイエム」に挑戦です。大曲だけになかなか手強く、手こずっています」とあります。

 

(3)彼は、昨年は「第九」の合唱にも2回参加しました。

決して健康万全ではなく、病いで手術をした身でもあります。

「年たけて、また越ゆべしと思ひきや、命なりけり小夜の中山」、西行の歌を思い出しました。

S君も「レクイエム」に向かって、越えていってほしいものです。

私も、来年4月「また越ゆべし」か?と思いつつ、今年の蓼科との別れです。