消える本屋、残る「干し柿」「飯鮨」

  1. 1月31日(火)、渋谷東急本店が営業を終え、7階の全フロアを占めていた丸善ジュンク堂(MJ渋谷店)も閉店になりました。

  最終日の開店早々に顔を出しました。最後の買い物は、「先の戦争」がらみの

  3冊です。

 ウクライナへの侵攻が気になることもあって、過去の日本の戦争をふり返りたいと、関連の書籍を読む機会が増えました。 

 数日前に届いた友人からのメールには最後に、「なんとかプーチン政権に引導を渡す方法はないものでしょうか?」とありました。彼も幼児期に東京大空襲に遭って家は焼かれ、親とはぐれて必死に逃げまわった体験の持ち主です。どんな戦争であれ、嫌悪しているでしょう。

 

  1. 最終日のMJ渋谷店には、長年通った顧客がメッセージを寄せているので、暫く眺めました。

「毎日来ているので、~人生の一部でした」

「この場所で気象予報士になることを決め、いまその夢を実現することが出来ました~」

など、たくさんの感謝の言葉が並んでいます。書店という存在は本好きな少数の人にとっては、確かに「人生の一部」かもしれないな、と思いました。「いろいろある、一人で過ごす時間」の最良の1つでしょう。

  1. 私も、散歩コースが1つ減りました。

その分、家に居て、運動不足にもなり、間食の機会も増えました。

もう5年以上我が家は一日二食なので、その分間食が増えてしまいます。

たまに有難い頂き物もあります。

(1) 誕生日には、昔の職場のOB会から高齢者に福砂屋のカステラが届きます。

妻の大好物で、彼女は受け取るたびに「いい職場だったわね」と述懐しています。

(2) 昨年末にはその職場のもと同僚から、お抹茶と京都の和久傳のお菓子が届きま

した。

抹茶を飲むなど我が家ではめったにない機会で、ゆったりした気分になりました。

(3)年初には福島の農家から届いた干し柿の「おすそ分け」がありました。少量で

すが老人夫婦には十分で、とてもおいしく頂きました。

  送り主から、こんなメールも届きました。

   「母も年のせいで、最近は少ししか干し柿を作らなくなりました。

         私たちが子供の頃は、一家総出で柿をもいで干し柿を作りました。

         六畳ほどの土間が柿で埋め尽くされて、オレンジ色に輝いていたのを憶えていま             す。」

  柿の木のある農家の風景を想像しました。

  これからも残ってほしい、自宅で作れる素朴な食べ物ではないでしょうか。

  1. 最後に「飯鮨(いずし)」です。前にも一度取り上げたことがありますが、妻が冬の寒い時期に作ります。

    北国の料理で、妻は新潟出身の友人に教えてもらって、彼女の家で代々守っていたや     りかたで作っています。

     ごはんと麹に鮭や鰊などの魚、蕪などの野菜を混ぜて10日間ほど置いて発酵させる       という、昔から伝わる冬の保存食です。寒い間に少しずつ頂きます。麹の味は好き嫌     いがあるでしょうが、私は大好物で、お茶うけとしてもお酒と一緒でもおいしいで        す。  

     手がかかるので、いまは北国でも作る人は減っているとのこと。それだけに、友人      に とっても、関係もないのに秘伝を受け継いでくれる妻のような存在は嬉しいのでは    ないでしょうか。

   そして、好物だから思うのでしょうが、お茶はむろん、干し柿も飯鮨も残しておきた    い伝統(食)文化の一つだなと思います。