三好達治『詩を読む人のために』と「きれいな日本語」

新型コロナウィルスが日本でも拡散しているようです。

1.(1)こういう状況では、京都もおそらく観光客激減でしょう。

f:id:ksen:20200126120956j:plain 私も今月、大坂・京都に行くつもりでしたが、中止しました。風邪の症状があり、81歳の老人が咳やくしゃみが取れないままで電車に乗るのは、気にする人が多いだろうと判断しました。

(2) 対応は国によって多少違うのでしょうか、英国や欧州は神経過敏になっているようです。

 娘の亭主は「やや過剰反応ではないか」とメールをくれましたが、小学校1年生の孫息子はロンドン郊外の私立校から2週間の自宅待機を指示されたそうです。

 学校の措置は、中国だけでなく日本を含む一部のアジア諸国に最近の滞在歴がある生徒が対象となる。孫は昨年12月に2週間ほど一時帰国しました。昨年末に英国に帰国している孫息子まで対象にするのは確かに「過剰反応」ではないかと思いますが、メールには「それとなく ”最近、日本へ行った?” と聞いてくる神経質そうな保護者もちらほらいたりで、時間の問題かなとは思ってました」とあります。

(3)また、以下追加のメールがありました。

・「ミラノからロンドンへ戻った日本人の友人情報によると、ミラノの空港で検温され、ヒースロー空港でも貼り紙があり冷や冷やしたらしいです。もし(普通の風邪でも) 熱や咳や喉の腫れなどの症状がたまたまあったら疑われ、隔離されることもありうるのではないか」。

・「幸いこれまでのところ自分の周りは握手やキスをしてくれてますが、今後、こちらから遠慮しようかと思っています」。

(4) 以上、かなり神経質になっているようです。

 こういう状況が続くと、欧州から日本に来る観光客にも影響するかもしれません。

 何れにせよ、早く収まってほしいものです。

f:id:ksen:20200125123008j:plain

2. ところで前回は、カルタ会などについて報告しました。フェイスブックでいろいろ

コメントを頂きました。

(1) 百人一首の話から、「耳で覚える」文化の大切さに触れたところ、沢崎さんから「暗誦の文化が残ってほしいと、心から同意する」と賛成してくれました。

 藤村の「千曲川旅情の歌―小諸なる古城のほとり~」を今でも暗唱できると書いたところ、飯島さんから「藤村の「初恋」を覚えたのは純情な中学生の頃。「まだあげそめし前髪の、林檎のもとに見えしとき~」・・・」と書いてくださいました。

 そういえば、私も詩というものを始めて声に出して覚えたのは「初恋」だったかもしれません。

(2) ともに定型詩ですが、前者は五七調、後者は七五調です。和歌・俳句や歌舞伎の口

上や演歌に至るまで、日本人は昔から五と七の調べが好きですね。

 何故かは分かりませんが、やはり、言葉は耳で覚えることからくるのでしょう。以下のように説明する俳人もいます(長谷川櫂)。

――「日本語の母胎である大和言葉は2音の単語と3音の単語を基本にした言葉である。はな(花)つき(月)いのち(命)こころ(心)。ひ(火)て(手)ゆ(湯)などの1音の単語も昔は、ひィ、てェ、ゆゥと2音で発音した。

 この2音と3音のもっとも単純な組み合わせの中から、まず和歌が生まれた・・・・」

f:id:ksen:20200215082932j:plain

(3) また、「千曲川旅情の歌」を例にとって詩人の三好達治は著書の中で、詩の優れた音韻効果を指摘しています。

・例えば歌い出しの2行、「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ」には、母音Oの音がたいへん多い。1行目には8個もある。2行目にはU音が多く出てくる。

「母音のOUと子音のKとの巧みな組合せの効果が、この詩の冒頭2行を支配している、その快適な響き、その調子のよさは、殆ど偶然と思えるくらい、上乗の出来栄えだ」。

・例えば第3節、「暮れ行けば浅間も見えず、歌哀し佐久の草笛~」の2行であれば、「母音のAが9回くりかえされる」

「殊に、「浅間」という固有名詞が、その母音を三つ重ねているのはたいへん特徴的で、それが「佐久」に呼応し、末尾の「草笛」にまた呼応する・・・・」

と絶賛しています。

  言葉は耳で覚える、そしてそれを諳(そら)んじる。そこから美しい日本語が心に残る・・・・

(4) もちろん、暗誦は日本語だけではないので、英語もフランス語もそうなのでしょう。

 文学者の吉田健一はいうまでもなく吉田茂の長男で、外交官の父とともにパリ・ロンドンで幼年時代を過ごし、その後ケンブリッジに留学した。

  会話の中に、フランス語ならボードレールヴァレリー、英語ならシェイクスピア、イエィツなどの詩の一節がごく自然に出てきたそうです。

  そのことについて英文学者の福原麟太郎が回想しています。あるとき、「ぼくなど詩の一行だってすらすら出てこない」と言い出したら、いきなり「覚えりゃいいじゃないか、覚えられない位なら英文学の教師をやめりゃ良いじゃないか」と、もう一太刀あびせられた。吉田さんという人はそういう激しさも持っていた」と書いています。

f:id:ksen:20200215082809j:plain

3. Masuiさんからは、やはり日本語についてコメントを頂きました。

「日本語はきれいですね。ドイツにいたころドイツ人からも度々言われました。国にとって最も大切なものは国語だと思います。どんなに国の力がなくなっても、国語を守っていればその国は滅びないです。国語はその国のすべてを濃縮したもので、最も大切に守らなければなりません。挨拶は人間社会で最も簡単にして最も大切な潤滑油です。最近の日本人は挨拶が出来なくなっているのではないでしょうか?50年余り前に独逸で暮らしていた頃、ドイツ人は少数でいる人には必ず挨拶をしていました。郵便屋さんや知らない人でも。」

 それにしても、最近の日本語の質は低下していますね。政治家の発言が典型的ですが、一国の首相が「国権の最高機関」国会でヤジを飛ばすというのは下品で情けないです。

 せめてたまには、三好達治の『詩を読む人のために』でも拡げて、日本語はこんなにきれいな言葉なんだと知る感性を持ち合わせてほしいのですが、無理でしょうね。

f:id:ksen:20200125144333j:plain

4. 最後になりますが、岡村さんは、Masuiさんの「挨拶」についてのコメントを受け

て、「フランスやドイツでは早朝リュックを担いでホテルを出ると行き交う人が言葉をかけてくれました。自分の顔が自然に綻びるのがわかります」と書いて頂きました 。

 京都という街は「社会空間である」という認識について、さはさりながら京都も東京資本と観光客が増えて変わってきているという指摘もありました。

 これにMasuiさんがさらに反応してくださり、同氏のコメントは「岡村さんはいろいろと経験が豊かで、豊富な感性豊富で、人間味の深さを感じます」。

 その通りだと思いますし、こういう具合にコメントを頂く方同士(お互いに見ず知らずにも拘わらず)が言葉の交流をするのは、私にはとても嬉しい出来事です。

京都を歩き、人に会い、かるたを取りました。

1. (1)もう10日以上前ですが、京都に2泊しました。今回は遅ればせながらその話で

す。中国からのコロナヴィルス発生がすでに報道されていましたが、まだあまり気にせずに、歩き、多くの人に会いました。

f:id:ksen:20200125144928j:plain

 穏やかな日和で、大徳寺の早咲きの梅がもう咲いていました。

 主目的は私事ですが、従妹の家での「新春かるた会」です。

 その他にも、もっぱら人に会い、お喋りをし、酒食を楽しみました。

 時間がゆっくり過ぎていく気持になる、京都で過ごすといつもそう思います。

 名所旧跡や、お寺を訪れたりしなくても、街を歩いたり、バスに乗って窓からみえる比叡山や鴨川を眺めるだけでほっとします。

f:id:ksen:20200126121320j:plain

(2) 観光客が多いといっても、東京の新宿や渋谷の雑踏とは少し違うように思います。

 老人には東京の街中を歩く人々の速さとお互いの距離間隔がなかなかついていけない。  京都の人は歩くのが少し遅いし、躰が触れ合うこともない。

 それと人々の表情が穏やかな感じがする。東京では、忙しそうに、不機嫌そうにしている人が多い。

f:id:ksen:20200126125206j:plain

そんな話を、いつも行く気楽な割烹「松長」で常連さんと話していて、

「京都では、街中は社会空間。みんなが仲間。外に出れば誰か知っている人が必ずいて、見ている。東京では外に出れば知らない人ばかり。その違いが大きいのではないか」という女将のコメントを面白く感じました。

「子供にも、外で知っている人に会ったら必ず挨拶するように」しつけているという常連の女性客もいました。

(3)そういえば、出発の朝、品川駅で11時10分の新幹線に乗るために、山手線を降りて階段を上がっていこうとした時です。

 若い女性が左手に赤ちゃんを抱えて右手にベビーカーを持って階段を上り始めました。

 誰も知らん顔をしているので、ベビーカーを私が持って一緒に上がりました。並んで上る母親から「有難うございます」と3回もお礼を言われました。

 むろん、礼を言われるほどのことではありません。

 電車から降りたばかりの沢山の男女が階段を上がって追い抜いていきましたが、皆忙しそうで、旅行鞄を持った81歳の老人に代わってあげると言ってくれる人は誰もいませんでした。

 東京人は誰もが、他人を構っていられないのでしょう。中には「エスカレーターのついた階段を探せばいいじゃないか」と意見を述べる人もいるかもしれない。こういうのを、頭の良い人の「合理的あるいは功利主義的発想」というのでしょう。しかしそういう思考で動く人ばかりではないし、そうでない人への気遣いが「仲間意識」ではないのか。

 そんな話を「松長」でしたら、常連の、京都生まれ・育ちの女性が、

「以前、東京に行ったときに、同じようなことをしてあげたら、若い母親が涙を流してくれました」と言っていました。

 街中も社会空間、見知らぬ人でも、二度と会わない人でもすべて「仲間」、そんな感覚が大事だなと思った次第です。

 京都もだいぶ変わってきているかもしれませんが、それでも「イノダ」の主、柳居子さんのブログを読むと、たまたま一緒にバスに乗り合わせた初対面の外国人の女性と会話を交わし、料理のレシピを交換する仲になったそうで、まだ「社会空間」の意識は東京よりだいぶ残っているのでしょう。

f:id:ksen:20200124180649j:plain

2.最後にカルタ会の話です。

(1) 所詮は、、競技かるたのような技量の持主はおらず、ただ大勢で遊ぶだけです。

当初始めた頃の我々老人世代(とその前の世代)は徐々に減り、その代りに次世代が入り、今年はさらに第3世代まで顔をみせて、賑やかでした。

 いま百人一首はマンガになったりして若者に人気上昇中とのこと。

今回は、最年少は姪の長男の小学1年生。私の妻の隣に座って、教えてもらって「田子の浦に~富士のたかねに雪は降りつつ」(山部赤人)を1枚だけ取って大感激でした。

「ドラエもんの小倉百人一首」というマンガを持参していたので、夕食会でこの本をもとにクイズを出して遊んだところ喜んだようです。帰京してから、丁寧な手書きのお礼状が我々老夫婦あてに届きました。一生懸命に書いたようです。何でもメールの時代に貴重だと、妻は大事に取っています。

 そういえば、英国に住む次女一家を見ていると、同国ではまだ手書きのカードをやりとりする風習が残っているようで、忙しい中、我が家にも孫の礼状が届いたりします。

 手書きの手紙文化は、少しでも残って欲しいものの1つです。

f:id:ksen:20200125160855j:plain

(2) 残ってほしいのは、かるたで遊ぶ文化もその1つ。

 もう一つ残ってほしいものに、「暗記する文化・風習」があります。

 百人一首を私が遊び始めたのが、やはり姪の長男と同じ年ごろでした。

 意味も何も分からず、ただ闇雲に覚えて、上の句の最初の5文字で下の句を覚える。従って間の「七五」はとばしてしまい、いまでもなかなか出てこない句があります。

子供は記憶力は強いですから、遊んでいるうちに自然に覚えてしまいます。

そのなかでやはり、子供心に自分の好きな「リズムや調べ」があって、好きな句が幾つか生まれます。これだけは大人に負けずにすぐに手が伸びます。

 私であれば、例えば

「かくとだに、えやはいぶきのさしも草、さしも知らじな、もゆる思ひを」(藤原実方

の句は、なぜか調べがごく自然に頭に入って忘れられません。

「いぶきのさしも草」はもちろん、滋賀県の霊峰伊吹山で、新幹線で京都が近くなると、右手の車窓から山容が見えてきます。冬はいつも薄く雪をかぶっていますが、今年は暖冬のせいか、雪なしの山姿でした。

「さしも草」はヨモギのことで、お灸に使うもぐさの原料になります。古来から伊吹山の名物です。「かくとだに」と歌い始めて、「さしもぐさ、さしもしらじな」とつなげる、日本語の美しさを感じます。

(3) もちろん百人一首でなくても、例えば島崎藤村(「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子かなしむ~」)でも、立原道造(「夢はいつもかへっていった、山の麓のさびしい村に」)でも、何でもいいのですが、「暗記する文化、そして時々それをそらんじたり引用したりする文化」は大事ではないかなと思う者です。

  いま学校教育では「自分で考え、調べ、発表する」といった自己開発能力が重視されているようで、その点に異存はありませんが、同時に、頭脳が柔らかい時に、古典でも何でも意味が分からなくても、少なくともその一節を記憶してしまう。

 意味は大事かもしれないが、身体感覚や感性も大事ではないか。言葉の記憶はおそらくいつまでも忘れないし、その頃覚えた「美しい日本語」はその後もその人の言葉遣いや生きる態度や感性として残っていくのではないでしょうか。

 

京都で考えた「寅さん」とアメリカ大統領選挙

f:id:ksen:20200131153631j:plain

1. 前回のブログで、いま上映中の映画「お帰り寅さん」を観るきっかけになった台詞

(「人間は何のために生きている?」)を、岡村さんに教えて頂いたことに触れました。

寅さんの映画を全作見ている友人が、このせりふが出てくるのは39作目の「寅次郎物語」(マドンナは秋吉久美子)だと教えてくれました。

https://www.cinemaclassics.jp/tora-san/movie/39/ 

松竹の公式サイト「39作目予告篇」に台詞が載っています。

(1)「男はつらいよ」の第1作は1969年だそうですが、私が初めて観たのは70年代半ば、ニューヨークでです。日本食料品店が、たぶん顧客サービスで無料だったと思いますが、日曜日に古い「寅さん」を上映してくれて、何度か家族で観に行きました。

海外で観ると、日本の自然も風物も何とも懐かしく、涙がでました。

帰国してからは、現金なもので、すっかり足が遠のきました。

(2)寅さんという存在は「国民的人気」と言われます。しかし「国民的」といっても、例えば東京と京都では若干温度差があるのではないでしょうか。

昔、京都の大学の授業で、笑いを取ろうと思って寅さんの言動を紹介しました。予想に反して、「ただのアホやんか!」という学生の反応にがっかりしました。

「それじゃ何が面白い?」と訊くと「それりゃ吉本!」と答える。そこで吉本を大坂まで観に行きましたが、これが私にはさっぱり面白くない・・・

(3)京都であれば、生まれも育ちも京都で、長期間離れたことがない私の従妹や「イノダ」の主であれば、上記の学生の反応に共感するかもしれません。もちろん岡村さんのように純粋の京都人でも、若い頃に京都以外とくに海外を旅してまわった方の場合は少し違うでしょう。

他方で、「外国でも寅さん人気」という1月11日付毎日新聞のように、外国人にもファンが多いそうです。

(4) 要は、同じ日本人でもファンもいればそうでない人もいる、人さまざま。そういった多様性・違いは大事にしたいと思います。

f:id:ksen:20200121080155j:plain2.「人さまざまが大事」と思ったのは、京都に2泊して帰京してからのことです。本日が京都市長選挙の当日ですが、滞在中は選挙運動の真っ最中でした。その中で現役候補を支持する「京都の未来を考える会」が、京都新聞に「大切な京都に共産党市長は「NO」」という広告を出したそうです。

長年の友人の株式会社カスタネット社長の植木力さんが、「いろんな考えがあっていいし、そう思う人もいるだろうが、選挙中のこのやり方は駄目だろう」とフェイスブックに怒りのコメントを掲載しました。

f:id:ksen:20200201075932j:plain   私のよく知っている、あの温厚な植木さん(彼が社員に怒っている・威張っている姿を見たことがない)だけに、よくよくの発言でしょう。おそらく彼は、これは「ネガティブ・キャンペーン」以外の何でもないし、「敵・味方」を区別して敵を叩くトランプ大好き戦術だと感じとったのでしょう。

何より、私の好きな京都と京都人は、もっと懐の深い、多様性を愛する、面と向かって喧嘩をしない、寛容で「大人」の街であり、人たちだと思いますが。

頑張れ、植木さん!

3.選挙の話になりましたが、いよいよアメリカ大統領選挙戦のはじまりです。

(1)2月3日のアイオワ州での党員集会を皮切りに、長丁場の選挙が始まります。

7月半ばに民主党が、8月下旬に共和党がそれぞれの党大会で正副大統領候補を決めて、11月3日の選挙で次期大統領が選ばれます。

(2)共和党は現職のトランプでほぼ決まりでしょうが、民主党は混戦です。

 バイデン(オバマ政権の副大統領)、サンダース(2016年にヒラリー・クリントンを最後まで苦しめた、「社会主義者」)の2人が一歩先行しているが、それぞれ支持率20%台でこれから何が起こるか分からない。大富豪のブルームバーグも莫大な自己資金を使って追い上げている。

f:id:ksen:20200122151907j:plain

(3)そういう状況で、ニューヨーク・タイムズは1月22日(電子版は19日)の社説で「本誌は民主党の候補者として、エリザべス・ウォーレンとエイミー・クロブシャーの2人を支持する」と正式に表明しました。ウォーレンはマサチューセッツ州の、クロブシャーはミネソタ州の、ともに上院議員です。

(4)同紙社説の今回の特徴は、

・1人に絞るのではなく、2人を選ぶのはきわめて異例であり、

・その2人とも女性であり、

・支持率ではむしろバイデンやサンダースに遅れを取っている候補者である。

(5)なぜこの2人なのか?について同紙はこう言います。

「いまの民主党は、制度にメスを入れるべきとの意見と、国をまとめる能力が重要だという主張とが対立している。しかし本紙はどちらも重要であり、かつ民主党は歴史的に常に進歩派であったし、方法論の違いと考える。従って、それぞれの主張から最も優れた候補を1人ずつ選びたい。

即ち、経験、実績、能力、人格、政策などの諸点で、制度改革派からはウォーレン、安定と寛容重視派からはクロブシャー、この2人である」。

(6)このうち、エリザベス・ウォーレンについては英国エコノミスト誌昨年10月26日号が表紙に写真を載せ、論説で一定の評価をしていることをブログで紹介しました。https://ksen.hatenablog.com/entry/2019/11/10/090411

 エイミー・クロブシャーについては殆ど知りません。しかし、1月13日に開かれた「民主党候補者」による公開討論会をPC で見ましたが、確かに説得力があり、しかも無闇に攻撃するのではなく、冷静かつユーモアもある論弁でした。メディアでも、この2人が「本日のdebate(論争)の勝者」とする意見が多かったです。

f:id:ksen:20200115144629j:plain

 因みに、相手との違いを認め、その違いにただ「NO」と否定するのではなく相手に一定の「リスペクト(敬意)」をもって、その上で論理的に自らを主張する、そういう態度が「debate」には大事です。(植木さんが怒るのはもっともです)。

(7)NY TIMESを読むのは米国のインテリ層に限られるでしょうから、本紙の主張が一般の有権者に与える影響力はさして大きくないでしょう。

それでも、勝ち馬に乗るのでなく(明確な勝ち馬がいない状況ではあるが)、劣勢にある候補者でも自らの判断を尊重して支持する姿勢は評価したいと思います。

(昨年12月12日の英国総選挙で、エコノミスト誌が論説で、EU残留を明確に主張する劣勢の自由民主党への支持を表明したことを思いだします)。

(8) NY TIMESは最後に、「読者の中には、1人に絞りこまないことへの不満があるかもしれない。しかし、本紙はこの2人がともに優れた候補者で甲乙つけ難いことに加えて、民主党の路線として中道と進歩派のどちらを選ぶのかは、これからの予備選を通して有権者が選択すべき問題であると考える」として、

f:id:ksen:20200122161523j:plain

「(どちらであっても)最良の女性候補者の勝利を祈る(May the best woman win.)」という言葉で「社説」を結んでいます。

“Best”と信じて応援する政治家が2人もいるということは、(勝利には至らないかもしれないが)羨ましいなと感じました。

「男はつらいよ、お帰り寅さん」を観る

1.ここ2回続けて、気候変動と「グレタ効果」をご報告しました。コメントをいろい

ろ頂き、関心の高さを感じました。「若者が主導して(権力者や年寄りはせめて邪魔しないで)グレタさんを日本に招いてほしい」という意見もありました。

この問題、私としてはまだまだ勉強も自己努力も足りないと感じています。

2.実は、このブログは日曜の朝にアップするのが原則ですが、今回は京都行で外出す

るので早めに出させて頂きます。

f:id:ksen:20200117122228j:plain

ということで気楽な話で、映画「男はつらいよ、お帰り寅さん」を家人と二人で観に行ったという報告です。

久しぶりに老人二人が人混みの街を散歩し映画館に入ったきっかけは、岡村さんのフェイスブックの以下のコメントです。

「映画で「おじさん、人間って何のために生きているのかなぁ」と満男が寅さんに語りかけます。「生まれて来て、生きてて良かったと思うことがなんべんかはあるじゃないか、その為に人間生きて居るんじゃないのか」そんなセリフが流れていました」。

以前の「寅さん」映画の場面でしょうが、どうも見た覚えがない。岡村さんが引用された気持ちがわかるいいセリフだな、自分でも映画館で確かめたいと思いました。

3.誰もがご存知でしょうが、ほぼ全作山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズは、

テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、故郷の葛飾柴又に戻ってきては騒動を起こす人情喜劇で、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く」。

主演の渥美清死去によりシリーズはいったん終了したが、20年以上経って第1作以来50年目となる昨年12月に50作目「お帰り寅さん」が公開され、この年の日本国際映画祭のオープニング作品となりました。

本作は、現在の満男(さくらの息子)とかっての恋人・泉とが再会する物語を中心に、昔の場面を織り込み、技術的にも内容的にもよく出来た映画です。

f:id:ksen:20200119150725j:plain

日本外国人特派員協会が山田監督の記者会見を開き、YoutubeでPCから観ることができます。これもなかなか面白い。

「フーテンの寅」を英語では、「free-spirited fool(自由な精神の愚か者)」と訳していいるが「フーテン」の英訳としてはかなり意訳ではないか?という質問に、山田監督は「意訳でいいんです。精神の自由は寅さんの大事な要素なのです」と答えていました。

第1作では妹さくらを演じる倍賞千恵子はまだ25歳、本作では75歳になって同じ役を演じています。登場人物の誰もが歳を取るが、寅さんだけは変わらない姿で回想場面に登場する。そこが映像の魅力でもあり「変わらない寅さん」の存在感が観客の心を動かします。

f:id:ksen:20200117122205j:plain

4.「人生の師である」(山田監督)寅さんを、現在の満男はしばしば懐かしく思いだす。

そういう回想のいちばん初めに、冒頭に紹介した、岡村さんが書いておられる場面が出てきます。

どの作品か私には分かりませんが、旅に出る寅さんを高校生になった満男が柴又駅まで送っていく途中での会話です。人生に、恋に悩む満男が問いかけ、立ちどまって暫く考えて寅さんが答える、いい言葉だと思います。監督が本作の冒頭に再録したいと思った気持ちがよく分かります。

f:id:ksen:20200117122220j:plain

 面白いと思ったのは、このセリフに関して上述した記者会見で外国人特派員から質問が出ました。

 「監督ご自身は、“生きていてよかった”と思うことは何ですか?」という質問です。

山田監督は「弱ったな」と言いながら、次のように答えました。

「私自身は、嬉しいことばかりの世の中には生きていないように思います。いまの世界は、日本国内も国際的にも喜ぶべき状況にはないのではないか。「ああよかった」と思えるような時代まで生きていけたらいいなと思う。それがいちばん大事なことかな・・・・」。

 寅さんの受け答えとは違いますが、これもまたいい返事だなと思いました。88歳にもなってまだ映画を作り続ける、その原点にいまの日本や世界に対する「怒り」がある、その気持ちに打たれました。

そう言えば、寅さんの心にあるのも「怒りではないか」と監督は語っています。

いまある素人雑誌に雑文を書き続けている19世紀の英国の小説家チャールズ・ディケンズのことを思い出しました。『一九八四年』や『動物農場』で世界的に知られるジョージ・オーウェルは、ディケンズを「19世紀リベラルの顔」と呼びます。どういう顔かというと、「ディケンズは笑っているが、その笑いには少し怒りも感じられる。しかし、勝ち誇ったりするところや悪意はいっさいない。つねに何ものかと闘っている、公の場でひるむことなく闘う男の、“寛容な心で、しかし怒っている顔・・・・」。

 ひょっとすると、「自由な精神」を軸にしてディケンズと寅さんとはどこかで共通するところがあるかもしれない、そんなことを考えました。

f:id:ksen:20200122085906j:plain

5. 最後に、満男の昔の恋人・泉です。40代になった後藤久美子が演じます。

ジュネーブ国連難民高等弁務官事務所に勤めて、久し振りに上司とともに日本に一時帰国したという設定です。

難民救済活動についての講演会を日本で開き、流ちょうなフランス語と英語で説明します。終わって上司の女性と移動します。銀座の華やかな通りを車で走り、二人はフランス語でこんな会話を交わします。

――上司「ずいぶん賑わってるわね」

泉「ええ銀座ですから」

上司「みんな幸せなのかしら?」

泉「どうでしょう~~~不満はないと思いますけど」

上司「不満がなければ幸せなのかしらね」――

f:id:ksen:20200120125814j:plain

上司役を演じたのはウィーン生まれの文学博士、日本映画史専攻で、明治大学教授。

彼女は、キネマ旬報の特別号でこう書いています。

車中の場面の撮影は、実際に銀座を走る車の中で行われたこと。上記のセリフは山田監督が現場で即興的に作った。しかもフランス語なので、後藤久美子さんと共に、ちょうど良い言葉遣いを目指し、監督の日本語をフランス語に訳し、言葉を選び抜いたこと。

そしてこう続けます。――「数秒で終わるこの場面は、多くの観客は忘れてしまうに違いないが、無意識のうちに少しは残るかもしれない。経済的な豊かさを優先する現代人に対しての、山田監督の小さなメッセージであろう。他に大切なものはないのか。人間同士のつながりの方が重要なのではないか。考えてみれば、寅さんはこうした生き方の象徴である」。

そして山田監督自身はキネマ旬報の中で、この場面についてこう言っています。

「今の日本人は不安を抱いている。~日本の政府はその不安を解消しようとしない。~だから、自分だけは何とかしようと必死になっているのかもしれない。だから訳のわからない焦燥感に駆られている。とても不安な国だよね」。

――――観ているときは笑ったり泣いたりして、終わってみればいろいろ考えさせられる映画でした。

「グレタ効果」―「時には、子どもの眼で世界を見ること」

f:id:ksen:20191221151519j:plain

1. 前回のブログ「タイム誌2019年“今年の人”にグレタさん」では、渋谷が「学生時

代にもっともよく通った懐かしい街だった」と書きました。

 中高までの通学に使った「館(やかた)ぶね」と呼ばれるバスの思い出話に触れたところ、同級生のMasuiさんから「自宅からは新宿経由が普通だが、ときどき渋谷まで回り道をして、このバスに乗って学校に行った」という微笑ましいエピソードを頂きました。

 中高6年間の男子校なので、女学生は憧れるだけの存在。おまけに近くに女学校が多く、嫌でも意識する。「前に聖心右手に館、後に控える山脇・英和、中にそびえるザブ中の白亜♪~」なんていうジコチューな、ズンドコ節の替え歌までありました。

 他方で、我善坊さんからは、「70年代以降、学生が元気を失くしたのと軌を一にして、渋谷が落ちぶれたようです。・・・・渋谷と学生が元気であるような時代が来ますように!」というコメントを頂きました。

f:id:ksen:20200117132308j:plain

  渋谷は私の大学生時代であれば、道玄坂百軒店(だな)には名曲喫茶や大衆食堂・劇場があり、恋文横丁には安くて旨い餃子の店がありました。貧乏な若者の集う雑然と汚い、しかし活気はあったように思います。

「此処に恋文横丁ありき」と書かれた小さな碑がいまも立っていますが、気づく人もいないでしょう。碑には「かって、これより入った奥に36の小さな店があった。彼らは、希望とロマンを求め、この名を付けた。恋文の代書業を営む者たちが集まっていたことに由来する。この地を舞台とする映画(丹羽文雄原作、田中絹代監督)も作られた」とあります。

2. 以上は前置きで、今回もグレタさんの「今年の人」記事の続きです。タイム誌は言います。

(1)「むろん彼女は、気候変動の問題に、魔法のような解決策を示している訳ではない。

彼女の功績は、たった一人で始めた抗議行動が、世界の声になっていったことにある。」

(2)グレタは16歳だが、小柄で12歳ぐらいにしか見えない。

アスペルガー症候群」の持主であり、彼女の「感情領域(emotional register)」は、多くの人たちと少し異なる。

・人混みを嫌う。

・雑談や世間話を無視する。

・率直に言葉を発する。

・おもねられたり、はぐらかされたりしない。

・有名人の存在にも、自分自身が注目されることにもまったく関心がない。

このような個性こそが、彼女が世界的なセンセーションを巻き起こす一助となった。

(3)グレタは、いかなる政党や団体のリーダーでもない(環境保護に熱心な、伝統的な活動を続ける一部の人たちから、逆に批判されている)し、科学者でも政治家でもない。

 ごく普通の10代の少女であり、ただ、真実を力に変える勇気で「世代の偶像」になり、世界中の人々の関心を高め、態度を変えさせた。

「時には、人々の考え方を変える最善のやり方は、子供の眼を通して世界を見る(to see the world through the eyes of a child)ことだ」。

3.続いてタイム誌は、個人としての彼女を紹介します。

f:id:ksen:20200115110402j:plain

(1)母親はスウェーデンの著名なオペラ歌手であり、父親は俳優で親戚にはCO2排出を研究しノーベル賞を受賞した科学者がいる。

(2)11歳の時に、学校の授業で、地球の温暖化についてのヴィデオを見せられた彼女は、大きなショックを受けて自閉症のような状態になった。

両親は心配し、当初は「あなたがそんなに悩むことじゃない」と説得を試みるが、やがて彼女に寄り添い、支えるようになる。肉を食べることをできるだけ避け、太陽光を屋根に取り付け、音楽会のため欧州のあちこちを飛び回る母親は、多大な犠牲を払って、ついに飛行機を利用することも諦めた。

 2019年にはスェーデンの「環境保護にもっとも熱心な家族」に選ばれた。

(3) 「私は世界を白黒に分けて見るし、妥協が嫌いなのです」と言うグレタは、自らのアスペルガー症候群に感謝もしている。「何時間も座り込んだり、関心のある本を集中して読んだりできるのは、そのお陰なのです」とも語る。

(4)そして、2018年5月に彼女は気候変動に関するエッセイを書き、新聞に掲載される。8月、たった一人で学校を休んで「気候ストライキ」と称して国会議事堂前に座り込む。

 1日目は彼女ひとり、2日目に見知らぬ人が一人加わる。数日後には何百人にもなる。

 9月初めに、大勢が集まったのを見たグレタは、「これから毎週金曜日、この国がパリ協定の温室効果ガスの排出削減目標に応じるまでストを続ける」と宣言。

 かくして「未来のための金曜日」運動が生まれた。

4.記事は、このあと、(1)世界中が彼女の声に応えて行動を始めたこと、(2)世界の指導者、政治家、経済界などの反応や、(3)世界の若者に勇気を与えたことについての具体的な事例を詳細に紹介します。

 記事の最後は、昨年12月6日、マドリッドで開かれたCOP25の国際会議当日には、何十万人のデモがあったことを伝えます。プラカードには「老人は老齢で死ぬ。私たちは気候変動で死ぬ!」と書かれました。「世界を再びグレタのものに!(Make the world Greta again.)」という叫びが世界に響きました。(言うまでもなく、Americaの代わりにthe world, ” Greta ”は”great” のもじりです)。

f:id:ksen:20200116083053j:plain5. 前回のブログには、Masuiさんから「環境問題は待ったなし。特に原子力、石炭に頼らないで、飛躍的なエネルギー効率の技術を大至急開発すべき。日本の若者はもっと環境問題に関心を持って活動をしてほしい」と、飯島さんからは「グレタさんを日本に呼んでほしい。若者たちのパブリック意識を高めてほしいと願っています」と、コメントを頂きました。

 たまたま1月5日の東京新聞が、共同発として以下報じました。

――「グレタさんが3日、首都ストックホルム共同通信の単独取材に応じ・・・・今年も権力者に圧力をかける、中国など欧米以外の地域への訪問も計画していると説明。また、招待があれば「日本にも行く」と話した」――

f:id:ksen:20200117120217j:plain

6. 1月13日の新聞は、「2008~2017の10年間、温室効果ガスの排出量が増え続けたという厳しい国連の報告書が出た」と報じました。

 日本も気候温暖化がひきおこす大きな災害の無い年であってほしいと願いますが、豪州やフィリピンの山火事など不安です。

 豪州についてはエコノミスト誌が論説でも取り上げています。デンマーク1国の面積に匹敵する同国の史上最大の山火事で、すでに26人が死亡、2300の家が焼け、5千万匹の野生動物に被害が及んでいる。

 2019年の豪州は、過去もっとも暑い年で、平均より1.5度高く、雨量は過去最低で、平均より40%も少ない、これは明らかに気候温暖化の影響が大きいと指摘しています。

 

 

タイム誌「2019年今年の人はグレタ・トゥンべリさん」

f:id:ksen:20191221151501j:plain

1.渋谷駅周辺の再開発が進み、その変貌が著しいですが、地下鉄銀座線の新しい渋谷

駅が1月3日からお目見えしました。

 学校が港区麻布にあり、中高の同級生には渋谷から通学する者が(私を含めて)多く、懐かしい土地です。60年以上も昔の思い出話の投稿が同級生ネットにしばし賑やかでした。渋谷からのバスで一緒になる通学の女学生にほのかな好意を寄せたというような話です。中には、後に女優になった女学生もいたそうです。

 バスは片道7円50銭、我々は終点の「日赤病院」まで乗りましたが、途中幾つもの女学校近くで停まり、とくに東京女学館の生徒が多く、私たちは「館(やかた)ぶね」と呼んでいました。

 いま、渋谷はすっかり変わり、老人には縁遠くなりましたが、昔も今も若者の街だったのかもしれません。

f:id:ksen:20200107092545j:plain

f:id:ksen:20200107130501j:plain2.若者と言えば、今回は恒例のタイム誌「今年の人(Person of the Year)」の紹介です。

  昨年の最終号で同誌は「若者の力(The Power of Youth)」との副題で、16歳のグレタ・トゥンべリさんを「2019年の人」に選びました。

 トゥンベリとは言いにくい苗字ですが、デンマーク語は知りません。英語では“Greta Thunberg”と表記されます。

 2017年は,セクハラに声を上げた”#MeToo” 運動の「沈黙を破った人たち(The Silence Breakers)」、

2018年は、真実と民主主義を守るために命を落としたり迫害されたジャーナリストたち「ザ・ガーディアンズ(The Guardians)」、

と2年続けて複数の人間が選ばれましたが、今回は3年ぶりに「個人」が、しかも個人では最年少のグレタさんでした。

 もっとも彼女の背後には、世界中のデモに参加した7百万人という若者がいる、新しい世代のうねりを感じる、というのが同誌の見立てです。

3. 同誌はまず「新しい時代」と題する巻頭文で、92年前、偶然からこの企画が始まったという歴史を語り、今回の決定につなげます。

(1) 92年前の1927年のこと、年末になって編集部は、25歳の英雄チャールズ・リ

ンドバーグをまだ表紙に採用していなかったことに気が付いた。

 彼は、同年5月「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座プロペラ機ニューヨークパリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功という偉業を成し遂げたのである。

(2) そのために急遽「今年の人」という特集記事をスタートさせて彼を選出し、無事にその肖像を載せることが出来た。

 それ以来、「今年の~」は同誌最長の企画になり、他誌も追随して、ジャーナリズムでもっとも成功した企画になった。

(3)しかも以来、リンドバーグの25歳という若さは91年間破られることがなかった。

 その歴史が、2019年、グレタ・トゥンベリによって書き換えられたのだが、そのことをリンドバーグも地下で喜んでいるだろう。

 なぜなら、チャールズ・リンドバーグは晩年、環境保護活動に熱心に取り組み、「どちらを選ぶかと訊かれたら、私は飛行機よりも鳥を選ぶ」と語っていたからである。

f:id:ksen:20200112081255j:plain

4. そして続けて、「選択=なぜ彼女か」と題する本文で彼女の行動の意味を以下のよう

に総括します。

(1)気候変動をめぐる彼女のメッセージには、危機感があふれている。

 にも拘わらず、その核心には楽観主義が存在する。なぜなら、グレタの行動が示したのは、伝統的な権力構造に失望した世代に、歴史をつくるには何も権力の一部に属さなくたってよいのだというメッセージなのだから。

(2) それは、何かに怒っている若者が突如反抗に立ち上がるという、すべての親にとっ

てごく身近な物語から始まったが、史上もっともあり得ない速さで、世界中に影響力を与えた物語になった。

 デンマークの首都ストックホルムの国会議事堂の前に、「気候を守るための学校ストライキ」と手書きで書いたボードを掲げて座り込んだ、たった一人の少女の行動が、1年ちょっとの間に世界中に拡がる若者の抗議活動になった。

 150か国以上の何百万もの若者が、「地球を守ろう」と街中に姿を現したのだ。そして彼女は、世界中を旅して、ローマ教皇を始め、世界の指導者に会い、プーチンやトランプやブラジルの大統領から「ちっぽけなガキ」などと呼ばれながら臆することなく、「よくもまあ、恥ずかしくないのか(How dare you)?」と言い返したのだ。

(3) 彼女は、行動を要求している。その道のりはまだ遠い。

 しかし、少しずつ動き出してもいる。多くの国や企業がより真剣な取り組みを始めたし、60か国以上が2050年までにCO2排出量をゼロにする約束をした。

 若者だけでなく世界中の関心が一層高まった。オーストリアの総選挙では、緑の党の票が3倍に伸びて連立政権に入り、4人の閣僚を送り込み、メディアは「グレタ効果」と呼んだ。世界の石炭の半分を消費する、あの中国でさえ電気自動車生産に力を入れるなど変わりつつある。

(4)  2019年は、気候変動の危機が、世界的な課題として舞台の中央に上がった年だった。

 そしてそれを成し遂げたのは、たったひとりで始めたグレタの行動からだった。

 92年間のタイム誌「今年の人」企画の根底にあるのは、歴史は偉大な人間によってつくられるという仮説である。長い経験と実績を経て、一定の地位に上りつめ、権力の座にいる人たちのことだ。

  しかし、2019年、不平等、社会不安、既成の政治の機能不全が広がる中で、伝統的な「体制」が私たちを失望させた。

 その中にあって、新しい力が姿を現し、私たちに影響を与え、「体制」が決して達成できないやり方で私たちを結びつけたのだ。

f:id:ksen:20200111085825j:plain

f:id:ksen:20200111085805j:plain

5.  と書いた上でタイム誌は、「なぜ彼女が“今年の人”なのか?」について、

(1) 私たちの唯一の終の棲家であるこの地球を脅かしている人類へ、真摯な警告を発したがゆえに、

(2) 分断された世界に、国境や人種背景を超えた、世界大の声をもたらしたことに、

そして、

(3) 新しい世代が導く未来がどんなものかを私たちに示してくれたがゆえに、

「Greta Thunbergは、2019年タイム誌が選ぶ“今年の人”である」と述べています。 

 2020年最初のブログは、豆台風の襲来と年賀状の話

f:id:ksen:20170228160556j:plain

1. 今年最初のブログはもっぱら私事で申し訳ありません。

昨年12月後半の我が家は、娘が休暇を取って幼い孫を連れて英国から一時帰国。

狭い家はてんやわんやでした。下がまだ2歳で時差調整ができず、夜寝ないので老夫婦も(もちろん娘も)グロッキー状態でした。

晦日に無事に帰国したのでほっとして、元旦からは二人で暫くぼんやりと過ごしました。

それでも滞在中は、楽しいこともありました。娘はどうしてもお寿司を食べたいと、30日にすぐ近くの下北沢のごく庶民的な店に子連れで行きました。幼子は母親の気持ちを察したのか、何とかおとなしくしていました。

 

f:id:ksen:20191229185439j:plain

上の男の子は7歳ですが、歌と楽器の学習を始めていて、ヴァイオリンとピアノを弾いてくれました。

娘の亭主がプロの音楽家でおまけに彼の父・祖父と三代続きます。そんな環境なので、孫も4歳から楽器を父親に習い始めました。その点は恵まれた環境と言えるかもしれませんが、三代続くプレッシャーもある筈で、母親は「趣味でいい、プロにはなってほしくない」と願っているのではないでしょうか。音楽で食べていくのはたいへんなことです。彼らがどれだけ努力し・苦労しているかを知っているからでしょう。

 ということで身内の話になってしまいました。

しかし、まだ真っ白な未来に向かって育っていく幼子の姿を眺めるのは、身内でなく誰であっても、私には気持良いことです。

2.幼い子供たちが迎えるのはどんな未来だろうか?頂いた年賀状を拝見しながら

考えました。 

 頂くのも、出すのも、昔に比べれば随分減りました。「喪中欠礼」も増えたし、お互いに自然にやめていくケースもあり、「年なのでこれが最後になります」という挨拶も頂きます。私もそろそろ切り上げるかなと思いつつ、数は減りながらも続いています。年の初めに皆さまのコメントを拝見するのが楽しいからだろうと思います。

f:id:ksen:20191226150527j:plain3.型通りの挨拶状に、印刷または手書きでコメントを添える方もおられます。

(1)今年頂いた中で、以下の引用を載せた方がいました。

――「源氏物語・初音から」として、

「けふは、子の日なりけり。げに、千歳の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり」

(2)一年間の活動報告をしてくださる方もいて、近況がよくわかり、助かります。報告

の中には、葉書の裏面一杯を埋めた詳細なもの、少し自慢っぽいもの、いかに元気に・忙しく・豊かに活動しているかや思想信条を披露される方もおられます。

こういう文章を拝読すると、どこまで自らを語るか、その程度が難しいなと感じることがあります。

例えば、昨年、某首相の親衛隊で知られる超右翼の作家が書いた作品を読んで感動した、というコメントを書いてくれた友人がいます。

私はこの作家のものを読んだことがなく、読みたいとも思いません。よほど思い入れが強いのだな、いろんな人がいるのだなと思うしかありません。

他方で、年賀の挨拶に添えて、「改憲より、地位協定の、見直しを」という言葉を印刷してくれた友人もいました。

私が、某作家の著作を評価するコメントに違和感を覚えると同じ程度に、こういう改憲反対派のコメントを新年早々の賀状で読まされて憤慨する人もいるかもしれません。人はさまざまです。

f:id:ksen:20200102184732j:plain3.昔の職場の友人からの年賀状に添えたコメントは、企業文化を長く共有し、ともに

一定期間日本を離れて生きてきた人の文章だけに、共感することが多いです。

(1)住んだことのある他の国への関心が持続しているのでしょう。米大統領選挙や英国のBrexitの行方への懸念を書いてくれます。

(2)もっと広く、「世界中の騒動が止みません。正月気分もそこそこです」と書いてくれた後輩もいます。彼とは、ロンドンで一緒に働きました。

 なんとなく世界の今とこれからに不安を覚えている人が多いなと、読みながら感じました。日本では、おとそを飲んで「今年はオリンピックだ」と喜んでいる一方で、世界は、戦いに怯え、怒りのこぶしを上げている・・・・。

4.その日本についても悲観的なコメントが散見されました。

「今さえ良ければよい政治は参りますね」とか「経済が心配ですね」とか自筆で添えた方がいます。また、長々と日本経済の問題を指摘して「貧困層の貧しさの問題は、平均的な日本人の貧困化が進んでいる結果である」と結論付けた方もいました。

読んで、皆さんいろいろ勉強し・考えているなと感じます。もちろん老人が考えても何もできない、しかしまずは勉強することが大切ではないでしょうか。

5.やはり職場の先輩や友人からですが、昔を思い出したというコメントも頂きました。

(1)「子供たちがまだ小さかった頃、ご一緒に遊んで頂いたニューヨーク時代を、今頃になって懐かしく思い出しています」というコメントもあり、こちらもしばし懐旧にかられました。

(2)また、某先輩から「来信の整理中に大兄の古いお手紙を発見。しばし感慨に耽りました。ご厚誼感謝」というコメントもありました。

まだ電子メールもない、お互いに若き時期のことでしょう。書いた私自身は、何を書いたかも経緯もまったく覚えていません。体調を崩されたようで暫くお会いしていない先輩との交遊を、懐かしく思い出しました。

(3)気になったのは、某君からの以下のコメントです。

「~~遅くならぬうちに、長く快き友情に心からのお礼をお伝えしておきます。有難うございました。」

「遅くならぬうちに」という言葉遣いに少し驚きました。彼とは子供たちが小さい時から、家族ぐるみで一緒に海外暮らしの喜びも悲しみもともにしてきました。

どういう心境で書いたのか、お互いの年齢を考えれば分かるような気もします。しかし、それにしても、と思う気持もあります。まずは、メールを入れて、近いうちに会おうよと声をかけるつもりでいます。

f:id:ksen:20191223152416j:plain

6.最後に、(自慢話はいけませんが)、やはりもと職場の先輩友人から自筆で賀状に書かれたコメントを紹介いたします。

1つは、「貴兄のシニア・ライフは高度の教養人のものですね」

もう1つは、「毎週末のブログには元気づけられています。末長くお願いします」

―――もちろん、ともに社交辞令ではあるでしょう。

こんな言葉を、面と向かって言われたらお互いに鼻白んでしまうでしょう。

しかしその代わりに、たとえお世辞でも年賀状の片隅にちょこっと自筆で書いていただくのは有難く、まだ賀状を続けていてよかったなと感じた次第です。