ksen2005-12-16

先週末になりますが、中京区の某所で、マーリンさんプロジェクトで頑張ってくれた仲間が集まり、ささやかな慰労会を開きました。写真はその時のものです。夕方から大方は午前1時過ぎまで、お疲れさまでした。
感心したのは、根が真面目な人が多いせいか、KSENケーセン)をこれからどうするか・といった硬い話が多かったことです。もっとも最後には、「熟年離婚」というテレビドラマの話題が出て、こちらもいささか脅かされました。私はテレビをあまり観ないので全く知らなかったのですが、いま評判の番組だそうです。我が家の場合には、「熟年」を通り越して「腐年」(きれいな言葉ではありませんが要は「熟」も越えたということ)の段階に達していますので、あまり心配していないのですが・・・・
もう一つ感心したのは、皆さん、敬老精神を発揮するどころか、年寄りに対しても大いに批判し、遠慮なく自分の意見を主張する雰囲気で、これは大いに歓迎すべきことだと思いました。というのも最近の大学生を見ていて気になっているのは、若者(だけではないでしょう)が、良くも悪くも大人になって、本気で議論しなくなったという風潮です。
これは京都という土地柄もあるのでしょうか。私は生まれも育ちも東京ですが、東京人は(少なくとも昔は)もっとストレートです(でした)。「けんかする」という表現を、本気で議論するという意味で使うことが多かったです。「火事と喧嘩は江戸の華」という文化の伝統ですね。例えばフーテンの寅さんを思い浮かべてください。そう言えば、寅さんは関西ではあまり受けないかもしれませんね。あれは東京の(特に下町の)文化だと思います。
私が学生の頃は(昔は、昔は・・・という論調は好きではありませんが)貧しくて遊ぶ機会も少なかったこともあって、喫茶店やキャンパスの芝生に座って、何時間も口角泡をとばしたものでした。例えば「特攻隊の若者は大義のために死んだか?それとも犬死だったか?」というテーマで時にはとっくみあいになりかねない議論をしたことを懐かしく思い出します。だからと言って、尾を引いたり・根に持ったりすることはありませんでした。
会社に入ってもー会社の文化によるでしょうが、私の以前の職場であればー誰もが社長か頭取になったようなつもりで、国際金融銀行として欧米に伍していくのにはどうすべきか?というような話を夜遅くまで議論しました。
いま、大学生も、会社でも(まして、大学の教員間でも)あまりこういう本気の議論は無くなってしまったのではないでしょうか。その意味で、先日の慰労会は、青臭い昔に戻った気分で面白かったです。