我善坊さんお礼がたいへん遅くなりましたがコメント有り難うございました。

コルシカについてのロワイヤル発言は知りませんでした。
国家を選ぶこととサービスの実証、まったく同感です。

コメントに触発されたこともあり、三度、沖縄にふれたいと思います。まだ一度も行ったこともない土地なのですが。


1. 1月23日(火)の訪問時、関西沖縄文庫の金城さんからたくさんの資料を頂きました。全て目を通したつもりですが、その中に、2006年3月5日付琉球タイムズの号外があります。
琉球の独立決定―独立問う県民投票75%圧倒的支持」という大見出しで「すべての軍事基地撤去へ、暫定政府樹立・中国歓迎・日本政府は衝撃」という小見出しが続きます。
「もちろんパロディです」という金城さんですが、パロディは時として潜在化された意識の表象ではあるでしょう。


2. 05年8月の沖縄タイムズには「強制された死―集団死の実相」と題した寄稿が載っています。
1945年3月に起きた「沖縄戦の悲劇の極限と言うべき集団自決」について、やはり「金城」という名の元短大教授が2日にわたって寄稿し、「軍からの圧力・・・その他の諸要因がからんだ不可抗力にあらがうことが出来ずに、住民は、あの無惨な死に追い込まれた」と検証しています。
いまだに沖縄戦を風化させたくないという思いが読み取れます。

3. 最後に、「人類館事件」にふれておきます。
05年8月29日付け神戸新聞に「文庫」の金城さんが語っています。
インタビューした記者のリード文は ――大阪で開かれた「第5回内国勧業博覧会」(1903年)に、「人類館」という民間パビリオンがあった。沖縄、アイヌ、台湾の人らが生身で「展示」され、解説者はむちで指し示しながら「人種」を紹介した・・・


4. この事件について金城さんは現在も、本を出版し、演劇を上演しています。彼の言葉から以下紹介します。

・ ・・人類館に対する沖縄からの抗議は、「沖縄人をアイヌや生蛮(台湾の先住民族の高山族)と同列視するのは侮辱」というものだった。それは、「自分たちは日本人でありたい」という沖縄のインテリ層の主張で、日本の差別の亜流でしかない。差別された人間が、差別から逃れるために「迎合」し、差別の連鎖の中に組み込まれている。沖縄人のそうした足跡は、自分自身の過去ともだぶった。自分も小学校から高校時代、「日本人になりたい」と思い続け、沖縄人をばかにしていたから・・・・


沖縄報告はこれで終わりです。

私としては、この年まで生きてきて、横浜寿町のドヤ街にしろ、沖縄人の思いにしろ、何と知らないことが多い人生だったんだろう・・としか言えないのですが。

自戒をこめて、我ながら、もっと勉強しないといけません。


ところで上の写真は本文とはまったく関係ありませんが、それは何れまた。