年金問題について、まだ考えているのですが、なぜ、(事務能力において)日本人より優れているとは思えない米国でこういう問題が起きないか?以下は全くの私見でご異論もあると思います。


1. もちろん、ご記憶のように、2000年の大統領選挙の際、集計用紙の不備のため投票結果が確定せず、一部の州で手作業による再集計を余儀なくされ、混乱した。
この際、当時、不良債権問題で倒産して失業した日本の銀行員に手伝ってもらって、彼らの優秀なる事務能力に依存してはどうか?というジョークがアメリカで流行った。
この例のように、事務的なチョンボアメリカでももちろん起こりうる。しかし、年金管理のような事務ではまず、聞かない。これはなぜか?


2. 1つは、こんな事態になったら、敏腕なる弁護士が早速、国を相手に集団訴訟(クラス・アクション)を起こして、敗訴でもしたら膨大なる損害賠償の義務をおうというリスクの大きさがあると思う。


3. それと、もともと、人間にはミスはつきものという考えが強い。従って「ミスは必ず起こる。では、起きないようにするにはどうするか。起きたらどう対処するか」の発想が現実的である(日本人は「ミスは起きない」という前提で考えることが多いのではないか。従って、起きると、すぐに土下座したり最敬礼したり、謝ることには熱心だが、冷静に事務的に対処することが得意でない)


4. もう1つ、「文書管理システム」というか、物事をシステム化することが如何に大事かという発想の違いもあるのではないか。

5. 実は、いま、3回生のゼミでクロネコヤマト宅急便の生みの親・小倉昌男氏の“私の履歴書”『経営はロマンだ』(日経ビジネス人文庫)をテキストに使用しているが、ここに面白いエピソードが紹介されている。


6. ヤマト運輸の部長時代、アメリカを視察する機会があり、ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)という運輸会社を訪問した。その際、昔、父親(ヤマト運輸の創業者・社長)が「以前に訪問したことがある、と話すと、「ちょっと待っていろ」と言われた。何かと思っていると、かって父が書いた礼状をファイルから出してきて、見せてくれた。アメリカの文書管理システムは見事なものだと驚嘆した」(同書96頁)


7. アメリカで仕事をして似たような経験をした方は少なくないのではないか。日本では今だにこういう発想は薄いのではないか。もちろん、年金の記録管理とは全く別の次元の話だが、システム化という点で、このエピソードを思いだした。


最後に、少し話しがそれるかもしれませんが、私は「政治はシステム。それ以上でもそれ以下でもない。政治はシステムにつきる」と考えています。

このシステムという言葉、カタカナのまま使用されているということは、あまり日本人の発想にはなじまないのかもしれない。


さらに言いたいことを言わせてもらえば、「美しい国」を標榜する某首相がいるが、政治家にこういう情緒的な言葉は使用してほしくない。

「何が美しい国か?」「美しい国にするにはどうすべきか?」・・・僭越ながら、こういうことは私たち庶民1人1人が考えるべきことであって、政治家なんかに言われたくない。


政治はシステム(友人の某氏によれば「政治は実務」ですが、これも同様の趣旨かと思います)、従って政治家の責務は立派なシステム・枠組みをつくることにつきると思います。


そのためには、人間にはチョンボはつきもの。誰もが聖人君子ではないのだから、不正も悪事もつきもの。だからこそ「システム」が大事ということ。この発想と思います。


アメリカの憲法においてもっとも徹底している「三権分立」は、まさにその思想から生まれたのだと思います。

その思想とは、つまり・・・権力をもった人間は必ず悪用する。(民主制下の)政治家に我々より「優れた人格」や「徳」を要求する・期待するのは間違い。政治家も(政治的能力=システム化する能力は優れている筈だが、それ以外は)我々と全く同じ普通の人間。だからこそシステムで抑制するという考え方です(米国憲法制定時、マディソン、ハミルトン等が「フェデラリスト・ペーパー」で熱烈に主張した点です)。


いささか、年金問題で憤慨しており、興奮してしまい、長くなりました。

無礼の段、お詫びいたします。