京都で、我ながらお粗末な話、ロッカーの鍵を無くして

1.柳居子さん有難うございます。
最近は、どこの大学も、図書館や食堂を地域に公開したりしているようですが、京都文教短大のやっている、
キャンパス内に子育て支援の施設・子育て中の母親が交流する場を地元のNPOと共同して運営するというのは、
画期的だと思います。

それにしても、1週間が経つのは本当に早いもので、まだ先週末の報告が終わっていません。


2.11月最後の週末、京都は観光シーズンのピークでたいへんな人出でした。
25日{金)の午後に京都駅到着。
宇治市の槇島まで行くのに若干、時間の余裕があり、嵯峨野をぶらぶらしました。
例年より暖かいせいか、紅葉は少し遅いようでした。

3.その前に、夜まで不要なキャリーバッグを駅中のコインロッカーに預けようと探したところ、どこも満杯で
空いておらず、いつも利用する地下鉄の駅近くはすべてダメ。
やっと新幹線の出口に近いところで、ちょうど荷物を取り出そうとしている人を見つけて、その後を確保し、
ここ1か所しか空いておらず、ラッキーだなあと思いながら、バスで嵐山まで出かけました。


4.当日の夜10時過ぎに、前回報告した「リオス槇島」での集まりを終えて、一緒だったKSEN仲間の藤野さんが
付き合ってくれて、京都駅に引き返して、荷物を引き取ろうとしたところ・・・・・たいへん!ロッカーの鍵がない。


カメラや書類や眼鏡などの小物を入れた小さなバッグは手に持って歩き、この中に入れたつもりなのに、
見つからない。
もちろん、上着やズボンのポケットも隈なく探したが、ダメ。
どうやら、バッグからいろいろ出したり入れたりしているうちに、落としてしまったらしい。
普段、利用しているロッカーが満杯で使えず、違う場所を利用。
ということは、鍵のデザインも普段と違っており、その点が微妙に、鍵を保管するという行動と注意力に
影響を与えたのかもしれない。


5.もっとも、こういうチョンボは私にとって決して珍しいことではない。
もともと、
「そそっかしい、注意力散漫、おっちょこちょい、心ここにあらず」
という性向がある。

従って当然に、番号も控えていないし、覚えていない。
ただ、だいたいの場所は記憶しているし、ひょっとして、このロッカーではないかという見当も付かないことはない。
仮に見つからなかったとしても、着替えと洗面道具と本が入っているぐらいで、金目のものはないし、
個人情報のたぐいも自分のも他人のも全く無く、致命的な事件ではない。


6.何れにせよ、夜は更けるし、今夜は騒いでも仕方ないということで、
藤野さんと2人で駅の近くのお好み焼屋に行き、真夜中過ぎまで大いに飲んで、それから、御所南の藤野さんの
お宅にタクシーで行きました。
実は、この日は同氏のお宅に泊めて頂くことになっていて、結局私は、パジャマやひげそりなど全て持たずに、遅く、
着の身着のままで就寝することになりました。


翌朝早く、藤野さんと御所を散歩して紅葉を愛で、寺町の「進々堂」で朝食をともにしてから同氏は、
名古屋出張の由。
当方は十条にある「カスタくんの町家」での「ソーシャルビジネス町家塾」に参加する予定で、その前に、
京都駅に行き、JRの「デリバリー・サービス」というところに行って「どうもここらしい」と申告したところ、
マスターキイーで開けてくれて、間違いなく自分のキャリーバッグであることを確認し、最後はめでたし・めでたし、
で終わりました。(手数料を1500円払いました)


7.今回のハプニングの特記事項としては、まず親切にもずっと付き合ってくれた藤野氏からみると、
(1)私が、一向に慌てず・騒がず、「また、やっちゃった」という態度に終始したこと
(2)しかも「何とかなるだろう。明日にでも対応しよう」と、のんびり楽観的に構えていること
が、結構、驚きだったようです。

(3)おまけに、翌26日(土)遅く、帰京して、妻に話したところ、彼女も少しも驚かず「また、やったわね。
それにしても、よくロッカーが分かったわね」とむしろ評価してくれたという妻の対応をメールで報告したところ、
この点も驚いたようです。


8.私の方の感想としては
(1)こんなことは、大げさに言えば、日常茶飯事で驚くことでもない。
(2)人生にチョンボはつきもの。
(3)しかも、長い人生に数多くのチョンボをしているが、最後には全て何とか、うまく行き、結果オーライとなる。
致命的な、大事な情報を流出したとか、ひと財産無くすとか・命まで取られる・・・という事態には、
まだなっていない。
(4)だから、「人生、まあ何とかなるさ」と甘く見てしまい、一向に反省しない。だから、またチョンボしてしまう。
まさに「馬鹿は死ななきゃ直らない」のである。


しかも、今回の場合は、妻の評価は正しく、ロッカーの番号も控えず記憶もしておらず、それなのに、
場所が分かったとは、我ながら、実に立派であると自己評価したいくらいである。

なぜ、ロッカーの場所が分かったか?
(1) もちろん、大体の場所は記憶している。
(2) その上に、たまたま私の利用したロッカーは表に「ロッカーの案内」という紙が貼ってあ
る珍しい・目立つ箱であり、そのことは記憶しており、この点がまことにラッキー・幸運であった。
自分のチョンボを救ってくれたのは、こういう「幸運」なのだ、とむしろ愉快になるような出来事を経験しました。
記念にロッカーの写真を撮ってきました。


まことに、詰まらぬハプニングの報告で、お粗末様です。
それにしても、ずっと付き合って頂いた藤野さんにはご迷惑をお掛けしました。