我善坊さん有難うございます。

さすがのうんちくですね。福島はその後八幡製鉄で活躍ですか。

何せ、まだ中学時代の話ですから、女子高校生だった従妹が夢中になっていた
ということのほかは、ほとんど記憶も薄れています。

たしか4人の投手の中に、1人アンダースローの格好良い選手がいました。

あと、早稲田は、投手では石井、三遊間の小森・広岡コンビもほぼ同時期と思います。

週末、いろいろ用事があって、東京で過ごし、22日(月)は半日、お医者さん訪問を
含めて、神田で過ごしました。

一人で遅い昼を「神田まつや」に入って、焼き味噌でお銚子1本ともりそば。
「人生、やはり、燗酒にそばだなあ」と思うのは、やはり東京人でしょう。
(正直いって、うどんは苦手です。京都のそばはもっと苦手)

この東京人という人種については話すと長くなるので適当にしますが、
私の大好きな故山川方夫という、
小説家でもと「三田文学」の編集長がその典型だったと、全集のあとがきに曽野綾子
書いています。

話がそれますが、全5巻の全集は、冬樹社という(いまはもうないか?)本屋が出して、著者の奥様が装丁した美しい本です。

東京人について触れたのは、前回紹介した小泉信三の「海軍主計大尉小泉
信吉」が頭にあるからです。

戦死した一人息子を想う、「たるみのない、ピンと張り詰めたような格調の正しい文章」
(解説者のあとがき)ですが
(「先生はこの一本を、悲しさにたえて書かれたのであろう。行間に涙のしたたり
をさえ感じるのである」(同))、私の好きなのは、最後のページの以下のような文章です。


「ただ一つ確かであろうと思うのは、若し彼が生きてこの戦闘から帰ったなら、彼は
やはりこの戦闘をも、あまり壮烈凄惨なものとしては描かず、
ただ日常の事件のように物語り、或いはその間に幾分戦友の、
或いは彼自身の滑稽な場面をさえ見出して語ったであろうことこれである。
彼は決して沈勇の士ではない。ただ物事を大事らしく言わない、こういう
趣味流儀の人間であった。

(略)

彼とても、軍人としての責務や死生の事を考えなかったという筈はない。
ただ彼は言葉に出してそういうことを語るに不精であった。
これも人間の一つの型であろう」(258頁)


これこそ東京人、と私は思い、読みながらいつも(悔しいけど東京人
の資格が全くなく)
涙が抑えられなくなるのですが、


こういう「東京人」も、いまや「絶滅種」でありましょう。