海太郎さん、我善坊さん、柳居子さん、有難うございます。
何れも貴重なコメントで、ゆっくりご返事したいのですが、紙数の関係でそうもいきません。
ブログの限界でしょうか。
それでも今回はコメントへのコメントで終わりそうです。
海太郎さん、「貧者の一灯」はいい言葉ですね。貧者ではない政府高官や代議士「先生」も、
時には社会のひずみに思いを馳せてほしいものです。
ところで(とこう書くので長くなってしまいますが)、国会の予算委員会の中継をテレビで見ていると、
質問に答えるときにやたらに相手を「先生」と呼んでいる(麻生さんは必ず)場合が多いですが、
個人的にはどうも好きになれません。
実は教員同士も「先生」「先生」とお互いに呼んでいて、これが大の苦手です。
かって慶応の塾長をやった小泉信三(いまの天皇の教育係でもあった)が、
慶応では「先生」と呼ぶのは福沢諭吉1人と書いていますが、気持ちのよい話です。
ついでにいえば、私は政治家が嫌い、いばる人間がもっと嫌い、
ということはいばる政治家はどうしようもなく嫌いです(某総務大臣など)。
我善坊さん、
・モース警部とオペラハウス
・日本人の「様式」と本物の保守主義
ですか。
これも長く触れたいのですが、紙数がありません。
モース警部は私が愛読するコリン・デクスターの創造ですね。
エリザベス女王がファンだとか。
実は彼の探偵小説はペーパーバックですべて読んだつもりでしたが、豪州に行く話は知りませんでした。
そもそも旅行嫌いでオックスフォードを出たことがないと思っていましたが・・・。短編かもしれません。探してみます。
ところで、これは「様式」より「作法」かも
しれませんが、、週末、東京にいて、電車に乗る機会が多かったのですが、
乗客が席を譲りませんね。
2回譲る機会がありましたが、70歳の老人が、相手は自分より年上だろうな、年下だったら失礼だよな、
とちょっと考えながら立ったのですが、若い人はみんな知らん顔をしてますね。
もっとも、若い人に言わせれば俺たちの方が働いて社会に貢献して、
しかもこの閉塞社会でくたびれ切っているんだ、こっちが席を譲ってほしいくらいだ・・・と考えているかもしれません。
柳居子さん、だんだん紙数がなくなりましたが、たいへん興味深く拝読しました。
確かに、名前を時代とともに、世相の移り変わりとともに追いかけていったら面白いですね。
すでに、社会学者あたりがやっているかもしれませんが。
何れにせよ、子供の名前は親が愛情をこめて一生けん命に考えてつけるのだと思います。
私事ですが、私の名前は卓史(たかし)と言いますが、42歳で亡くなった父親が命名の
由来を毛筆に立派に書いてくれた紙を70年経って、姉が母の遺品の中から見つけてくれました。
「日本国=“卓”越した歴“史”」に由来するそうで、皇紀2600年、これもいかにも時代を感じます。