原爆忌、太宰治生誕100年など

本日は64年前長崎に原爆が落ちた日、日曜日の「日経俳壇」はこの時期
いつも関連する句が寄せられます。黒田杏子氏選の本日のトップは
「ふるさとはひろしま原爆忌」という武蔵野市の女性。


昨年の同時期の黒田さん選のトップは「涙それは尽きぬものなり原爆忌
(広島・大深清子)でした。

選者の評は以下の通りです」

「作者88歳。昨年も原爆忌の句を寄せられた。どのようにこの句を
受けとめるかは読者の自由である。私はこの作者の句の愛読者である」

今年は、その名前を紙上に見かけませんでした。ちょっと気になりますが、
それでも選者に「愛読者である」と言われるのは嬉しいことだと思います。


他方で、太宰治が亡くなって61年。中島敦は67年になります。


今年、生誕100年の文学者は、松本清張大岡昇平花田清輝、植谷雄高、
中島敦、それに太宰だそうです。


全く個人的な好みからいえば、この中でナンバーワンは中島敦でしょうか。


氏が、「植民地主義批判を展開した先駆的な作家として再評価され始めた」と
いう記事が、7月25日日経にありました。

100年という節目が、もういちど読む動機を人々に与えるとしたら、よいことだな
と思います。


ぜんそくのため33歳で亡くなった彼については、『中島敦の遍歴』
(勝又浩、2004年)が、3つの特性を指摘しています。

1は、漢学者の家に育った、漢学の素養=もちろん、『山月記』や『李陵』の知識と硬質の文章はここから来ている

2は、常識的な肉親関係にはあまり恵まれなかったこと

3は、そのコスモポリタン精神である=これは、サモアで生を終えた、「宝島」
「ジキルとハイド」の作者・R.L.スティーブンソンを主人公にした
『光と風と夢』によく現れている


『光と風と夢』は原題『ツシタラの死』、ツシタラとは現地の言葉で、物語の語り手を意味するとのこと。

私がいちばん好きな作品で、また読み返したところです。

以下の文章で終わります


・ ・・老酋長の一人が、赤銅色の皺だらけの顔に涙の筋を見せながら、
―――生の歓びに酔いしれる南国人の・それ故にこそ、死に対して抱く
絶望的な哀傷を以って―――低く呟いた。
「トファ(眠れ)!ツシタラ。」


以上の文学者の中で、もちろんいちばんの話題は、太宰で、6月22日の
クローズアップ現代」が「生誕100年、太宰はなぜうける」と題して
取り上げており、面白くみました。「時代の空気に違和感をおぼえた若者たち
の共感をよんでいる」という指摘で、以下を伝えています。


・ ・・・世を去って60年以上経つにもかかわらず、太宰治の作品群は、
現代の若者層に異様なほどの人気を誇っている。特に教育関係者が驚くのは、
中高生の読書感想文に教育現場では敬遠されがちの『人間失格』が圧倒的に
多いこと。出版部数も前年比5.5倍、多くが10代、20代の若者である。



そして、ある18歳の少年を紹介しています。

彼はそれまでマンガしか読んだことがなく、200冊以上も家にある。それが、
いまは太宰に夢中で、2年で全作品を読破したとのこと。「オレと会話している
ような感覚」を味わうと言います。


若い時期、こんなに夢中になれる小説や小説家が出てきて、彼のために本当に
よかったなと思います。

恥ずかしながら、私も昔、かなり太宰は読みふけったものです。

そして、太宰(もちろん「だけ」ではなく、例えば、『パルムの僧院』だったり
『ブッデンブローグ家の人びと』だったりしたわけですが)を読むことで、
どんなに想像力に満ち溢れた・豊かな人生を送ってきたかとしみじみと思います。