映画「ペーパ―・ランタン(灯篭流し)」と森重昭氏

1. 美川さん、京都でローラさんとお付き合い頂き、有難うございました。英語についてのご意見、ご尤もですね。彼女の英語はちょっとくせがあるようで、ミセスDもそう言っていました。9月からケンブリッジ大学で充実した日々を送られることをお祈りいたします。

2. 十字峡さんの2つのコメントも面白かったです。スマホでなく道を訊けばいいではないかというのは卓見ですね。なるほどと思います。
広島に行くからと言って必ずしも原爆の碑に行くとは限らないというのもなるほどです。特に中国人なんかそうでしょうね。
何れにせよ、十字峡さんの対応はさすがですね。私も見習いたいと思います。


その広島ですが、G7の外相の平和公園訪問は日本の新聞はすべて1面トップに取り上げました。英米のメディアも国際ニュースのトップではありませんが、それなりに報道していたことを日本の新聞が伝えています。

アメリカの2大新聞の見出しだけ紹介すると、NY TIMESは「ケリー、広島記念碑を訪問し、日米同盟を強調(Kerry Visits Hiroshima Memorial and Underlines U.S.-Japan Alliance),ワシントンポスト(WP)は 「ケリー、米国が最初に原爆を落とした広島へ「胸が張り裂けるような訪問(Kerry makes “gut-wrenching” visit to where U.S. first dropped atomic bomb in Hiroshima)」とあります。
NY Timesは 原爆当日の同紙の記事を載せています。WPはこの記事(電子版)に対するコメントが投稿されていますが、「南京虐殺はどうなんだ」など攻撃的・批判的なものが多く、悲しくなります。


3,これらの報道は4月11日付ですが、たまたま12日、六本木の国際文化会館で、完成されたばかりの広島の原爆を取り上げた『PAPER LANTERNS(灯篭流し)』という映画の日本プレミア上映会がありました。今回はその報告です。
この2月に出来上がったばかりの映画で、アメリカ大使館やボストン日米協会の助成で出来上がったもので、協会の会長さん(アメリカ人)から冒頭に挨拶がありました。

アメリカでは原爆投下がデリケートなイシュウであることはご承知の通り。その中で大使館が支援してくれたことに感謝する。私はケリー長官に続いて、オバマ大統領が訪れることを“dream”し“hope”している。Outgoing(任期を満了する)大統領にもはや失うものはない筈である。そして、広島で亡くなった20万人の死者の中に12人のアメリカ人が居たことを知ってほしい」(私も映画を観るまで知りませんでした)。

本件をNHKが「原爆犠牲の米兵遺族と広島の男性の交流描いた映画上映会」と題してネットで伝えています。少し長いですが、私の下手な報告よりよほど意を伝えていますので、以下に紹介して今回のブログを終わります。


(1)広島に投下された原爆で亡くなった捕虜のアメリカ兵を調査してきた広島市の男性と、アメリカ兵の遺族との交流を追った映画がアメリカ人の監督によって製作され、12日夜、都内で関係者を招いて上映会が開かれました。
この映画は広島市に住む被爆者森重昭さんが、広島に投下された原爆で当時、捕虜として収容されていたアメリカ兵12人(注、皆若い兵士です。中には親の反対を押し切って志願した若者もいます)が死亡していたことを調べ、その事実をアメリカに住む遺族たちに伝えてきたドキュメンタリーです。

映画では、森さんがアメリカに手紙を何度も送って遺族を捜し出し、国籍に関係なく犠牲者を追悼したいという思いを伝えたことや、広島を訪れた遺族が森さんと対面する様子などが記録されています。


アメリカでは、原爆でアメリカ兵が死亡していたことはほとんど知られておらず、上映会であいさつしたアメリカ人のフレシェット監督は、森さんの取り組みに感動し、この映画を作る決意をしたと語りました。
上映のあとにはゲストとして招かれた森さんが紹介され、集まった200人余りから大きな拍手を送られていました。
森さんは「長年、1人でやってきた調査のことを思い出し、涙が出てきました。きょう多くの人に見てもらえて夢のように感じました」と話していました。

(注―映画ではあまり触れていませんが、「なぜ敵国の人間のことにそこまで力を注ぐのか」という非難もあったはずです)
この映画はアメリカでも上映される予定で、フレシェット監督は、この映画を通してアメリカ国民にも核兵器の悲惨さを伝えたいとしています。


(2)追悼平和祈念館に米兵12人登録――広島市平和公園にある国の追悼平和祈念館には、原爆で亡くなった人の名前と遺影が登録され、一般に公開されています。この中には原爆が投下された際に広島市内で捕虜として収容されていたアメリカ兵も登録されています。
祈念館への登録には遺族からの申請が必要で、その手続きに尽力したのが森重昭さんです。
森さんは「原爆の悲劇に国籍は関係ない」として、アメリカにいる遺族を捜しあて、申請書を書いてもらったり、遺影を送ってもらったりしました。その結果、平成16年に初めてアメリカ兵の名前と遺影が登録されて以降、祈念館には、これまでにアメリカ兵12人が登録されました。


(3)「何が起きたか忘れないこと重要」――この映画を製作したフレシェット監督が都内でNHKのインタビューに応じ、「残された遺族たちのために長い時間をかけてアメリカ兵に何が起きたのかを明らかにしてきた森重昭さんに光を当てることが製作のきっかけになった」と話しました。
また、フレシェット監督は映画の重要なシーンとして、森さんとアメリカ兵の遺族が初めて会う場面を取り上げ、「森さんは実際に遺族と会えるとは考えていなくて緊張していたが、異なる文化、グループの人たちが1つになった場面だった」と話しました。
そのうえで、「みずからも被爆者でありながら広島に原爆を落としたアメリカのために活動を続けてきた森さんを通して、戦争を2度と繰り返さないためにも実際に何が起きたかを理解し、忘れないことが重要だと伝えたい」と述べ、広島の被爆の実態を後生に伝える重要性を指摘しました。

4.映画は1時間ちょっとですが、昨年8月6日の広島平和記念式典に出席した2人の遺族(マサチューセッツから来た広島原爆で死んだ兵士の姪とケンタッキーからの甥)が、夜に行われる「灯篭流し」参加し、鎮魂をこめてメッセージを書き込み、川に灯篭を浮かべる場面で終わります。