正月早々、気楽な読書

ksen2010-01-02

寅年が明けました。さわやか福祉財団中島さん、
コメントへのお礼が年越しになりました。


元旦、頂いた賀状の中でいくつか、印象に残ったのは以下の通り。


・ 昔の職場の大先輩(もと副頭取)から「昨年は、御ひいきの
女優も亡くなり、お悔やみ申しあげます」とあり、2人で大原麗子の追っかけをやっていた若き頃を思い出しました。

・ これも銀行役員だった同期の某君から、「金融業が内外とも社会から
期待される役割を果たしていないのは残念です」とあり、前回のブログでの
私の感想と似たような思いを感じ取りました。

・ 昨年1人、今年もお1人、「後期高齢者になったのを機に、来年から
年始のご挨拶を失礼させていただく」という賀状があり、他方で、93歳の元気な先輩から、昨年の海外旅行の写真2葉を載せた賀状もありました。

食道がんの手術後の音声リハビリをしている友人から。私の昔の
エッセイ集を食道発声の教材に使い、昨年は2度音読したとのこと。ご苦労かつ有難いことです。1ページに6分かかるそうです。


例年の通り、子供たち、孫たちが来て、百人一首やインスピレーションをして
遊びました。

インスピレーションは、ある題を出して、思いついた短い文章を書いて、
誰が書いたか当てるというもの。


大昔、家庭でも友人とも、ゲームも何もない時代に、よく遊びました。

大学時代にスキーの合宿に行き、池の平にある大学の粗末な寮に泊まりました。

夜は早速、友人たちとこの遊びをやり、厳しくて学生連中が閉口していた寮の
管理人が木下さんという名前で、誰かが「木下さん」を御題に出しました。
私は「きのしたさんは、本当は、きのいい、したしみのある人なのです」と
書いたことを今でも覚えています。


この日、「京都」という題が出て、「なにをやっても“和”を感じる、
日本人みんながあこがれの所」という文章を書いたのは、小学校5年生の孫娘です。


年末から幾つか読書もしていますが、まず読みおえたのは『留学生は64歳、
老学生の日記2』〔坂本武信、産経新聞出版、2008〕という、楽しい1冊。
著者は妻の友人の友人です。

・ 1943年生まれ、慶応大学、第一生命保険の国内およびロンドンで勤務。

02年急性心筋梗塞で倒れ、58才で退職。東京外国語大学に入学し、
ポーランド語を学ぶ。07年、休学してポーランドクラクフにあるヤゲロン
大学に1年の語学留学。

・本書は、その滞在記だが、実に行動的で、片言を駆使して(英語とフランス
が多少できることを最大限に活用して、いろいろチャンポンに使って)
積極的に若い学生たちと付き合い、常に前向き。まことに元気がでる。


・ なぜポーランド語か?


・・・・「もともと外国語を習うことに興味があった。英語やフランス語は
多少できた。今度はイタリア語とかスペイン語なんかはどうだろうかと期待して
大学の事務局を訪れた。しかし、そこでは英語、フランス語・・などの人気のある
言語は社会人に提供されておらず、社会人を受け入れているのは、比較的マイナー
な言語であるポーランド語、チェコ語モンゴル語ベトナム語・・などの講座
であった」→まさに偶然にポーランド語を選択。


ポーランド語は、ヨーロッパ語のなかでも最も難しい。名詞にしても、
7つの格があり、それが単数、複数あわせて14通りに変化する。動詞の変化、
不規則変化する動詞が多い。「数詞(数え方)に至ってはもう常軌を逸している。」、さらに「完了体」「不完了体」」という時制の区別がある・・・
「それをここで説明しようとしたら、みなさん発狂しそうですから、止めて
おきましょう」。


・ 発音は子音の連続、oszczedzasz ・・オシチェンザッシとでも読む
・・は“節約する”の意味だが、11個のアルファべットの中にzが実に4つもある「oszczedzasz 5%!」とあれば5%引きセールの意味だそうだ。


・ 当初は大学の学生寮で暮らす。原則2人部屋だが、2人分の家賃を
払って独居、家賃は2人分で月約28000円。

ポーランドの食事は、量が多いし、脂っこい。生野菜と魚が少ない。
食だけはいただけない。それと、サービスの悪いこと、社会主義国だった名残か。


・ 高齢者へのアドバイス・・・・年寄りが外国で言葉を習っていると、
「何のために習っているのか」と必ず周囲から訊かれるから、すぐに答えられる
ようにしておいた方がいい。何と答えるか?「自分の勉学の目的は“ヒマツブシ”
とか“ボケ防止”である」などの意表をついた回答をした方が皆さんにすぐ
覚えてもらえるからいい・・・


・ 著者は、これまで4回もポーランドのどこかでサマースクールに
参加してきた。
「今回が9ヶ月で最も長い。そのたびにいつも誰かと親しくなった。
そうした者とは、その後何回か会っている。そうなると彼らは私の親しい友人である。今回も何人か親しい友ができた。私はこうしてヨーロッパ各地の若者達と、
中にはその昔若者だった者もいるが、友人に持つようになった。我がポーランド
語学習は当初は偶発的、無目的的であったが、結果として、異文化で育った人達
と知り合うための絶好の手段となったのである。その意味でこのポーランド語と
いうものは私にとって大切なものになったと、今では思っている」。


・ 少し話が逸れるが、この国の一般の高校の世界史の教科書では、
日露戦争について、7ページにもわたる詳しい記述があるとのこと→「我々にとって、日露戦争とはロシアという圧制者の敗北が、我々が100年も前に失った
祖国を回復するきっかけを与えた記念すべき戦争なのである」とは歴史の
先生の説明。


というような内容で、年明け早々、年寄り向けの楽しい読み物でした。