江原素六と麻布中学

1.さわやかNさん、コメント有難うございます。
「和をもって貴しとなす」の聖徳太子ですか。なるほど。
これが日本人の「倫理」であるということには異存がありませんが、


感じるところも2点あって、
1つは前回も触れたように国家規模が小さくなる日本社会で「和」だけで
Unityを保つことが難しくなっているのではないか。
その典型の1つがまさに「守礼の門」沖縄の基地問題で、
ウチナンチュの常識がヤマトンチュの常識になりえていないという悲劇。


もう1つは、近代国家における国の在り方という視点です。
リンカーンは昔の人と言っても、アメリカ自体が実は「古い」近代国家で
彼は常に同国憲法(発布時の法がいまも残っている、世界最古の成文憲法
の理念にもとづいて行動し発言している。
それに対して日本は?

といったことですが、またまた硬くなるので今回はこれで切り上げます。

2.いろいろ記録しておきたいことがありますが、小生の個人的追憶で
恐縮ですが、何十年振りかで母校を訪問したことを書いておきます。


先週の土曜の午後ですが、友人が、山岳部のOB会が母校の食堂で、
現役の部員も交えて開催される、その前に2人で中をのぞいてみないか
という提案があり、私も同行しました。


2人で、1時間半ほど、グランドでサッカーの部活をやっている孫の顔を
見たり、教室を覗いたり、初代校長江原素六の記念室に入れてもらったり
しました。

建て増しされた新しい建物も多いですが、在校時と変わっていないところも
多く、やはり懐かしかったです。
友人に言わせると、

・・・
認知症を遅らせる方法の一つは、昔の記憶が残っている脳の回路にアクセスし、
それを呼び起こすことだそうですから、(今回の母校訪問は)
それの良い予防になりました。
・・・
ということです。

3.

何せ、男子校ですから、教室の中の汚いこと。

これも友人の感想ですが、
「教室がごみの山だと
(在校生の部員に)文句を言ったら、彼らはあまり気にしていないようなので、
意外でした。
しかし、学びの場があんなに汚いのでは本業に身が入るとは思えません。
仕事場をきれいにするのは社会では当たり前のこと。」

私はどちらかというと、整理が苦手な方で自分の書斎のいまの状態からしても
「整頓」などと人に説教する資格がないので、むしろこの現役生に近いかな
と反省した次第です。


4.やはり、もういちど「脳の回路を呼び戻した」のは
江原素六のことです。

彼の高潔な人柄については、1年以上前のブログに書いて、
「青年即未来」という彼の愛用した言葉も紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20090830
(ついでに母校についても以下に触れました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20100128/1289796000 )


幕末の極貧の旗本の家に生まれた彼の思想と生き方からは、どこか
『逝きし世の面影』に描かれた日本人の姿を思い起こすところがあります。
(「何事も中ぐらいの人間」という自己規定・謙虚さをふくめて)


5.母校は、「リベラル」な校風で知られます。
以下、引用ですが、

(1)・・・建学の精神は「個性豊かな人間性を養い、自由闊達な校風のもと、
自主独立を培う精神」を育てることにある。
「明治、大正、昭和、平成と波乱の1世紀を通じて、軍国主義思想統制
暗雲に覆われた時期においてすらも、麻布に学んだ男たちはほとんど異口同音
に『のびのびと自由な雰囲気の中でそれぞれが自己を伸ばすことができた』と語っている」。


(2)
その校風を作ったのが初代校長・江原素六である。
「その“自由”は、江原素六という自己形成・自己克服への卓越した意志を
もった人格と切っても切れない関係にあったと言ってもよいだろう」と
氷上信廣・現校長は書き、「何か問題が発生したときには常に
『江原校長だったらどう対処しただろうか?』と自分に問いかける」と述べている。

(3)麻布は過去に存続が危ぶまれるような危機を少なくとも2度経験している。
1954年遠足中の中学2年生が相模湖で遭難し22名が死去した事件、
69年から70年にかけての、理事長・校長の辞任にまで発展した学園紛争。


「危機があったから、乗り越えたから、忘れないから、いまの「麻布」がある」、
これも氷上さんの言葉である。

6.帰り、久しぶりに広い「有栖川宮記念公園」を歩いて
(中学時代、写生の時間によく連れていかれました、
都心にこれだけ風情のある公園が昔ながらに残っているのは救いです)
美しい紅葉を眺めながら
江原素六と氷上校長の言葉を思い出し、
「危機におけるリーダーシップ」という課題について考えました。
これはまさにリンカーンの事例でもあるのですが、


日本国にとって果たして
「危機があったから、乗り越えたから、そして忘れないから
いまの日本がある」と言えるのでしょうか。