『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳)を紹介する


さわさきさん、我善坊さん、さわやかNさん有難うございます。


1. もともと本筋などないブログですし、面白い指摘と質問も
頂いたので、今回もまだ延々と続きます。とくにこれらに関連して、
ご存じとは思いますが、私自身の復習をかねて上掲書を紹介したい
と思います。(私はスペイン語はチンプンカンプンですので
ちくま学芸文庫の訳書によります。これはしかし名訳と思います)。


2. まず、「エリート」が時に「軽蔑的(derogatory)」に使われる
という貴重な指摘に関連すると思いますので、
以下を補足しておきます。


(1) この言葉は、(前回のALDで「社会グループ」と定義されたように
少なくとも英語では)普通、集合名詞として使われる。
従って「彼はエリートだ」というような言い方は英語ではしない。


(2) 同時に、多くは第三者が使う用語であって、自分から「俺たちは
エリートだ」という言い方はしない。


3. ということもあるのか、オルテガは、前回の「エリート論」の
論客の1人として出てきた名前ですが『大衆の反逆』でエリートという
言葉を使っていない。
同書は「1930年刊行の大衆社会論の嚆矢」と評されます。

スペインの思想家・哲学者であるオルテガ(1883〜1955)
は、「貴族主義的反動のイデオローグ」などと批判されることも
あって、民主日本でどの程度評価されているか知りませんが、

訳者の解説によると、同書は

・・・ルソーの『社会契約論』が18世紀に対して、マルクスの『資本論』が
19世紀に対して意味したものを、20世紀に対して意味するであろう・・・


と評されたそうです。


4. 彼はよく「生の哲学者」と呼ばれますが、
人間社会を選ばれた少数と大衆とによる、支配(命令)と服従のダイナミックス
としてとらえる点では、他の社会学者と異なりません。

しかし本書は、

「今日の(1920年代)のヨーロッパ社会において最も重要な事実の
1つは、大衆が完全な社会的権力の座に登ったということ」(訳書11頁)
という認識から出発する。


それはどういうことかと言うと、
「今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、
凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところで、それを貫徹
しようとするところにあるのである」(22頁)

「われわれの時代を支配しているのは大衆人であり、したがってわれわれの
時代において決定を下すのは大衆人である」(66頁)


5. 彼は、
「大衆人(平均人、凡俗人、愚者、ここでAと呼ぶ)」と
「選ばれた少数、貴族、高貴な精神、賢者(Bと呼びましょう)」
とを鋭く対比させ、大衆が主役になったのが現代社会である
と認識する訳ですが、注意しなければならないのは彼独特の
定義にそってAとBを区分けしていることです。

(1) 即ち、
「社会を大衆と優れた少数者に分けるのは、社会階級による分類ではなく、
人間の種類による」のであり、「それぞれの社会階層の中に大衆と
真の少数者の別があるのである」(18頁)


(2)したがって「・・・労働者の間に、今日では、練成された高貴な精神の
持ち主を見出すことも稀ではない」(19頁)し、


後段にいたって、知識人、あらゆる専門家(教養人に対する)、
世襲貴族の中に如何にAが多いかを厳しく断罪します。

オルテガにしてみたら、当然に、ベンアリ一族も
ムバラク一族もAだということでしょう)

6. それなら、オルテガが考える「貴族」とはどういう人間か?


彼の言葉を幾つか引用しましょう。


(1)「選ばれた者とは、われこそは他に優る者なりと信じ込んでいる
僭越な人間ではなく、たとえ自力で達成しえなくても、他の人びと以上に
自分自身に対して、多くしかも高度な要求を課す人のことである」=C
(17頁)

・・・・ちなみに、この文章は
「一般に、「選ばれた少数者」について語る場合、悪意から
この言葉の意味を歪曲してしまうのが普通である・・・Cを知りながら
知らぬふりをして議論をしているのである」

という文脈の中で言われます。

これ、まさに、「時に軽蔑的に(使われる)」
ということではないでしょうか。


(2) また
「人間を最も根本的に分類すれば、次の2つのタイプに分ける
ことができる。第1は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を
負わんとする人々であり、第2は、自分に対してなんらの要求も
持たない人々、生きるということが自分の既存の瞬間的連続
以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、
つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である」(18頁)


(3) 最後に、
「賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている。
だからこそ、すぐそこまでやって来ている愚劣さから逃れようと努力を
続けるのである。そしてその努力にこそ英知があるのである」(98頁)


7. 以上、長々と紹介しました。
果たして、「動機付けから」定義するというNさんの
質問に答えられたかどうか分かりませんが、今回も紙数が尽きました。