京都と若者とソーシャルビジネス

1.約1カ月ぶりに京都に行き、3泊しました。

古巣の大学に関する用事があり、1年生の必修である「現代社会入門」に1回登場し、「現代社会とソーシャルビジネス」という題で1コマ90分を担当しました。


昨年までずっと同じような話をしていますが、今までは「現代社会と社会起業家」だったのを今回は変えました。


前のブログにも少し触れたことがありますが、「社会起業家社会的企業」というと少し自分にはハードルが高いように腰が引けてしまう、ソーシャルビジネスの方が身近かなという考えで、内容はさして変わりません。

大震災を契機に「ソーシャル」という言葉に新たな価値が出てきたかなという思いもあります。
中央公論5月号の震災特集号に「“危機”から立ち上がった「新たな縁」」という題で西田東洋大非常勤講師という人が書いていますが、その1節を引用すると、


・・・・キーワードは「2つのソーシャル」。危機が社会貢献とソーシャルメディアを媒介し、情報の獲得・共有・発信の新しい基盤となる“新たな縁”が立ちあがっている・・・

とあります。


2.100名を超える若者に話をするのは久し振りですが、あらためて思ったのは、私の場合、多くの学生に喋るよりも少人数の演習・ゼミの方がはるかに楽しいし好きだということです。

もちろん対話なんて必要なく一方的に話す方が好きだという教員も居るでしょう。人さまざまですね。

少なくとも、教員と学生とのつながり、学生同士のつながりは、ゼミが中心になっていくようです。
そもそも、どのゼミを選ぶか?という時に、教員やテーマよりも「親しい友人一緒に」という動機が重きをおくようです。

3.28日(土)の夜には、宝が池のプリンスホテルで、何人かの教員の企画で、ゼミ生OBと現役生との同窓会が開かれました。

こういう試みは初めてですが、卒業生はやはり仕事に忙しく、出席者は限られていましたが、それでも何人かは来てくれて、卒業以来初めて会う若者もいて、再会を楽しみました。


以下、そんなお喋りの中からまったく無秩序に、記憶に残っている言葉を書き留めます。


(1) ほとんどが、京都・大阪・滋賀・奈良出身で、いまもそこに住んで働いています(いちばんの希望でもあります)。

地方から出てしまう若者が多いと聞きますが、少なくとも私の周りではよほど野心や能力がある場合を別にすれば圧倒的に地元希望ですね。



(2) 勤務先は地元の中小中堅企業ですから、転勤や出張の機会はなく、「最近、東京に行った?」と訊いたら「日帰りで羽田空港に行った」という女性が居ました。
とても楽しかったそうで、羽田空港が観光スポットになっているのにちょっと驚きました。

(3) まだ3年目なのに毎年新人が入ってきてすでに2人の後輩がいる。これを指導していくのがたいへんだ。

(4) 先生から学んだ「ソーシャル」という視点は忘れてはいないが、中小企業の場合、やはり、赤字を出さないという課題に頭が一杯の経営者が殆どで、なかなか「ソーシャル」ということまえ

で頭が回らない(中小企業を何百社も顧客にしている経営コンタルタント会社に勤める某さん)

(5) しかし、意識が高くで、環境などに熱心に取り組んでいる中小の経営者もいる{京都に本社をおくタクシー会社勤務}


(6) 最後に、大阪が本社の、和食チェーンで、接客・管理・運営の第1線で働いている某君の話です。
超・重労働、長時間労働(1日16時間ほど)で過酷な環境だなあといつも思うのですが、本人は働きがいを感じて実に頑張っています。現場が好きなので本社には行きたくないと言っています。


・接客で心がけることをベテランの積極専門の女性から学んで、それを新人の女性に伝えることも仕事と思っている。


   ・ホテルや高級料亭と違って、様々なお客がいて、個別に対応が異なる。
サラリーマンが仲間内で楽しんでいるような場合は比較的気楽だが、お客が楽しんでいるか・満足しているかを絶えず気にかける必要がある。


・たとえば、仲間内で会話が少ない場合とか、1人だけ外れている場合とか、子どもずれのお客とか・・・・気にかける。


子ども連れであれば、仮にお子様ランチが遅れて親の料理が先に出てきたような場合、子どもは泣きだして親も怒りだす・・・・こういう事態は絶対に避ける・


・「という具合に、接客の難しさ・大切さを日々勉強させてもらっている」
という話は、かって銀行員を務めながらそういう意識も持たずに働いていた私としては
「成長したもんだ」と感心しながら聞きました。


・「仲間はみんな、そういうことを気に掛けて仕事しているのか?」と訊いたところ、必ずしもそうではないようで、学んで・大事と思って・実践する人間とそうでないのといろいろな社員がいる。


それでも給料やボーナスが違うということは無いようで(そこまで細かい人事評価は難しい)、「もちろん給与で増やしてくれたら嬉しいが、自分で満足でやっており、自分のためにもなっているのだから、別に構わない」という答えでした。


これ、やはり日本の働き手の、ある意味「良い伝統」かなあとしみじみ思いました。
もちろん経営がそれに甘えてしまうのは問題が多いですが、

仮にアメリカや中国の労働者だったら、こういう発想は出てこないでしょう。
「他人より働いているなら、その分給与をくれ」と主張するでしょうね。


・彼がいちばん嬉しかったのは、入社して最初に大阪の小さなお店で働いていたときに来てくれたお客が2人、新しい京都の店に「彼が働いているから」ということで会いにきおてくれたときのことだそうです。