上野公園と西洋美術館「ファンデー」


1. 当面、このブログで私が記録しようと考えているのは自分自身の関心にそって以下の4つです。

(1) 大学と教育、および授業の振り返りとアメリ
(2) 世田谷市民大学での学び(福澤諭吉など)
(3) 社会起業家・ソーシャルビジネス関連
(4) その他もろもろ

もっとも、何れも「継続中」で、途切れ途切れになっています。



2. 今回は10月初め日曜日に久しぶりに上野公園を散歩した話ですが、これも実は(2)に関連しています。

(1)学生時代に大学が近かったので昼によく散歩に行きましたが、以来ほとんどご無沙汰の場所ですが、ひとりで結構楽しみました。

偶然ですが、西洋美術館が「ファンデー」だそうで、常設展が無料で入場でき、かつ、絵の解説までしてくれました。イタリア・ルネッサンス期の宗教画の説明(写真のヴァッサーリの「ゲッセマネの夜」など)は、無知な私には大いに勉強になりました。

(2)ゲッセマネは、磔の刑にかかるキリストが、直前、最後の祈りを捧げたところ。
「共に祈ろう」と言われた、ペテロなど3人の弟子は、旅の疲れで、眠りこけている。
自らの運命を知るキリストは、孤独と悲哀の中で、ひとり祈る・・・

犬養道子さんはこう書いています。

・ ・・・・(キリストの)「人の子」だけが、その一切の弱さと悲哀と恐怖をもって、ゲッセマネにおいてあらわれる。
自己の内なる神性に立ち戻ることは自由であり可能であった。・・・しかし、彼はその自由と可能とを、自由に斥けた。人性の弱さと苦とを彼は選んだ。これは驚くべきことである。新約ちゅう最大の驚異である。同時に、彼のあとにしたがって己の傾向に打ち克とうと努めつづける者にとっての限りないはげましでもある。
・ ・・・
全福音を通し、このときほど、イエス人の子の「自由」が輝き出る箇所は他にひとつもない・・・・それゆえにこそ、ドストエフスキイが書くような「自由に悲劇の方を選ぶ」「最も人間的な時間」に、おびただしい人々は、ゲッセマネのイエスに希望を見出すのである・・・・(『新約聖書物語』)


(3)いつからか分かりませんが、大部分の絵画は「写真撮影OK」で、欧米並みになったなと感心しました。

中庭で、演奏があったり、向かいの文化会館では素人のコーラスを披露したりしていて、なかなかよいものです。


3.(1)「なぜ上野か?」ということですが、世田谷市民大学の秋学期に受講している講座に

「私たちにとって東京とは何だったのか」という80分、12回の授業があります。

これは、4人の先生(都市社会学が専門)が交代で自分の専門の知見から東京を語るものです。
(2)この1つ、五十嵐泰正筑波大準教授という若い先生が3回担当しますが、上野をフィールドワークの対象にしています。

初回は、「せめぎあう空間:上野の山の400年」と題して、いわば通史を語ってくれました。


(3)もともとは江戸時代に寛永寺の境内にて、天海和尚が私的に建立。
江戸の文化戦略の一環として、京都を模し、ここを比叡山にみたてて、清水寺も建て、不忍池は琵琶湖の「見立て」・・・等

(4) 明治になって、近代公園として整備されて、都市計画の中でもとくに政府の特権性
を示威し、近代文化をアピールし、「空間を統御しようとする権力装置」として作用した(例えば、日本初のエスカレータの設置、文化のセンターとしての施設の幾つか)。

(5) 以上を「オモテ」とすれば江戸時代から「ウラ」の物語をともない、上野は、アジール(避難場所)および定住しない人たちの流入の場所であり続けた。
関東大震災のときは、ここに6万人強が避難し、戦争直後は、戦災者・復員者・戦災孤児の6割弱が上野地区に集った。

(6) 最近では、ホームレスやイラン人の住まう場所として存在した・・・・

というような、まさに「せめぎあう空間」として上野を改めて認識するという視点は興味深いものでした。

4.「オモテ」の物語に関して面白かったのは、グローバル時代になって「東京国立博物館(トーハク)が企業(とくに外資系企業)のパーティ会場(新製品デビューなど)として人気を呼んでおり、きわめて活性化しているという話で、これは知りませんでしたが、「さもありなん」と思いました。
というのも、欧米では30年以上前から、こういう場所を使ってパーティをすることがよくあり、お洒落な企画というイメージでした。

1990年ごろ、旧東京銀行の欧州総支配人の交代パーティをロンドンの「ヴィクトリア・アルバート」博物館で行い「さすが東銀さん」と言われました。
招待客は、展示されている美術品を鑑賞しながらパーティを楽しむことができます。
「トーハク」の場合も外資系企業からのニーズがあり、独立行政法人になったことで自由なマーケティングが可能になったようです。
文化とビジネスとの、うまい「結びつき」だと思います。


5.最後に、本筋と関係ない、まあ詰まらぬ話ながら私には面白かったのは、「西郷さんの銅像」についてです。

(1) 話の本筋としては、都市の空間設計における「視線の管理」という「仕掛け」が大事だということ。
(2) その例として、明治の初め、西郷さんの銅像も当然に上野公園の玄関口に置かれ、人々は、下から眺め、階段を上がって公園に入った。ここがメインの入り口だった。
(3) ところが、その後の都市景観の変化によって、下から見えなくなり、同時に、上野公園の玄関口は、東側に移って、銅像は、今では、導線から外れたエア・ポケットに位置するようになった

というものです。

この日も、西郷さんに挨拶し、この点を確認してきました。