1. さわさきさん、日本でもこういう仕事のスタイルが生まれているのですね。
きっと、自主性が尊重される・恵まれた職場なのでしょう。
そういう居場所が増えていくとよいと思います。
2. 仲間と一緒でも、一人でも、どこでどういう風に時間を過すかは大事ですね。
今回はごく気楽な話。
NYで老人が1人、たまにはこういう過し方もいいのではないかという、居場所についての報告ですが、
前回触れた、教育支援のNPOを訪問した日の夕食は、訪問をアレンジしてくれた北島さんと2人でオイスターバーのカウンターに座りました。
実は今回のNY滞在中、一人で夕食をとる日があると思い、その時はグランドセントラル駅の地下にあるオイスターバーに行こうと決めていました(ご承知の通り、異国で1人での夕食というのは場所によっては侘しいものです)。
ひとりのつもりが北島さんが一晩ご馳走してくれるというので有難くOKしました。
昔々、家族を日本に帰してひとりでマンハッタンの1年半ほど住んだときに、愛用した場所です。
正面の入り口を入ると向かって左はテーブルクロスのかかった本格的なダイニング・ルームで私は入ったことがありません。
右は質素なカウンターでハイとロー・カウンターの席とに分れ、私はいつも後者に座ります。
ここが有難いのは、一人で来ている客が少なくないこと。だからこちらも気楽です。
例えば、年取った男性がひとりで、「ニューヨーカー」という古くから表紙に特徴があって変わらない、エッセイや小説やNY情報を載せた雑誌を読みながらワインを空けている。一人で来ている女性も(中年も老年も)無論居ます。
こちらも安心して持参したペーパー・バックを拡げ、注文はいつも決まっていて、生牡蠣(オイスター)6個とニュー・イングランド・クラムチャウダーに白ワイン。ワインを何杯飲むかによりますが、まあ2千円ちょっとでしょう。パンは幾らでも持ってきてくれます。
おそらく食材は左手の高級なテーブル席に座っても変わらないのではないか。
この日は珍しく連れがいて、カウンターに並んで日米の教育に関する会話も弾みました。2人でも1人でも、長時間ゆっくり座っていても文句も言われず、いい居場所だと思います。
そこで、余計なことを思い出しましたが、日本の食べ物屋というのはだいたいどこに入っても、お皿が空くと、待ちかねたように、直ちに下げに来るところが殆どですね。
NYでは次のお皿が来る場合を別にして、こちらが頼まないかぎり、いつまでも(空になっても)そのまま置いてあって、これも居心地がいいものです。
(ちなみに、東京にもここの支店がいくつも出来たそうですが、高いというので敬遠しています。それと1人で気楽に入ってゆっくり出来るような雰囲気かどうか?ここも、食べ終わった瞬間にお皿を下げに来たりすると、何となくお尻が落ち着かなくなります・・・)
3. NYでもう1つ、1人でも、或いは1人だから行きたい場所に、メトロポリタンオペラがあります。
今回は、3月17日(金)、ドニゼッテイの「愛の妙薬」の切符をインターネットで予約し、チケットを当日窓口で受取り、大いに楽しみました。
「愛の妙薬」はご存知の通り、楽しい・軽いオペラで上演時間もちょうど2時間と短く、短期滞在の・時差ぼけの取れてない旅人にはうってつけの作品です。
主役のソプラノとテノールは若い2人でしたが、たいへんな美声と熱演で大喝采。
カーテンコールでは正面席の多くが立ち上がってブラボーを連呼し、聴衆がいかにも楽しんでいる様がよく分かり、こちらも実に楽しくなります。
私の好みの席は、昔もそうでしたが2階か3階のボックス席の横手、すなわち舞台の袖に当たるところ。
ここが好きなのは
(1) 値段が正面席の半分以下と手ごろ
(2) ボックス席(いわば桟敷)だから鍵を開けてくれて入り、荷物やコートを置く小部屋もあり、席は6つほどあるだけで仕切られており、ゆっくりくつろげる。
(3) その上、相客によるが、見知らぬ観客同士がちょっと挨拶する。時には軽い会話を交わす。
この日は、6席の1つが空席で私は後ろだったのですが、3つある前が1つ空いている。
1幕が終わったところで一人で来ている女性が「空いているんだから、私の隣に移動すればよい。この方がよく見える」と薦める。
「いや結構です。ここで充分」と丁重に断ると、
「あなたは日本人か?」
「そうですよ」
「そうなんだ。日本人って慎み深いのよね。でも遠慮しないで」
と何度も勧められ、当方は実は慎みには関係なく元来が高所恐怖症なので後ろの方がよいのだが、高所恐怖症の英語が思い出せず、穏やかに笑っている・・・という次第。
まあ、2度と会わないアメリカ人との馬鹿馬鹿しい会話といえばそれまでです。
メトロポリタンのオペラハウスは改装なったロンドンのロイヤルオペラハウスに比べると少し古びたなという印象ですが、それでも、充分、過す価値のある居場所です。お客がみな存分に楽しんでいるというのが分かるし、これはロンドンでも同じでしたが、日々の暮らしや街のたたずまいに溶け込んでいると感じます。
そういえば、日本でオペラを観たことは殆どないのですが、こういう場所と、こういう時間の過し方があるだろうかと思い出しているところです。
前にも書きましたが、京都南座の歌舞伎や新宿末広亭の寄席に行くほうが、よほど雰囲気や文化として近いのではないか。
日本でオペラが文化として根付くには、(もともと採算に乗る話ではないのだから)パトロンの存在と寄付に対する考え方がもっと大きく変わる必要があるのではないか。どうしたらそれが可能になるかを、誰かお金持ち(例えばユニクロの柳井さんを口説くとか)とともに考えるのは難しいだろうか。
そもそも新聞社も、外国から招いてチケットが5万円も6万円もするようなオペラ公演(それでももちろん大赤字だろう)をやるよりも、もっとやることがあるのではないか。
同じ団体や個人かどうかは必ずしも分からないが
前回紹介したDonorChoose.Org.も、メトロポリタンオペラも、7年前にKSENが京都に招いて講演してもらったマーリンさんが主宰するNPOのSAI(ソーシャル・アカウンタビリティ・インターナショナル)にしても、少なくとも持続できるだけの寄付が集る・・・・
4. 最後に、NYはすっかり治安がよくなり、11時近くに地下鉄に乗っても夜の街を歩いても、安心・安全になりました。
地下鉄は一駅乗っても、どこまで行っても、何回乗り換えても、均一料金の片道2ドル50セント(約200円)です。
老人が独りで夜の外出を楽しむ居場所がある・・・それが「大都市」の定義ではないか。
東京で、老人が一人外で楽しんでいる光景は、ほとんど見かけないように思うのです。