久しぶりの紐育で考えたこと

1. 前回のブログでは、かって世界一高い建物だったエンパイア・ステート・ビルについて触れました。
いま日本人にとってニューヨークがどれほど魅力があるか知りませんが、報道によると、2011年同地を訪れる観光客は過去最多の年間5000万人を突破、うち外国人が1000万強だそうです。

私は2012年の約1000万人の1人になるのでしょうが、3月末、NY最後の夜、「グラセン」のバーで「ドラマル」を飲みながら、些細なことばかりですが、ぼんやり考えたことごとを以下に書き残します。


2. 久しぶりの旅行だったせいか、あるいは普段世話してくれる家人が居なかったせいか、荷物にパジャマは入れたものの、スリッパを入れるのを忘れてしまい、けっこう不便でした。
海外旅行に慣れている方はこういう失敗はまずしないでしょうが、アメリカのホテルにも、寝まきもスリッパも置いてありません。
その代わり、なぜか、バスローブが必ず用意してあって、私は着用したことがないので、こんなものを着て寝る訳にも行かず、なぜ必要なのかいまだによく分かりません。

3. これまた些細なことですが、アメリカという国は細かいことで一向に自分の流儀を変えないところがあって、距離の「マイル(メートルでなく)」も1つですが、気温が相変わらず摂氏ではなく華氏なのも、なかなか慣れません。
自己中心というか、慣習や制度を変えない保守精神というか、他人のことをあまり考えないというか、面白い国だとあらためて思います
4. そのくせ、新しいことへの貪欲な国民性はもちろんあって、インターネット時代への対応はその代表でしょう。

(1) ちょうど第3世代のアイ・パッドと言われる「新しいiPad」が販売された直後で、写真に載せたグラセンの2階にある一画にアップルがショップを設けて、大々的にマーケティングをしていました。
大量の商品を置き、大勢のスタッフが配置され、覗きにきた一人ひとりに懇切丁寧に説明をしています。日本の販売店のような呼び込みはなく、その代わりちょっと質問すると実に丁寧です。
私は時間がなかったので断りましたが、老人だろうが異国人だろうがお構いなしに、幾らでも話に応じてくれるという姿勢でした。

(2) 本屋には電子書籍の商品が大きなスペースを占めているのも印象に残りました。
下の写真は「バーンズ・ノーブル」というアメリカ最大の書店チェーンですが、本屋らしく見えません。

情報は電子媒体からという流れが着実に進んでいるようです。
イェール・クラブは、ひとりで朝食をとっている宿泊客が多く、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)ニューヨーク・タイムズ(NYT)が置いてあり、これを読みながらひとり朝食を取る姿を昔はよく見かけました。
いまは備え付けの新聞の代わりに自分で持ち込んだiPadで新聞を読んでいる人が目につきました。
その、WSJもNYTも数年前から経費節減のためタブロイド版に変わってしまい、昔の新聞を知る者にとってはちょっと寂しくなりました。

(3) 今回、社会企業(ソーシャル・エンタープライズ)を専門に研究するコロンビア大学のジムさんにも会って、いろいろとアメリカの最新の動きなどを聞きました。
「これからもいろいろとメールで情報を得たいと思うかもしれない」
「それは一向に構わないが、むしろスカイプでやろうよ。この方が、いちいちメールを見たり書いたりする手間が省けて、重宝しているよ」
と言われました。
私は残念ながらスカイプは倫敦に居る娘のところに初孫が生まれて、その顔を見るのに利用しているぐらいで、この申し出はお断りしました。



5. 最後になりますが同地に30年住み続ける北島さんにすっかりお世話になったのですが、彼女からいろいろと暮らしのことを聞いたり、在住日本人クラブを訪問して事務局長さんに話を聞いたりしました。

(1)その中で印象に残っているのは、彼女を含めて、医療保険に加入していない在住日本人がきわめて多いという話です。

アメリカの公的医療保険制度は、高齢者・低所得者以外は民間の高額の保険に加入することになり、従って未加入者は4000万人を超えると言われます。

従って北島さんを初め、彼らが、公的な医療保険の導入などを公約に就任したオバマ大統領を熱心に支持していることは理の当然です。
(このオバマの努力も、「2010年に国民皆保険制度の導入を進める法律(完全実施は2014年以降)が成立させたが、各州より保険金を強制徴収する点は憲法違反であるとの提訴が相次ぎ、実際、フロリダ地裁では違憲判決が出るなど実効性が疑問視されている」ことはご承知のとおり)
(2)私としては、日本人がどれだけ恵まれているか(種々問題はあるにせよ)をあらためて感じたことでもあります。

しかし、同時に、彼らと話していて、私が感じたのは、ある種の潔さ(いさぎよさ)と言ったらよいでしょうか。
医療保険に入っていないという事実を事実として当たり前に受け止めている・・・と言ったらよいか。
政府なんかに頼らずに生きていく姿勢・・・・と言ったらよいか。
従って、ちょっと風邪をひいたり・お腹をこわしたり・調子が悪かったりするぐらいでは病院に行きません。高額の医療費を支払うことは出来ませんから当然です。

それなら、もっと深刻な病気になったらどうするか?
もちろん、こんな質問はとても出来ませんので推測でしかありませんが、
ひょっとして、運命として受け入れるというか、ある種の覚悟が私たちよりあるのかもしれない。

もちろん日本の皆保険は素晴らしく、そのことをとやかく言うつもりは毛頭ありません。
しかし、「逝きし世の日本人」にも、この種の「潔さ」が何事につけても今よりはあったかもしれない・・・
というようなことを考えました。