「繁栄度指数」と自然と鹿のこと

1. 前回、あるシンクタンクが発表している「国別繁栄度指数」を紹介しました。

上位30の国が緑で、中間の50が黄色、下位30が赤に分けて下の写真のようになります。
「豊かでない国々」がアフリカ・南アジアに集中しているのがわかります。
世界に大きな格差があるという厳しい現実をあらためて感じさせられます。
アジアで「緑」に日本も入っていて、幸せなことです。

北欧4カ国や豪州・ニュージーランド、スイスなどが高得点なのは理解できますが、カナダが6位、とくに「個人の自由度」がトップというのは、土地勘が無いのでよく分からず、長年、トロント東海岸バンクーバー(西海岸)で暮らした某君に訊いてみました。

こんな返事でした。

・・・アメリカは、建国以来、自分たちで新しい国を作ってきたという気概があり、移民に対して、アメリカの価値観を受け入れようとする傾向が強いのではないでしょうか。国際社会でも正義の押し売りをよくしますね。
カナダは「モザイク」といいますが、出身国の文化を大事にします。・・・


・・・強大なアメリカと国境を接しており、自覚しなければ経済も文化もアメリカに飲み込まれます。
アメリカ人に対比する形で、自分たちのアイデンティティを考えている人たちです・・・・


・・・・上昇志向の医者の卵や銀行員も、皆アメリカに行きます。
カナダ(とくにヴァンクーバーのような西海岸)に残るのは、給料は少し低いが、アメリカよりも治安がいい、出身国の文化を大事にしてくれる、豊かな自然がある、競争もそれほど厳しくない、美しい自然に囲まれて、家族と暮らせればそれでいい、といった人たちです。・・・・


2. 当方も「上昇志向」の強い人間では毛頭ないせいからか、某君のメールを読んで考えたのは、どうも「個人の自由度」は「豊かな自然と緑」によって養われるのではないか」という思いです。


「レガタム繁栄度指数」の各項目の中で「個人の自由」について見ると、カナダのあと、2位ニュージーランド、3位ノルウェイ、4位オーストラリア、5位デンマークと続きます。


これらの国は何れも、自然が豊かで、しかも私が知る限り、平日は都会で働いていても週末は緑の多い田舎で過ごす、あるいは引退したら田舎に暮らすことを夢見ている人が多いです。

昔オ―ストラリアで知り合った、会社の顧問会計士は引退して、そういう田舎の家に引っ込んでしまったし、時々仕事でお会いした中央銀行の某総裁は、退職して、前から持っていた牧場で日々を過ごしているという挨拶状を貰いました。



3. 彼らのような、ゆったりした田舎暮らしとは程遠いにせよ、私事ながら私自身もいま、事情があって年末まで長野の田舎暮らしを強いられて、不便もある代わりに「自由」を満喫しています。

高地なので、夏は快適ですが、冬もこの地を本拠にせざるを得ないので、夏用の家ではたして冬を過ごせるだろうかと心配もしています。



しかし、都会の喧騒を逃れて自分だけの時間を望むなら、多少の不便や寒さについて文句は言えないでしょう。


緑も、八ヶ岳も、夜の星空もきれいですが、
いまは、このあたり、鹿の群れを見かけることが多いです。

1年前の地元の新聞が「県内、増えすぎた鹿 ――広がる深刻な被害」と題して、特集を組んでいました。

長野県内の生息数は、約10万5千頭と推定。この4年間で1.7倍に増加。中でも八ヶ岳周辺が顕著だそうです。農林業や自然環境への影響が深刻になっているとのこと。


農家だけでなく、我が家もそうですが、庭に自由に入ってきて、葉や樹皮を食べてしまします。
我が家の垣根にとしたいと植えた櫟(いちい)も、樹皮をたっぷりと食べられて、枯れてしましました。最近は、好みを問わず、何でも食べてしまうよう、住民の多くは、鹿を害獣といって、大いに嫌っています。



春に生まれた子鹿もそこそこ育って、家族で、
家の近くを、まことに自由に歩き回っています。
農家にとっては経済的な被害も大きく、まさに害獣でしょうが、わざわざ田舎に住むことを選んだ我々にとっては、ある程度の被害を覚悟して、彼らと共生していかざるを得ないのではないか、と私など思うのですが、そう考えるのは、どうも少数派のようです。


時々、鹿を見かけると、彼らはじっとこちらを見て
「私たちの方が先住者で、あなた方がその後、土地を切り開いて、住み着いてきたのではないのか。
自然環境への被害は、あなた方人間の方がより大きいのではないか」
と言っているような気がします。