『社交する人間ホモ・ソシアビリス』と『職人』


1. さわやかNさん、我善坊さん、有り難うございます。
どちらも真っ当なご指摘、「職人」とは近代以前の文化ということでしょうね。
だからこそ、ポスト工業化社会においては、再び「職人文化の復権」が大事になってくる・・・これは、再読したばかりの名著『社交する人間、ホモ・ソシアビリス』――「「社交」の復権による新しい人間学の誕生、という解説のある――で思想家山崎正和が指摘していることです。


2.そう言えば、数日前のテレビ「ガイアの夜明け」で海外に本拠をおいて活躍する日本の家具製造会社の若い社長が、京都の西陣織を活かした家具をデザイン、製造している話を伝えていました。

スェーデン人のデザイナーが西陣に注目し提案したとのことですが、彼は自国の家具のデザイン学校で、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の英語版が教科書だったそうです。以来、日本の「陰翳」の文化をモチーフにした家具を作りたいと考えて、西陣に出会ったという話でした。


「職人」といえば永六輔の同名の岩波新書(1996年)があって、これ楽しい本ですね。
時々読み返しますが、

「僕は職人というのは職業じゃなくて、「生き方」だと思っている」というのが冒頭にあって、
職人さんの言葉がいろいろ収録されていて、これが含蓄があります。

(1)「頭の悪いガキをつかまえて、頭を良くしようとするから、世の中が無理がいく。
頭の悪いガキには、それなりの生き方を探してやるのが大人の責任じゃねエのかねエ。いいんだよ、多少は頭の悪いほうが・・・・」


(2)沢村貞子さんの逸話を紹介しているのも面白い。
少女時代、ある朝、出かけていく職人さんに、「お出かけですか」と言いました。
「どちらへ」といった途端、その職人さんはいきなり、「バカヤロウ!よけいなお世話だ。(お出かけですか)のあとは(いってらっしゃい)しかないんだよ」
パチンとそう言われたそうなんです。

(3)そう言えば、前述の「ガイアの夜明け」ですが、昔堅気の職人さんの以下の言葉も反面教師として記憶に残ります。

「若いデザイナーが、いまごろになって、江戸のデザインはモダンだなんて言っているけれども、嫌ですね、日本回帰趣味ってのは。
そんなこと、いまさら言って、喰えたりするんですからね。
パリで風呂敷のデザインを発表するなんて、何を考えているんだか・・・
いよいよ日本も、文化遺産の切り売りですかねエ」


(4)この話に続けて、永さんはこう続けます。

・・・・某さんという藍の絞り染めの職人さんがいました。
現役のバリバリで活躍していた頃なんですが、あるとき、料理屋で自分のつくった風呂敷が額縁に入れて飾られているのを見た。
それで仕事をやめちゃったんです。
(これはきっと、オレのつくった風呂敷が物を包むためのものじゃなくて、額縁に入れるのにふさわしいものになってしまったからだろう、オレの仕事がどこかで威張っていたとすれば恥ずかしい)・・・・・・


3.  さはさりながら、と私が弁解しても仕方ありませんが、山崎氏が「復権」をとなえている、その大事さも理解できます。

ということで、さわやかNさん我善坊さんのコメントに触発されて、この点を補足しますと、

『社交する人間』の中で著者は、いまでは常識論かもしれませんが以下のように解説します。

(1) 英語のアートがまだ、その語源であるラテン語の「アルス」と言われていた時代、それは芸術も職人仕事も区別なく「ものづくり一般」という意味で、「大工が机を作る方法も裁縫師が衣装を作るわざも、詩人が詩を作る営みと同じ技術であった」


(2) 言うまでもなく、近代の工業技術の発展とともに、両者が分離した。(工業技術においては、目的が過程に優先する。効率が「わざ」を追い出す)

(3) それがいま、グローバル化、ポスト工業化の時代となり、なくなる訳ではないが、従来の社会関係の解体、弱体化が進んでいる、組織原理の衰退の時代といってもよい。

(4) そこでは、従来の組織にかわる、新しい人間関係や共同体、さらには、産業と奉仕の中間的な営みや職業観が生まれてくるかもしれない、とした上で、以下のように述べます。


「産業と奉仕の中間的な営みが生まれる、それは昔、「天職」と呼ばれた仕事、営利事業と区別されて敬われた近代以前の医療や教職に似た仕事になるであろう。


・・・現代にこうした「天職」が不可欠であり、現にそれが増大しているという認識は、やがて人々の職業観を変えるかもしれない。仕事の一部を「贈与」としておこない、それに感謝と評判で報いられるのは喜びだという観念が復活するかもしれない。
職業の半ばはじつは社交にほかならず、純粋な等価交換を超えるものだという感覚が甦る可能性がある・・・・


本書の出版は、2003年で、まだソーシャルメディアもソーシャルビジネスという言葉が存在しない時代ですが、
現在の一側面を先取りした言説のように思えます。

実は、この両者の親和性を探るといる小さなセミナーを9月14日京都で開いたのですが、次回は、遅ればせながら、その記録を残しておくつもりです。