1. 前回、女子高校生と、「フリーダム・ライターズ」という映画を観たことを書きました。
4人のうち孫娘が感想をメールで送ってくれて、感激しました。夕食後いきなり映画
を見させられたので最初は戸惑ったようですが、「徐々にハマっていき、終いにはすっかり映画に入り込んでしまいました。
(最初は)驚きの連続でした。様々な人種が入り混じった教室、同い年とは思えない悲惨な経験をした高校生、それでも生徒に尽くそうとする教師…平和な島国の日本では見ることのない状況で、現実とは思えないほどでした。
しかしそれぞれが自分の経験した辛さを伝え合う事でお互いの距離を近づけていく
ところでは、人間味を感じました。笑いを分かち合うことも大切ですが、辛さや弱みを見せる方がよほど距離は縮まるのだと思います。人種は違っても、同じ人間であるということに気づき始めたのだと思いました。」
ただし、「ハッピーエンドで終わりましたが、(この点は)あまり納得できませんでした…映画の中では教室の中を家族だと例えていましたが、いつまでも家族の中で過ごすのは、甘えでしかありません。もっと外に出て、教師から離れてみるのも大切なことだと思います」
なかなかしっかりした感想だと思いました。
私は以下のように返事をしました。
―――いろんな意見があると思うので、お互いに「話しあう」ことが大事だと思います。「外に出て教師から離れてみる」という意見も正論でしょうね。
少し補足すると、アメリカは光と影のギャップの大きい社会で、一方で「アメリカンドリーム」があると同時に他方でまことに厳しい競争社会・格差社会・人種差別・暴力の現実がある、彼らは、ではいやでもそういう現実と向き合わざるを得ないという状況をよく分かっていると思います。
だからアメリカ人は映画ではせめて「明るいハッピーエンド」を好む性向があります。それと「実話に基づいている」ということで、映画の製作者も厳しい現実の中から少しでも「前向きの」物語を取り上げて夢を与えたいという気持ちも働くのでしょうね――
60歳の年齢差を超えて、同じ映画でも小説でも話しが出来るというのは悪いことではないなと思いました。
また別のアメリカ映画を見ようと思い、今度は老妻と2人、1953年の古い「グレン・ミラー物語」をDVDで観ました。最後は戦争の軍楽隊を指揮するミラー少佐の死で終わりますが、それでも善人しか出てこない気持ちの良い作品です。ルイ・アームストロングやジーン・クルーパ(ドラム)などジャズの演奏家も登場します。
2. 仮想旅行の話もちょっとしておきたいと思います。
夏休みの宿題の話が出て、彼女達はせめて遊びに来ているときぐらい忘れたい話題だったかもしれませんが、「仮想旅行記」の提出があるというので、今度は孫息子の方から得ていた情報を提供しました。
「仮想旅行」とは、実際に旅をした記録ではなく、旅行するという想定で紀行文を書くものです。従って「なぜその旅行に関心を持ったのか?そこで何を学ぶのか?」を明確にした上で十分な調査をして「あたかも経験したように書く」ことが求められます。
孫息子の学校では中学1年の夏休みの課題が毎年「仮想旅行記」で、優秀な作品は「論集」に載せることについて2年前のブログでも紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20120327
なかなかユニークな、真面目な旅があって、「アウシュヴィッツへの旅」もあったし、「ナチからの脱出〜ユダヤ人亡命ルートを追う〜」なんていう発想も優れていると思います。「北朝鮮紀行」だの「ドルよ、君は何処へ行く〜世界通貨史の旅」も、挙げてある「参考文献」が中学1年生にしては立派なものです。
中でたまたま「スティーブ・ジョブスの軌跡in USA」という紀行文、これはカリフォルニアにあるアップル本社を訪問する話で、よく調べてあるのに感心し、「中学生でもこんなことが出来るんだよ」と京都の授業でジョブズの話をする時に見せるために、コピーを取ってありました。
そこで、このコピーを参考情報として4人に渡しました。たとえ中1であっても先人の書いたレポートを読むのは参考になると思うし、どんなことでも新しい挑戦は「イノベーション」、そしていつも引用するように「イノベーションは、クリエイティブなイミテーション(創造的な模倣)」(ピーター・ドラッカー)ですから。
それにしても、私はもう遠い旅行は気力・体力・金力すべてで難しそうですが、「仮想旅行」は面白そうです。私なら、どこを選ぶか、そんなことを考えながら山道を散歩しています。
3. 今回は最後に、別件ですが、8月6日の広島を迎えたばかりですので、平和式典についても記録しておきます。
69回目の今年の8月6日の広島は43年ぶりの雨の朝でした。
原爆が投下された8時15分の1分間の黙とうにテレビ参加をしました。こんなことを始めたのは数年前からのことです。
NHKのアナウンサーは冒頭「今年は大きな節目を迎えた。言うまでもなく集団的自衛権の憲法解釈の変更・・・・。これから平和の尊さをどう語り伝えていくか、平和式典のあり方が問われよう」と。
全国の被爆者が今年初めて30万人を切った、今年の死亡者は5500人強で慰霊碑の約29万人の名前に付け加えられた。29万人の中には父も居ます。
式典には68カ国の代表が参加。ルース前大使に続いてケネディ大使の顔も見えました。
私がやっと若干でも語り始めるようになったのは、ここ数年のことで、とくに昨年8月京都新聞の取材を受けたことはブログにも載せました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130809
1昨年、末の娘に孫が生まれて都合3人、お陰で元気に育っていることが1つのきっかけになっているように思います。
そう言えば、友人と遊びに来た孫娘は、昨年中3の修学旅行に広島に行きました。
3か所の中から選択するそうで彼女は広島を選びました。
文化祭を見にいったときに参加者の書いた記録が展示されていました。
まだ彼女から広島旅行の話は聞いていません。彼女と広島を語るのは、映画「フリーダム・ライターズ」を観て、他国アメリカの人種差別や公民権運動の話をするよりもずっと難しいだろうなという気がします。
因みに「フリーダム・ライターズ(自由のための書き手)」というのは新任の教員が生徒1人1人に書いてもらう日記をまとめて名付けて出版した名前ですが、もちろん「フリーダム・ライダーズ」を意識した題名です。
後者(直訳すれば「自由のための乗り手」)は活動する若者(黒人と白人の混成)がバスに乗ってもっとも差別の厳しい最南部を旅するという運動です。
当時南部では(私がホームステイした60年代半ばのテキサスでも)バスの座席は白人・黒人と分かれていて黒人席は後ろでした。この運動は彼らも前に座って旅をする、そのことを通して差別廃止を訴えようとするものです。
このバスが、1961年5月14日アラバマ州で地方都市で暴徒に襲われ、バスは放火されます・・・・
詳細は省略しますが、1960年代アメリカの公民権運動の大きな悲劇の1つです。そして、映画の中では主人公の女性教員の父親が若い頃、公民権運動に関わったという話がちらっと出てきます。父と娘の交流ですが、「語り伝えること」の意味を感じる場面だと思いました。
それと、「フリーダム・ライター」にせよ「フリーダム・ライダー」にせよ「freedom{自由}」がアメリカ人のもっとも大事にする言葉だとあらためて感じました。