カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』と、「記憶は信頼できるか」

1. 前回は「戦争の記憶」と題して、J.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を紹介しました。今回もやはり「記憶」を扱ったイシグロの小説『忘れられた巨人』です。

今年2月に、映画化もされた『私を離さないで』以来10年ぶりの長編”The Buried Giant”が出て、邦訳にはだいぶ時間がかかるだろうと原著を買い求めたところ、たった3ヶ月で土屋政雄訳が出たのには驚きました。
ベストセラーにもなったようで、東京だったら順番待ちでしょうが、茅野市の図書館の「新着コーナー」に置いてあり誰も借りていないので喜んで借りてきて、参照しながら読み終えました。


2. 邦訳は『忘れられた巨人』。
今回は、6世紀ごろの、伝説のアーサー王と円卓の騎士が姿を消した直後のブリテン島(英国)が舞台です。


福田恒存の『私の英国史』から、この時代を紹介すると以下の通りです。

(1) 北西部ドイツやオランダ地方にいたケルト系のブリトン人は紀元前6〜3世紀にかけてブリテン島にも移住し、その後、前55年のシーザーの征服以来300年間、ローマ文化圏にあった。

(2) 4後半〜5世紀初めにかけて、属州ブリテンまで手が廻らなくなったローマ帝国に代わって、ゲルマン系北欧民族の野蛮なアングロ・サクソンの侵略が始まった。
「ローマ治下にあって平和を享受していたブリトン人達は、伝説的な英雄アーサー王に率いられて戦ったが、蛮族、というより暴漢の気力と腕力の前にあえなく壊滅した」。

(3)「サクソン人達によって、言語はまったく一変した。ケルト系の語彙はほとんどすべて払拭された。ローマ文化はその支持者とともに壊滅した。
抵抗するケルト人は西方ウェールズに追い払われ、閉じ込められた」。

3. 小説の出来事は、このような時代の中で、つかの間の平和共存の期間でしょうか。
ブリトン人とサクソン人は、いまは表向きの平和を保ち、共存し、近くに住みあっているところもある。
しかし、新たな争いや戦いの気配もみえる。
大地は、人心に影響を及ぼし「記憶」を衰えさせる「奇妙な霧」に覆われている。
人々は、過去の出来事を忘れていく。思い出せない。それは、「竜」の息のせいだ。
さらには、鬼や妖精、そして人間から記憶を奪う竜までがいる・・・・」
という時代、
「主人公のアクセルとベアトリスの夫婦はアーサー王と同じブリトン人。
さほど遠くない村に住んでいると2人が信じる息子を訪ねる旅に出る・・・・」

というような「ファンタジー」の仕掛けをほどこした物語です。


旅の途中で2人はサクソン人の戦士やブリトン人の・もとアーサー王に仕えた「円卓の騎士」の1人に出会ったりします。
その過程で、竜を倒すことで人々の・失われた記憶を取り戻すべきか否か?
をめぐって、意見が分かれます。
記憶を取り戻さないと生きる意味がないと考える人たちと、
むしろ竜を守ることで、嫌な記憶を忘れたままにしておきたいという人たちとの争い・・・・
皆さんなら、どちらを望むでしょうか?


3. 2人が愛し合って結ばれて、息子もいた、そんな美しい・懐かしい過去の記憶を取り戻したいという妻ベアトリスに向かって、かってのアーサー王の円卓の騎士の1人は、
「わが敬愛するアーサー王は、ブリトン人とサクソン人に恒久の平和をもたらした・・」
と語り、
夫アクセルはこう言います。

「だが、竜が退治されて、人々の心の中で、多くのことが明瞭になってくるでしょう。古い憎しみも蘇り、再び国中に広がることになるかもしれない。昔ながらの不平不満や、土地や征服への欲望を再び思い出すかもしれない・・」

それを受けて、サクソン人の戦士は次のように語ります。
「竜が倒されてしまえば、かって、地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します。遠からず立ち上がるでしょう。
・・・わが軍は進撃をつづけ、怒りと復讐への渇きによって勢力を拡大しつづけます。あなた方ブリトン人にとっては、火の玉が転がってくるようなものです。逃げるか、さもなくば死です。国が一つ一つ、新しいサクソンの国になります・・・・」

その後のブリテン島の歴史は、まさにこの予言の通りに、福田恒存の記述の通りにサクソンの侵略によって、ケルトブリトン人の記憶も言語も滅び去ったのでしょう。


4. 過去は、記憶は、果たして「歴史」として忘れずに伝えていくべきか?伝えていくことができるか?
読みながらそんなことを感じさせる、不思議な小説です。
戦後70年の今年、もちろん、ユダヤ人虐殺も、東京大空襲も沖縄も広島も長崎も、忘れてはならない貴重な「人類の忌まわしい記憶」です。葬り去り、忘れ去るべきものでは決してない。


しかし同時に、私たちはやがて忘れていく。とくに、忌まわしい過去は忘れていき、懐かしい・美しい記憶だけが心の中に残る。
その過程で、「記憶」はいいかげんにもなり、歪められてもいく。
過去を「美しく」粉飾しようとする意識でさえも、働く。自民党の某女性議員の「八紘一宇」の発言のように・・・・


イシグロは、英国ブッカー賞を受賞した名作『日の名残り(The Remains of the Day)』を筆頭にいつも、「歪められ・信頼できなくなった記憶」というテーマを好んで取り上げます。

イシグロは『忘れられた巨人』について、「これは老夫婦2人のラブストーリーである」と繰り返し語っているそうです。
そうかもしれないが、同時に、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と同じく、これもまた「戦争の記憶を主題にした小説」ではないか、と感じました。