1. ささやかなブログを毎週日曜日には更新しようと考えているのですが、1週間の来るのが早いこと。
ということで、前回のブログに頂いたコメントのお礼が遅くなりました。
臨床心理が専門のGoro Hiranoさん有難うございます。
「イギリスへの移民の次の世代には、心の健康を損なうほど自分を追い詰めて頑張っている人が多いようだ」というご指摘は興味深いですね。
私にもよく分かりませんが、当然に以下のような疑問が生まれますね。
(1) よその国で暮らすのは、どこでもストレスが大きいとは思うが、
ご指摘の点は、とくにイギリスだからだろうか?
(2) 例えば、アメリカや中国、そして何よりも日本だったら、この「ストレス」はどのように違うだろうか?
といった疑問です。
(3) また例えば、昔3年半暮らした豪州のシドニーには、もと職場の同僚など日本人の知人・友人が何人も定住していて、いまも交流がありますが、皆さん、比較的ストレスもなく暮らしているような感じがします。
これは、オーストラリアという国柄・国民性が影響しているのだろうか?
(4) 何れにせよ、この問題(つまり外国人が異国で暮らし、生きていくという問題)は長年、私の関心事の1つです。
とくに日本ですが、外国人がどう思って生きているだろうか?
もちろんケース・バイ・ケースで一概には言えないでしょうが、
誰にとっても(もちろん異国から来た人を含めて)生きやすい社会であってほしいと願います。
(5) そういう意味で、日本も「開かれた社会」であってほしいし、
同時に、日本独自の「文化」が続いていってほしい、と願います。
文化や伝統を守るという、いわゆる「保守」が、「開いた・自由な」思考と両立できるか否か?
この両方をともに守ることが、困難な選択であっても大事ではないでしょうか。
11日、月1回の、新宿の朝日カルチャーセンターで「古今和歌集」の講義を聞きながらそんなことを考えました。
2. ということで、今回は「日本文化」とその根っこにある「日本の自然」についての話になります。
「古今和歌集」の講義はもと名古屋大学教授の田中先生。
友人に誘われて昨年から聞きに行くようになりましたが、なかなか面白い。
講義は90分ですが、終わってから先生と3人で2時間ほど昼食をともにしますが、これが補講になっていてまことに勉強になります。
講義中は無知をさらすような質問はしにくいものですが、昼食中は何でも訊くことができます。
例えば、905年に紀貫之他3名によって編纂された古今集には1100首が入っていますが、そのうち4割を「よみ人知らず」の歌です。
作者不明の歌がこんなに多いというのに興味があって、
本当に作者がわからないのか?といった質問をします。
また例えば、
「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき」
というよく知られた歌は、
古今集では、「よみ人しらず」とあり、200年以上も後に藤原定家が選んだとされる「百人一首」には「猿丸太夫」と作者名が明示されている。
「なぜ、定家は作者を特定したのか?できたのか?」
といった質問をします。
田中先生は、こういった素人の質問についてもきちんと答えてくれ、即答できないときは後日ちゃんと調べて説明してくれます。
3. ところで、10月11日の講義では、先生は、藤原敏行のうたを取り上げました。
古今集には19種とられていますが、この中で
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」
という、百人一首にもとられている有名な歌についての、以下のような話でした。
(1) 「おどろかれぬる」の「おどろく」は、「ふと、気が付く」という意味で、現代の「びっくりする」という意味ではない。
(2) この歌は古今集巻4「秋歌上の冒頭におかれており、「秋立つ日によめる」という詞書きがある。
秋の初めにふさわしい歌である。
(3) 「秋立つ」とはいうまでもなく「立秋」のこと。旧暦7月1日。
当時の「秋」は7月から9月まで。
いまの太陽暦では、8月7日ごろになる。
(講義日10月11日はまだ暖かく、私は夏のジャケットを来て出掛けました。季節感が本当に変わりましたね。「衣替え」なんていう言葉もほとんど死語になりました)
(4) この歌のキーワードは「風の音」であり、
秋が来たことを「風の音」という、耳でとらえる、風の方向がかわり、季節がかわる、それが当時の日本人の感性であった。
その「風の音」は、おそらく、「荻」か「稲」が風に吹かれてそよぐ音であろう。
名前の入った歌もある。
前者――「いつもきく風をばきけど荻の葉の、そよぐ音にぞ秋は来にける(紀貫之)
後者――「きのふこそ早苗とりしかいつのまに、稲葉そよぎて秋風の吹く」(よみ人知らず)
ちなみに、「荻(おぎ)」はイネ科ススキ属の植物で、すすきによく似ているが、すすきと違って乾燥した場所には生えない。毛はすすきよりも白くて、柔らかい。
秋の七草の「萩(はぎ)」はマメ科の植物でまったく違うから間違えないように、という先生の補足がありました。
そして最後に、先生のもう1つの専門である「源氏物語」の話になり、「かがり火」の巻の一節
「風の音、秋になりにけりと聞こえつる、笛の音に忍ばれでなむとて〜」
から始まる、夕霧と柏木との笛と琴のやりとりの説明をされ、紫式部が、古今集をふまえて文章を綴っている、その「文化の継承」について、まことに優雅な講義で終わりました。
(5) 風が、荻の葉をそよがせる。その音から「ああ、風の方向が変わった、秋になったんだ」と感じる・・・・
こういう昔の日本人の感性を、すくなくとも理解することは大事だろうと思う者です。
都会に暮らしている現代人にはまったく想像できない世界ですが、
田舎に住む人達にとっては、今でも「稲穂」や「すすき」の吹く「風の音」に耳をすませるひとときがあるだろうと思います。
こういう「文化の継承」を支える、日本の田舎・日本の自然がこれからも残っていってほしい、とつくづく思いました。