「毎日がエイプリル・フール?」とタイム誌「真実は死んだのか?」

1. 今回もロンドン郊外から届いた花写真を載せます。

ワーズワースのよく知られた詩「水仙」に「黄金色の〜(golden daffodils)」と歌われる花です。
「そして私の心は喜びに満たされ、水仙とともに踊り出すのだ(And then my heart with pleasure fills ,And dances with the daffodils. )」で終わる短い詩です。


2. 遅くなりましたが、前回の「国連・世界幸福度報告、日本は51位」に関して、aさん、arz2beeさんコメント有難うございました。
フェイスブックで某さんからもこんなコメントを頂きました。
「幸福を測るのは大変難しいことです。世界51位の国だからと言って、上位の北欧やスイスへ移住したいかと問われれば、貧しくとも日本に暮らしたいです。日本の歴史や文化は日本人にとって計り知れないほど魅力を感じます。」

お礼をかねて感想を補足したいと思いますが、

(1) aさんの「上位3つの国に住んだことがある」とは羨ましいですね。「強烈な村社会」という指摘も面白いです。日本もかってはそうだったのではないでしょうか?閉鎖的だったかもしれないけど、隣人相互の助け合いや思いやりの気持ちはもっとあったのではないか。

(2) arz2beeさんの「寛容に乏しい、そういう自覚症状が足りない」というご指摘はまったく同感します。どうしたらよいでしょうね。「道徳」の授業やまして大日本帝国欽定憲法下の「教育勅語」で身につくようには思えません。
そして「寛容と忍耐」は池田首相の言葉でしたか。
そう言えば、先日旧職場の先輩・同僚と3人で食事をしたとき、「戦後の首相で誰をいちばん評価するか?」と訊かれて「池田さん」と即答したところ、同僚も同じ意見でした。
あの時代、まだ「ジャパニーズ・ドリーム」があったように思うのですが老人の繰り言でししょうか。
もっとも先輩は「俺も異存ないが、それは日本人の少数意見だと思うよ」とも言われました。旧東銀マンには少数意見の持ち主が多いかもしれません。

(3) 某さんの「51位でも日本に暮らしたい。歴史や文化の魅力は計りしれない」の指摘も面白いですね。お気持ちはよく分かります。
僭越でかつとんちんかんな感想かもしれませんが、「くに(country)」と「国家(Nation State)」の違いがあるように感じました。
例えば、相対的貧困率アメリカに次いで高い、母子家庭ではOECDでいちばん高い
という、そういう層に属している方は、「くに」への愛着はあっても「国家」からは見
捨てられていると感じているのではないでしょうか。


3. 以上、お礼と補足が長くなりました。
4月が始まり、昨日は「エイプリル・フール」でした。昨年も紹介しましたが、東京新聞の「こちら特報部」という欄は、毎年この日2頁にわたって意図的な「フェイク・ニュース」を流します。
今年はあるコラムニストが「トランプがツイッターで突如辞任を発表」と書きました。
やはりトランプネタが多いでしょうね。
朝のBS国際ニュースはよく観ていますが、昨日はマイケル・マカティアという日本語の流ちょうな、トランプ大嫌いのニューヨーカーが、「ロシア疑惑が深まり、トランプはついに大統領選挙をやり直す、と発表。スパイサー報道官は今回は前回以上に圧勝すると語った」という報道をもってニューヨークの市内をインタビューし、本当だと思って大喜びした人も居た、と伝えてくれました。


4. もっとも、昨今のニュースを見たり読んだりしていると、
ポスト真実」だの「もう1つの事実(alternative fact)」だの、これでは「毎日がエイプリル・フール」ではないかと思えてきます。

これも先日、旧職場の友人4人と飲んでいて、「この傾向はどうも“virtual reality”という言葉が使われだした頃からではないか」と1人が言いだしました。彼は英国の私立学校で学んだ帰国子女で英語はお手の物ですが、「昔はこんな言葉聞いたことがなかった。おまけに”virtual“はもともと「現実の」という意味でこれをrealityと重ねるのはおかしいし、日本語が「仮想現実」と訳すのはもっとおかしい」と語ります。


「100万円の寄付を受け取った」だの「渡していない」だの、事実は1つしかないのに、これも「alternative fact」だというのでしょうか。
おまけに不思議なのは、あまりこれ以上「事実を追求する」という姿勢がみられないことです。事実なんか、まして真実なんか、そんなものさ・・・と白けているのでしょうか。

もちろん誰もが「嘘」をついたことはあると思います。
サラリーマンであれば、田舎の親戚の何人かを危篤にしたり亡くしたりして、「嘘も方便」と心の中で言い訳した経験があるのではないでしょうか。

しかし同時に、私たちの世代であれば「正直であれ」と親から云われて育ったのではないでしょうか。
いつから「政治家や公の発言で、嘘をつくのはやむを得ない」という方便がもっともらしく流布するようになったのでしょうか。
戦争中の大本営発表の「大嘘」から始まったのでしょうか?
例えば、百条委員会とやら、或いは国会委員会の喚問で、証人が「〜真実を述べることを誓います」と宣言する。あれはそもそも誰に「誓って」いるのか?

欧米人であれば、聖書に手を置いて「神に誓う」のでしょう。
もっとも、トランプだって就任式のときに真面目な顔で聖書に手をおいていたが、あれだけ平気で嘘をついている・・・・

5.そんなことを秘かに嘆いていたら、タイム誌の4月3日号が「Is Truth Dead ?(真実は死んだのか)」と題して、特集記事を組んでいました。
トランプは果たして、現実の統治にあたって、危機管理にあたって、真実に直面する勇気があるのか、そもそも「真実」はもはや死んでしまったのか?と嘆いています。
内容を紹介する紙数がなくなりましたので、出だしだけ披露すると以下の通りです。

―――「アメリカの子供たちは何世代にわたって、幼いジョージ・ワシントンの話を習ってきた。勇気を出して、桜の樹を切ったのは自分だと認めたという伝説である。
しかしこれが作り話であっても、それは真実という理想をこの国の文化として育てようという願いから作られたものであった。
それがいま、新しいトランプ大統領のもとで、・・・(真実は死んでしまったのか?)」
―――

6.最後に、余計な話ですが籠池前理事長の外国特派員協会での記者会見(3月23日)以来、英米のメディア電子版には「忖度」について面白がって書いている記事があります。
これを英語でどう訳すか?一語では訳せない。日本人というのは面白い・・・といった口調です。さまざまな英訳がとびかいましたが、ニューヨーク・タイムズの例をあげると「powers at work behind the scenes」。
そのうち「Sontaku」が英語の辞書に加わるかもしれません。