「情報が少ないということはある力を秘めている」(星野道夫)

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1.昨日で今年の8月も終わりました。地元のJAスーパーにはお盆の頃は生産者直売の野菜の買い物客があふれましたが、その賑わいも終わりました。

この2か月、田舎で暮らし、山や田畑を眺め、人に会い、ほぼ毎日散歩をし、図書館でたくさん本を読みました。地元の手軽な温泉にも入り、諏訪湖を一望できる「天空のそば処」でそばを頂いたりしました。

地元の信濃毎日を購読。同紙には連日のように、「戦争体験を聞く集い」など74年前に終わった先の戦争を振り返る長野県内の様々な活動の記事が載りました。

日本の場合、7月、8月は過去や死者を想う時季でもあるでしょう。

しかし、来年の今頃は東京オリンピックで、国中それどころではなく誰もがテレビの前に座り込んで1億人が同じ情報に熱狂し、過去の戦争は忘れられるのかなと考えました。

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f:id:ksen:20190813152923j:plain2.テレビやインターネットのお陰で、来年のオリンピックに限らず、誰もがどこにいても大量の情報に同じように接することが出来る、これは果たして良いことだろうか、というようなことも考えました。

長野県茅野の山奥にいても、例えば、

(1)香港のデモ――デモはすでに3か月目に入り、一向に収束せず、警察との衝突は激化し、多くの民主活動家が逮捕され、北京政府は国の威信をかけて民主化の要求に応じる気配はない。

軍隊の導入も懸念される事態であり、そうなれば30年前の天安門事件を上回る破滅的な事態に陥る、と世界が憂慮している。(英エコノミスト誌も米タイム誌も毎週取り上げている)。

北京は世論を無視しても残酷な手段に踏み切るのか?

(2)英国のEU離脱――ジョンソン首相が、夏休みを終えた議会の開会時期の延期を女王に申請。女王は過去に慣例があるので拒絶できない。

しかし慣例はあくまで技術的な理由によるもので、今回のような「場合によって合意なき離脱に踏み切る、そのためには議会で審議する時間的余裕を与えない」という意図的な「延期」は首相の権限逸脱であり民主主義の破壊行為である、として与党を含めた議員や国民の強い抗議が起きている。

英国はどこに行くのか?

―――というような情報がいくらでも入手できます。

(3)情報社会というのは、何とも便利で有難い時代です。

しかし、情報を得て知識は増えるかもしれないが、一庶民としては所詮それだけのことではないのか。

ジョンソンや(あるいはトランプや北京共産党)の悪口を言ったところで、何かが変わるか。

香港の若者のように自ら行動したって、結局は、弾圧され、獄に入れられてしまうかもしれない。果たして彼らは世界を変えられるだろうか。

しかも、70年前のヴァイニング夫人の言葉――「いまの時代にはあらゆる種類の宣伝が沢山行われています。そのあるものは真実ですが、あるものは真実ではありません。」――が一層身近に感じられる時代である。

東京にいると熱心に情報を追いかけているのですが、森の緑に囲まれると人の気持ちも少し変わるのでしょうか。

f:id:ksen:20190827140239j:plain3.そんなことを考えながら、星野道夫の『旅をする木』と題する本にあった、

「情報が少ないということはある力を秘めている」

という言葉を思いだしました。

(1)職場で年下の同僚だった女性とその方のお嬢さんに時々会って、お昼を一緒にします。星野道夫の名前は、大学3年生のお嬢さんから教えてもらいました。

星野道夫は、一方に、その生き方に強く惹かれ、熱烈なファンになる少数の人たちがいる、他方に彼の名前も知らない沢山の人がいる、そういう存在ではないかなと思います。

私はこの年になるまで後者の1人でした。ところが、彼女に勧められて彼の2冊の本、『旅をする木』と『森と氷河と鯨』を読んで、ファンになりました。

f:id:ksen:20190804171256j:plain(2)星野道夫は、1952年生まれ。慶応義塾大学を卒業し、写真家の助手を務めたのち、アラスカ大学野生動物管理学部に入学。そのままアラスカを本拠にして活動し、先住民と親しく交わり、先住民の文化や動物や自然を追いかけ、アラスカの魅力を探り、写真や文章で発信を続けた。

1996年43歳のとき、ヒグマに襲われ、不慮の死をとげた。

死後も写真展がしばしば開催され、著作集全5巻(新潮社)ほか、著書も数多く出版されている。

4.以下に、エッセイ集『旅をする木』(文春文庫、1999年)から、上記の言葉がどのような文脈の中で書かれたかを紹介したいと思います。

(1)同書は雑誌に連載されたエッセイをまとめたもので、この中に「ル―ス氷河」という短い文章がある。

ルース氷河はアラスカ山脈の南面に伸びる、マッキンレーをはじめ4000~6000メートルの高山に囲まれた氷河で、「宇宙と対話ができる不思議な空間」と彼は言う。

「そしてここに、無人の岩小屋がある。・・・深い口を開けた無数のクレパス、雪崩・・・あらゆる危険に満ちた氷河上で、この岩小屋周辺だけが小さな安全地帯だった。テントを張りながら雪の中でキャンプ生活をし、もし何かがあれば、この岩小屋に逃げ込める」。

(2)星野はそんな場所に、学生時代の仲間とともに11人の日本の子どもたちを連れてくる。「小さなセスナに乗り、すさまじい岸壁や氷壁が両側に迫る氷河をみつめ、深い新雪の上に着陸し、ラッセルをしながらこの山小屋に辿りつく」。

1週間、キャンプ生活をし、雪を溶かして水をつくり、炊事をし、ストーブに薪をくべ、夜の氷河をゆらめくオーロラを見る。

(3)そしてこういう文章を綴ります。

―――「ルース氷河は、岩、氷、雪、星だけの無機質な高山の世界である。あらゆる情報の海の中で暮らす日本の子どもたちにとって、それは全く逆の世界。しかし何もないかわりに、そこには、シーンとした宇宙の気配があった。氷河の上で過ごす夜の静かさ、風の冷たさ、星の輝き・・・・情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間に何かを想像する機会を与えてくれるからだ」―――

f:id:ksen:20190817172256j:plain5.上で紹介した大学3年生の若者は今年の3月、アルバイトでお金を貯めて、念願のアラスカに初めて行ったそうです。「星野さんが生前一緒に行動した親友のアメリカ人の元小型機のパイロットにも会った。野生のムースも見、オーロラも見に行き、夜空に輝き・ゆらめくオーロラは言葉では言い表せない、カメラでも捉えられない素晴らしい眺めだった」と言っていました。素敵な行動力だと感心して話を聞きました。

私のような若いときからの臆病者は、とてもそんな冒険的な生き方は出来ません。

それでも田舎に2か月暮らし、星野さんの本など読むと、自分が本当に知りたいのはどんな情報だろうか、不要な情報から身を引くことができるだろうか、と考えることが多くなります。

もちろんアラスカの氷河にいる訳ではないので、たくさんの情報は嫌でも目に入り、香港の若者と民主化や英国の議会制民主主義の行方は大いに気になるのですが・・・・。